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僕が僕であるために、「自分らしさの哲学」を学ぶ|哲学者キルケゴールと尾崎豊の共通点とは?

もしもいま
自分自身に絶望を感じているのなら

哲学者キルケゴールが
立ち直るヒントをくれます。

どうも読書セラピストのタルイです。


突然ですが

私たちの現代人の多くが
今悩んでいることの
そのほとんどは

この長い歴史上で
誰かがすでに徹底的に
考えていたことです。


本日ご紹介するキルケゴールとは
絶望研究の第一人者です。


キルケゴールは
自分の生涯において
様々な絶望を体感し

「絶望とは何か?」

を正面から向き合い
考え抜いた人です。


では先に
キルケゴールが考え抜いた
絶望に対する
結論をお伝えしますね。



キルケゴールは

絶望を感じているのなら
もっと絶望しなさい


と説いてます。


「希望を持ちなさい」


じゃないんです。

絶望しなさいと説いているのです。



さらにキルケゴールは
こんなことも言ってます。

「絶望」は人間だけがかかる病気である。それは人間が動物以上の存在である証拠なのだ。

つまり
「絶望するから人間なんだ」と。



絶望を人生の成長として
捉えることが大切だというのです。



ちょっとここまでを読むと

「キルケゴールは
 何を言ってるんだ?」

と思いますよね。



私もキルケゴールの真意が理解できずに
悶々と数ヶ月を費やしましたが


先日読んだ
「ニーチェが京都にやってきて
 17歳の私に哲学のこと教えてくれた。」

こちらに書かれた一文

「キルケゴールはデンマークの尾崎豊」



この一文がヒントとなり

キルケゴールと尾崎豊を
比較分析することで
キルケゴールの輪郭が見えました。


たしかに
キルケゴールと尾崎豊は
似ているんですよ。


二人は自らの生涯を通じて
「絶望と闘った人」なんです。



ここから先は
二人の在り方の比較から
互いの絶望を知ることで
その真理を考えていきます。



▶︎人は皆、自分自身に絶望している


この世界には
絶望していない人などいません。

キルケゴールは
この絶望こそ「死に至る病」である
と著書で述べました。



キルケゴールの哲学を
より理解するためには
その生い立ちを知ることです。


1813年5月5日、
キルケゴールはデンマークの
コペンハーゲンに生まれました。


キルケゴールは
その七人兄弟の末っ子でした。

父ミカエルは56歳で
母のアンネは45歳の
高齢出産だったためか

キルケゴールは
生まれつき病弱でした。

そのせいのか
キルケゴールの性格は
幼い頃から感受性が鋭く、
孤独がちであったとされます。


キルケゴールは父ミカエルに
その才能を見出され

ひとりだけ厳しい英才教育を
受けることとなります。

信仰深い父ミカエルの命令で
17歳になったキルケゴールは

大学で神学と哲学を学びます。

この時にキルケゴールは
ヘーゲル哲学に出会います。

これが彼の転機になりました。


▶︎キルケゴールの17歳の地図


キルケゴールの生涯には
三人のキーパーソンがいます。


まず一人目のキーパーソンは
当時のオランダで大人気だった
ドイツの哲学者のヘーゲルです。

顔がイカつい…


ヘーゲルは近代哲学あるいは
伝統的な西洋哲学を
完成させた人と言われてます。


ヘーゲルの哲学は
当時ドイツで大流行し

その人気はお隣のデンマークにも
飛び火しました。

デンマークにいたキルケゴールも
その流行に触れたのです。



ヘーゲルは
物事は矛盾があるから発展する
と考えました。

政治・経済や科学
芸術や宗教に至るまで

あれもこれも弁証法
説明できると説きました。


弁証法を構成するものは
次の3つです。

テーゼ(正)
アンチーテーゼ(反)
ジンテーゼ(合)


例を出しますと

(正)「痩せたいからダイエットする!」
(反)「でもお菓子は食べたい!」


これでは矛盾は解決しません。

そこで、

(合)「小麦粉を減らし、
アーモンドパウダーを使って
糖質を10g以下に抑えた
ひとくちレモンマドレーヌ」

これを食べるのはどうだろうか?



このように弁証法とは

2つの対立する物事の間を取って
より良い高次の答えを 
導くということです。

そしてこのプロセスを
アウフヘーベンと言ったのです。

アウフヘーベン…

まるでドイツ生まれの
ふわふわしっとりもっちりした
お菓子のような甘美な響きです。

マドレーヌはフランスだけども。




しかしキルケゴールは
このヘーゲルの哲学に
噛み付きます。

ヘーゲルの哲学は
「人間個人には
 何の役ににも立たない」

と強く批判しました。


ヘーゲルの弁証法は
あれも(テーゼ)
これも(アンチテーゼ)
と取り込んで

普遍的な真理(ジンテーゼ)
を導き出す。

そんなことよりも
「あれかこれか」
主体的に選択して

「自分らしさの真理」
選び取ることが重要である。

そうキルケゴールは考えたのです。



私はキルケゴールの主張を
現在で例えると
AI万能説に似てると思いました。

ChatGPTに代表される
人工知能(AI)による
チャットボットに対して

質問を投げ掛ければ
AIはネット上から
あれもこれも取り込んで

みんなが納得できる
普遍的な答えが提示されます。


しかしその答えが
自分に当てはまるとは限らない。


チャットAIに質問したって
自分の悩みは解決できないのです。


まだ猫に質問したほうが
癒えそうです。

Meow, meow meow meow, meow meow?




▶︎体制への反発


私が考えるキルケゴールと
尾崎豊さんの似ているところは

『体制へ反発』を挙げます。


ヘーゲル哲学は
当時のヨーロッパの主流であり
体制側でした。

尾崎豊さんも学校を体制側と見立て
反抗しました。

教師と押し問答の末に
「それじゃ僕は
 操り人形じゃないですか」

と述べたところ、

教師から
「そうよ、きみは操り人形なのよ」
と告げられたことで
退学を決めたそうです。

僕が僕であるために
僕自身の現実を探究する人です。





キルケゴールのヘーゲルへの批判は
尾崎豊と同様に


自分を押さえつけるような
人や思想から解放されたい
と常に考えていたのでないでしょうか


それは敬愛する父ミカエルに
対してでした。


▶︎「私の家族は神に呪われている」 父親から衝撃のカミングアウト

キーパーソンの二人目は
キルケゴールの父ミカエルです。


父ミカエルによる
ある罪の告白
キルケゴールの人生に
大きな影響を与えました。

彼はこの衝撃的な経験を
「大地震」と呼びました。


キルケゴールの父ミカエルは

9人兄弟の4番目で
貧しい農家で生まれました。

そして幼い時から荒野で
羊の番の労働をさせられていたのです。


デンマークの冬は寒くて暗い。

彼は、あまりの寒さと空腹と
そして孤独に耐えかねて、
岩の上に登って天に向かい
こう叫びました。

「神は自分のような子供を
 これほどまで に苦しめるのか!」

「それならば自分は主なる神を呪う!」


その後、父ミカエルは商売で成功を収めましたが、

七人の子供のうち五人までが
34歳までに亡くなります。

その相次ぐ死について

敬虔なクリスチャンであった
ミカエルは、神を呪った代償から

どの子もキリストが磔刑に処せられた
34歳までしか生きられない

と歪んだ思い込みに
囚われていたのです。


さらにミカエルは
もっともおぞましい過去を
キルケゴールにカミングアウトします。


キルケゴールの母アンネは
元々はミカエルの家政婦で
後妻だったのです。

父ミカエルは
前妻が肺炎で瀕死の病床にいたときに

家政婦だったアンネを犯してしまい
妊娠させてしまったのです!


キルケゴールは
敬虔なクリスチャンだと
信じていた父親の姦淫の罪に
悩み苦しみます。



その後はしばらく、
酒場に出入りしたりと
享楽をつくす放蕩生活を送りました。


キルケゴールの
遅れてやってきた反抗期ですね。

盗んだバイクで
走りだしたかは不明です。



▶︎キルケゴールの恋


1837年、
キルケゴールが
不安と絶望を抱きながら
快楽によってごまかそうとしていた
24歳の頃


当時14歳の美貌の少女
レギーネ=オルセンと知り合います。

彼女がキーパーソンの三人目です。

一目惚れだったようです。


その後は紆余曲折ありましたが、
共に過ごす時間を重ねて彼はついに

1840年、
キルケゴールは
17歳になったレギーネに
プロポーズします。



ところが…キルケゴールは
プロポーズした次の日から
またしても内面的に苦悩します。

レギーネを愛すれば愛するほど
自分はふさわしくないと悩みました。

クリスチャンなキルケゴールにとって
真実の愛はキリストに向けられたもの。

そして真実の愛なしで結婚すれば、
愛するレギーネを傷つけることになる

と考えたキルケゴールは、

その翌年、婚約指輪を送り返し、
婚約を一方的に破棄したのでした。


キルケゴールは
このレギーネ体験について

この秘密を知るものは私の全思想の秘密を知るものである


と謎めいた言葉を日記に残しています。

いったい二人の間には
何があったのだろうか?


▶︎キルケゴールと尾崎豊の似ていないところ


ここまで二人の似ているところを
ピックアップしましたが
あえて似ていないところも指摘すると


尾崎豊は愛する人に
近づこうとしたが 

キルケゴールは愛する人を
遠ざけようとした。


私はこのように分析したのです。

「愛」は尾崎豊さんにとって
終生離れられぬテーマでした。

尾崎豊さんの歌詞には
全71曲に「愛」の文字が
182回も出てくるそうです。

彼のつくるラブソングの歌詞は
「社会はわかってくれない」
「分かり合えているのは二人だけ」

と一人の視点から
「ふたりぼっち」であることを
強調してました。

実際の尾崎豊さんも
妻である繁美さんに対する
嫉妬や束縛がすごかった。


尾崎豊さんは心が傷つくたびに
「繁美も自分の周りにいる
 大人と同じなのではないか」

と、何度も気持ちを試そうとし、

「家から出るな」
「友達と会うな」
と行動制限もして

一緒に外に出れば
「俺のほうか、下を向いていろ」

「髪をかき上げるな、切れ」

その行為は徐々に
エスカレートしていったそうです。


尾崎豊さんは
「境界性パーソナリティ障害」
の診断基準を満たしているそうです。


周囲を翻弄して
多くのトラブルを巻き起こし

ついには事故死とも自殺ともとれる
最期を遂げました。



キルケゴールは婚約破棄の後も
レギーネのことを愛し続けました。

自分から遠ざけておいて
それでもなお愛し続けたのです。

キルケゴールは
自分がこれから後に書くことになる
著作のすべてをレギーネに捧げることを
心に決めたのです。


キルケゴールには
シゾイド(分裂気質)パーソナリティ障害の可能性があったと
分析する文献もあります。

しかし、
愛する人を遠ざける行為は
シゾイドよりも
「愛着障害」の可能性が高いです。


愛着障害とは、
乳幼児期の子どもと親との間に
何らかの原因があり、
愛着形成できなかったことで起きる
後天的なものです。

・人付き合いが苦手
・親密な関係を望まない
・一人の方が気楽

最新の研究によると
こういった愛着スタイルは
先天的な遺伝による要因よりも
むしろ後天的な環境要因であることが
わかってきたのです。


回帰性愛着障害の著者である
精神科医の岡田尊司さんは

キルケゴールがいかに哲学的弁明をしたところで精神学的な見地によれば1人の女性との愛を煩わしい現実ととらえそこから逃げたにすぎない。

と喝破しました。


彼の愛していたのは
自分の理想であって、
レギーネという
現実の女性ではなかったのです。



◆キルケゴールの実存への3段階


キルケゴールは
一人ひとりの「自分らしさ」
現実的存在

いわゆる「実存」を重視しました。


そして
人間が真の実存に到達するための
道のりを三段階に分けて考察します。

これを「実存の三段階」と呼びました。


第一段階:美的実存

第一段階は
欲望のままに快楽を追求し
感覚的に生きる生き方
です。

しかし、無限の欲は満たされず、
不満と不安にとらわれ
やがて、絶望してしまう。

確かにこの生き方では、
いつまでたっても
欲望が満たされる事が無い
ので
やがて自分を見失いますよね。



第二段階:倫理的実存

第二段階は絶望した者が立ち直るために、
自分の正義感をもとに生きる
道徳的・倫理的なあり方です。

しかし、
不完全な人間は
完璧になど生きられません。

環境に影響されることもあります。

思い通りにならないことも多く
やがて自己中心的になり
社会との摩擦が強くなって
またしても絶望してしまう。

真面目で几帳面な人ほど
「正義中毒」になりやすい
といっても良いかもしれません。

「きちんとしなくてはならない」
「こうあるべきだ」

そういった考えが強い人は、
いったんスイッチが入ると、
暴走してしまう可能性があります。



では私たちは
どのように生きれば
絶望から解放されるのでしょうか?

この後の第三段階が
キルケゴールの答えです。


第三段階:宗教的実存

第三段階の「宗教的実存」とは
神の前にたった一人で立つ単独者
であることです。

キルケゴールは絶望の中で
人間を超越した絶対者の力(神)
によって幸せを与えてもらうしかない。

なぜならば
不完全な人間の内側を探しても
絶対者は存在しないからだ。

だから、
救済は信仰の決定的飛躍によってのみ
得られると確信する。

よって独りで神と直接対話することで
人間ははじめて本来の自分を取り戻せる

と、キルケゴールは考えたのでした。






ひょっとしてあなたは
最終段階が「宗教」というのが
ちょっとセンシティブに
感じたかもしれません。


まず、日本人はキリスト教信者は
絶対数少ないですし、


それにいま日本の世論は
「宗教」に懐疑的な意見も多いです。


私は

「あなたは神を信じますか?」
「神を信じませんか?」

と問われたら

神様がいるかどうかは
誰も証明できないので
「わからない」と答えます。


もちろん
お正月はお詣りしますが
神頼みでお賽銭を投げるのではなく
神社で働く方への寄付に行ってます。



キルケゴールに話を戻しますね。


結局のところ

果たして神を信じた
キルケゴールは
幸せになれたのだろうか?


これが重要なことです。


以下に私の考察を書きます。

その後のキルケゴールは
自分の思想の体系化のために
執筆活動を始めていきました。

父親の莫大な財産があったため
働かず、家に引きこもり

「世界中でもっとも
 多量のインクを使った人」

といわれるほど、
多くの著作と草稿を残しました。


キルケゴールは
有名人のこきおろしを得意とする
大衆風刺新聞「コルサール」とも
闘いました。

その結果
「コルサール砲」の中傷を受けます。

キルケゴールは神ではなく
マスコミと対峙しちゃってます。



また、
絶対である神の前で
単独者であることを決めた
キルケゴールは

お布施とお祈りを捧げれば
あらゆることが許されるとした
デンマーク国教会の偽善性を

「形骸化してしまったキリスト教」
ときびしく糾弾して
論争を展開しました。


そして1855年、
父親からの遺産も尽きる頃

教会との激しい論戦の中で
身心ともに消耗して
路上で意識を失って倒れ、
42歳で死去しました。


私はキルケゴールの最後は
笑って死ねなかったと想像します。




◆私の考察「あれかこれか」ではなく「あれとこれと」


最後に私が
キルケゴールと尾崎豊さんが
もっとも似ていると
考えたことを書きます。


私がイメージする
キルケゴールと尾崎豊さんは

「あれとこれと」が
出来なかった人です。


「あれもこれも」
のなんでもありじゃなく

「あれかこれか」
自分が信じる「自分らしさ」か
それとも「愛する人」かの
二者択一の選択でもなく

「あれとこれと」
という建設的な選択

つまり「自分らしさ」と
「愛する人」の両立

この2つを大切にする生き方が
できなかった人だと考察します。



私は考えてみました。

絶望の第三段階の後にある
本当の解決法は

「自分らしさ」の探究と
「愛する人との関係」を
両立することではないだろうか?


弁証法で説明するならば
「あれとこれと」
アウフヘーベンなんです。



キルケゴールは
神の前で単独者であることを
在り方としました。

ですが
「単独者」というよりは
「ひとりぼっち」のようでした。


ほんとうの絶望との闘い方は

ひとりぼっちで
神と向きあうことではなく

「ひとりぼっちで悩まない」
ことなのではないでしょうか。



尾崎豊さんもまた一人ぼっちで
絶望しました。

ドラッグに依存するまで追い詰められ
三ヶ月の拘置所生活の中で
もがき続けながら
「太陽の破片」を生み出しました。

誰も手をさしのべず 何かにおびえるなら
自由 平和 そして 愛を何で示すのか
だから 一晩中 絶望と戦った
僕はただ 清らかな愛を信じている
太陽の破片


この清らかな愛とはなんだったのか

ひょっとしたら
ひとりぼっちな視点から見た
自分勝手な理想だったのかも 
しれません。


私の中学高校時代の思春期は
尾崎豊さんの歌に
埋め尽くされていました。


しかし26歳で亡くなった
尾崎豊さんの
倍近く生きてみて
そう思うのです。


現代では「愛着障害」も
「境界性パーソナリティ障害」も
治療で治る時代となりました。


キルケゴールが生きた19世紀や
尾崎豊さんが生きた昭和の時代では
叶いませんでしたが

いまは科学で解明されているのです。

障害に対しても
まわりの理解を得られる時代なのです。


私はこの世界から
ひとりぼっちで絶望する人が
いなくなることを願ってます。




最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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▶︎参考文献一覧

今回の記事は、こちらの本に記載があった「デンマークの尾崎豊」に触発されて書きました。


「愛着障害」について
ゆうゆうyu-yuさんから
ご教授いただきました。
ありがとうございました。


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