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【選択的夫婦別姓】反対派の絶対国防圏「戸籍崩壊論」…本当は誰の責任なのか(1)「戸籍はとっくに死んでいる」

〔写真〕反対派のバイブル本を茶化そうとして、5分くらいで作りました。三流の本には三流の対応で十分。

既に解決済の議論であるけれど。。。

高市氏は、仮に夫婦別姓が認められた場合に、従来の夫婦同姓の制度と一体不可分である戸籍制度に、大きな影響が出ることを懸念している。

「結婚すると、夫婦やその間に生まれた子供は同じ戸籍に登載され、姓は『家族の名称』という意味を持つ。だが、別姓になれば姓は単なる『個人の名称』になる。たとえ『選択制』にしても、家族の呼称を持たない存在を認める以上、結局は制度としての家族の呼称は廃止せざるを得なくなるだろう。事は家族の根幹に関わる。『夫婦別姓』を認めると、子供が夫と妻のどちらの姓を名乗るのか、どの時点で決めるかといった問題も生じかねない。より慎重な議論が必要だ」
(上記記事より)

選択的夫婦別姓制度導入に対し、ネトウヨが思いつくままに様々に虚妄の反論をぶつけてくる戦術は、あらゆる歴史認識問題、ジェンダー問題、最近では離婚後共同親権問題にまで及んでおります。

この「戸籍崩壊論」というのもその1つで、実際には既に解決済の議論です。

立憲民主党の高井たかし氏は最近、ツイッターにこんな投稿をされました。

法務省民事局長の答弁通りならば、反対派の「選択的夫婦別姓は戸籍崩壊!」という主張には根拠がないことになります。
いったいどういうことでしょうか?

(1)現行の戸籍制度一「家」制度の下での戸籍の名残り
まず、現在の戸籍制度についてお話しする前に、戦前の「家」制度の下での戸籍について一言しておきますと、ここでは、1つの「家」を単位として戸籍を編製することとされていました。その家の呼称が氏です。つまり、この時代の氏は、個人の呼び名である前に、「家」の呼称であって、ある家に属する者はその家の氏を称することとされていました。夫婦についても、夫婦だから同じ氏を称するのではなくて、同じ家に属しているから結果として同じ氏になるという構成だったのです。夫婦としての独自の氏を定めるという制度になったのは戦後からです。

戸籍の編製単位も、戦後に改められて、夫婦とその氏を同じくする子を一単位とする方式になりました。我が国の民法では、親族の範囲は6親等までとされており、相当に広いのですが、その中で、夫婦と親子の間においては、他の親族間には見られない特殊な法律関係・権利関係があります。夫婦の同居・協力・扶助義務、親の子に対する親権、夫婦・親子間相互の相続等です。このような特殊な関係にある夫婦・親子を一つの戸籍に登載して公示するというのが現行戸籍制度の考え方です。
(上記記事より)

そのうえで、平成8年の選択的夫婦別姓の民法改正案の作成当時、法務省は、戸籍の改革方法として三案を提示しており、選択的夫婦別姓と戸籍制度が両立するように制度を設計していたのです。

ふつうの一般市民的感覚ならば、これで議論終了です。
制度的に解決可能な以上、デメリットではないことは明白です。

にもかかわらず、反対派は、「戸籍崩壊論」にしがみつくことを諦めようとしません。
それは、彼らにとって、復古的(たかが100年少々)な家族観を防衛するための、いわば「絶対国防圏」だからです。

そこで、私は別の攻め手を考案することにしました。

「反対派は、選択的夫婦別姓制度の導入で”戸籍が崩壊する”と絶叫しているが、そもそもそれって合ってるの?」
少々、問いの設定が明確さを欠いているので、まずは結論を提示します。

日本の歴史上、戸籍が崩壊しなかったことはただの一度もないし、現行制度もとっくに壊れている

皆さんが大学受験の時に、日本史を選択していれば、次のような事実をきっと勉強なさったはずです。

①大化の改新(645年)後、律令国家の形成を目指し、戸籍を編纂し(670年の庚午年籍)、班田収授法で農地の支給・収容を定め、全国的に統一の税制を施行した。
②しかし、重税に耐えかねて浮浪・逃亡する農民が続出し、公地公有が困難となり、墾田永年私財法(743年)で土地の私有化を認めた。
③それでも8世紀後半には班田収授法は施行困難となり、代わりに荘園が発達する途が開かれた。

詳しくはこちら。懐かしく読み返しました。

その後、学校で戸籍の歴史に関する授業となると、明治時代の民法典論争と家制度創設に絡めて、軽く習う程度だと思いますが、現在まで続くこの制度、本当に機能しているのか問題について、ちゃんと考えられていなかったのではないでしょうか。

例えばこんな記事。

いつの時代であっても、戸籍制度は、国家が徴税や兵役などを容易にするために、国民を管理するツールです。
そこから落ちこぼれる人が基本的にはあってはならないものです。

しかし、日本の歴史上、戸籍制度、これに類似した国民管理制度は、まともに機能したことはただの一度もありません。
現行の戸籍制度も実は同様です。
ほとんど使い物にならなくなっている。

よって、選択的夫婦別姓制度が導入されようがされまいが、戸籍制度は早晩崩壊します。
その原因と責任は、実は戸籍制度の改革を怠り、夫婦同姓の家族制度に固執した保守派の責任なのです。

という事実を、実証的な研究書から論証を試みたいと思います。

まず一回目にご紹介したい本はこちら。

挫折の連続であった国民管理制度

第39回サントリー学芸賞受賞作。
著者は、早稲田大学大学院修了(博士号取得)。早稲田大学や宇都宮大学などで教鞭を取っている、政治学研究者であり、「岩波講座日本歴史」(岩波書店)の共著者としても名を連ねています。
「無戸籍者」という存在に焦点を当て、その歴史的変遷をたどることで、「戸籍は本当に必要なのか」という疑問を問いかける本です。

古代や近世(江戸時代)の戸籍制度(正確には江戸時代は人別帳であり、戸籍ではない)は、歴史上、戸籍やそれに類する制度で国民を管理する仕組みは、その壮大な野心に反比例して、わりと短期間で破綻します。
古代の班田収授法は1世紀ほどで姿を消しますし、江戸時代の人別帳も、すでに享保年間には大幅な解離が問題となっており、荻生徂徠が徳川吉宗に献策するなどしていますが、天明の大飢饉など続く天災が発生すると、おびただしい数の浮浪・逃亡が発生するため、ほとんど機能しなくなります。

明治初期、近代国家の建設を急ぐ明治政府は、やはり国民の管理が大きな政治的問題となりました。
目的はやはり、徴税と軍隊。
ところが、当時は、貧窮した大量の士族が藩籍を離れており、近代化により関所が廃止されたりして、人の往来も自由になってきたため、国民の正確な把握が難しくなっていました。

富国強兵を進めたい明治政府は、1872年に壬申戸籍を定めるなど戸籍制度整備を急ごうとしますが、民衆から猛烈な抵抗を受けます(戸籍が嫌われていたなんて、現行戸籍法を不磨の大典かのように言いつのる、選択的夫婦別姓反対派には思いもよらないでしょうが。。。)。
いわゆる血税一揆という言葉、日本史の時間で習った方もいらっしゃるかと思います。

明治政府も無理に徴兵を推し進めようとはせず、当初の徴兵令では、一家の長、独子独孫、養子、家産・家業の管理者など、幅広い免除規定がありました。
そうすると起きたのは露骨な徴兵逃れ。
歴史上の有名人物では、彫刻家の高村光雲や文豪・夏目漱石などが有名ですが、一般庶民も分家相続や養子縁組を駆使して、様々な徴兵逃れが横行しました。
明治憲法が制定される時期に前後して、徴兵制度の免除規定は大幅に縮小されますが、そうなると、戸籍そのものを消す、単純に逃げるという強硬策で徴兵から逃れる人が出てきます。

本書では、菊池邦作「徴兵忌避の研究」が引用されていますが、昭和に入っても、年間2万人程度が、逃げる。徴兵自体が不可となる40歳まで逃げ切った人も1千人程度います。
中には、徴兵されることなく終戦を迎え、戦後、税金を払い、選挙権まで行使していたという人までいました。

唖然とする話です。

戦後、司馬遼太郎が「坂の上の雲」で描いたような、カッコイイ明治男のイメージと現実とでは、巨大な解離があるのです。

家制度と同姓届出婚が、戸籍を破壊し続けた

近代国家建設と民衆の統制(国民統合)が大きな課題であった明治政府は、政府の政策に国民を従わせるための、精神的な支柱が必要でした。

政治権力は、多種多様な個人を一元的に戸籍の管理に服従させるには、戸籍が持つ精神的、内面的な価値を教育する必要がある。つまり、「日本人」である以上、戸籍に登録されていることが理想的な国民なのだ、という論理を創出し、さらにそれを社会の規範として設定しなくてはならない。
(本書P.147)

こうして創設されたのが家制度です。

1898年7月に施行された明治民法は、その第732条において「戸主ノ親族ニシテ其家ニ在ル者及ヒ其配偶者ハ之ヲ家族トス」と規定した。これは、戸主の「家ニ在ル者」が明治民法上の「家族」とされるという重要な条文であるが、前出の旧民法人事編の第243条と大差ないのが分かる。問題となる「家」の意味については、起草委員の一人であった富井政章が「家ハ戸籍ノコトヲ云フ」と端的に説明していたように、やはり旧民法人事編と変わらず、「家すなわち戸籍」を意味した。
(本書P.149)
明治民法施行が契機となり、個人は家に帰服する結果として戸籍に編入され、これをもって正しき「日本臣民」の証を得るという規律が日本社会に生まれつつあった。
(本書P.149~150)

著者は、明治民法は武士階級や貴族階級の価値観に基礎を置き、一般庶民の現実生活と遊離していた内容であったにもかかわらず、家の系譜を重視する戸籍制度は、祖孫一体を本義とする家の連続性の称揚し、「家」と「国体」が直結した、「一君万民」という言葉に代表される、日本独特の家族国家思想へ昇華する過程を明らかにしていきます。

ところが、この家制度の婚姻規定が、自ら戸籍制度を掘り崩し始めます。
明治民法では第775条「婚姻ハ之ヲ戸籍吏ニ届出ツルニ因リテ其効力ヲ生ス」、現行民法も第739条に残っている届出婚の規定です。
明治民法では、強大な戸主権が結婚に立ちはだかったため、多くの内縁(事実婚)夫婦が存在しました。その結果、出生した婚外子は、「戸籍が汚れる」婚外子は、「家族の純潔」を守ろうとした戸主からしばしば歓迎されず、母親が私生児として届出ることを余儀なくされた子は、戸主権によって母と同じ戸籍に入ることをしばしば拒絶されたため、無戸籍になったのです。
こうした戸主権の濫用は、婚外子でなくても、離籍や復籍拒絶といった方法で、次々と「戸籍外の日本人」を量産します。

こうした実情は、夏目漱石のこの傑作でも詳しくみることができます。

その弊害は、大正時代にはすでに明らかになっていました。

戦前には失われていた戸籍の役割

日本の行政法は、今でも非常に多くの「届出制」が存在します。
問題の代表格が生活保護に関する法令で、申請がないと調査もしない。先進国で圧倒的に低い補足率の元凶です。

届出制で運用される戸籍法も、戦前には大量の届出がされない出生者や死亡者の存在が大きな問題となっていました。本書でも、「市町村の方でも帳簿面には百歳以上のが幾らもあるが、実際は其半分もいないと云う有様で不都合極まる次第である」と痛嘆する官僚の声を紹介しています。

1920年から始まった国勢調査で、戸籍とは無関係に世帯基準で統計的に人口を把握する調査が始まりました。
その結果、戸籍は徴兵時の登録以外に参照されなくなり、「家の登録簿」「臣民簿」としての道徳的役割に移っていきます。

しかし、こうした道徳的役割は、一般庶民に共有されたとは言い難いです。
大正時代、都市化が進み、いわゆる無縁問題が表面化してくると、「七十余歳の今日まで無籍の儘過ぎ去った人間が新に市民として現われ出たなどの例が随分ある」、「一家悉く無籍」という家族が発見される、といった例が紹介されています。
娼婦、セックスワークの女性の無戸籍問題も深刻でした。

昭和に入ると、アジア太平洋侵略戦争の末期に発生した沖縄戦。沖縄県の戸籍が壊滅的打撃を受けます。戦後、その再製は困難をきわめ、大量の無戸籍者が問題となります。
また、戦前のブラジルなどへの移民の結果、失われた戸籍も数多く存在しています。

多様な家族形態に対応できなかった同氏同戸籍の原則

こうしてみると、その時々の社会問題や戦争といった事情により、戸籍の社会的役割は終わりに近づいてきています。
本書で、著者が繰り返し指摘しているように、戸籍はもはや道徳律としての価値程度しか持っていません。次回以降紹介しますが、現在、戸籍を照会する理由で一番多いのは「相続」であるという現実が、他のライフステージで戸籍が全く機能していないことの証左といえるでしょう。

その原因は、本書が多様な「無戸籍者」の存在で明らかにしたように、戦前の近代国家建設の過程で、多様化しか家族の形、個人の生き方に、戸籍法がほとんど対応できず、運用が国民の届出任せだったという点にあります。

また、戦前の家制度、それを便宜上継承した、戦後の同氏同戸籍の原則(戸籍法第6条)は、さらに多様化が進んだ家族の形態に、全くと言って過言ではないほど、対応ができていません。

戦前に事実上役割を終えていた戸籍制度は、「まぼろしの日本的家族」を擁護する思想の玩具に過ぎなくなりつつあります。

(この連載続く)

【次回】

<参考書籍>


【分野】経済・金融、憲法、労働、家族、歴史認識、法哲学など。著名な判例、標準的な学説等に基づき、信頼性の高い記事を執筆します。