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映画『月』を観る その4(最終回)

 この記事のその4(最終回)がなかなか書けなかった。というより、書くのに時間が掛かってしまった。ひさびさに観た映画に衝撃を受け、いつも書いている記事とは全然違うものを書きはじめてしまったのだが、ようやく結論らしきものが書けたかなと思います。

(前回からの続き)
 知的障がい者施設の入所者19名を殺害し、26名に重軽傷を負わせたさとくんは警察に捕まり、逮捕された。そのことをテレビで知った洋子は自分の職場でもあるその現場に向かおうとして映画は幕を閉じた。

 ここまでこうして長々とレビューのようなものを書いてきたのだが、それは、この映画に大変な衝撃を受けたからである。映画が実際に起きた事件を題材にしたものであることを前提として、誇張された部分はあったかもしれないが、知的障がい者を19名殺害し、26名に重軽傷を負わせたのは、殺傷というより虐殺と言ってもいいような前代未聞のことだったのではないだろうか。それが、この日本で起こったということに衝撃を受けたのと同時に、犠牲者がほぼ抵抗などできなかったであろう知的障がい者であったことも、その衝撃をさらに大きいものとした。実際の事件当時(7年前の2016年)、わたしは新聞やテレビなどでこの事件にふれていたはずなのだが、この映画を観るまでこんな大事件だったとは認識していなかった。そのこともまた違う意味で衝撃だった。

 「言っていることが伝わらない人は無駄な人であり、無駄なものは世の中からなくなるべきだ」という犯人(さとくん)の主張は、同様の施設で働いているわたしにとってその根幹を揺さぶられるようなものであったが、いや、けっしてそんなことはない、という思いがあらためて根を広げ、幹が太くなったと思う。繰り返しになるが、わたしは毎日、言っていることが伝わらない人と接している。でもそれは、相手が知的障がい者だから、というわけではないのだとつくづく感じている。いわゆる”健常者”と呼ばれる人のなかにも”言っていることが伝わらない”という人は山のようにいるのだ。いくら言葉が通じたとしても、その真意が伝わる人というのはほんとうに稀である。なので、さとくんにはそこのところが分かっていなかった、と思えるのだ。さとくんは「言っていることが伝わる」ということがどういうことなのか、本当にはわかっていなかったのではないだろうか。

 しかしながら、そうした理由で人を殺してしまったさとくんの考えというのは、いったいどうやってできあがったのだろうか。ふと思ったのは、さとくんの知的障がい者への理解不足、ということである。「理解」というのはなにも知識や、学んだりして身につけたものだけでなく、目にしたり、接したりして得るものも含まれる。つまり、さとくんは知的障がい者の施設に就職して初めて、その人となりを目の当たりにしたのではないだろうか、ということだ。

 わたしが子供の頃にはまだ、知的障がい者が入る養護学級というものが小学校にはあり、ときおり一緒になって学校行事に参加したり、授業を受けたりすることがあった。そんななかで彼らはけっしてわたしたちと大きく異なる人たちではなく、むしろなんだかおもしろい、ユニークな人たちだという実感をもった。それは彼らと間近で、肌と肌を触れ合わせながら得たものであった。
 さらには、高校生の時にたまたまやはり重度の知的障がい者の施設(その頃はまだ”○○コロニー”などという名前が付けられていた)へワークキャンプに行ったり、大学生になってからはどういうわけか、ひとり暮らしの身体障がい者の方の介助ボランティアをしたりした。そういったなかで、”障がい者”と呼ばれる方々の社会的立場(同じような障がいをもった方々を一つの施設というものに入れてしまう)というようなものも知っていった。

 しかし、こうした実感や経験がなければどうだろう。いまの学校制度では学校のなかに養護学級はあっても、そこには”多動性”などという知的障害とまではいかないが集団で授業を受けることが困難な生徒が入るようで、知的障がい者は小学校や中学校とは別の、”特別養護学校”というものに入るようだ。さらに、学校を出てしまうとそうした人たちの姿を見ることはほんとうに少なくなってしまう。だとすると、いまの若い人たちは知的障がい者と呼ばれる人の存在をあまり知らずに(知識としては教えられるのかもしれないが)育ってしまっているのではないだろうか。もしそうだとすると、それでは知的障がい者に対する「理解」が進むはずがない。大人になり、就職した職場で目にした彼らは、福祉系の学校を出たわけでもないさとくんの目にどう映ったのだろうか。そして、働いた3年間でどういった理解をし、また、施設自体はどういった理解のもと、施設運営をしていたのだろうか(それはそこで働く職員に大きな影響を与えるだろうから)。気になるところである。

 実際、さとくんの言うように、知的障がい者の方々は100歩譲って、「言葉が話せず、通じない人たち」である。でもそこから、「言っていることが伝わらない人は無駄な人であり、無駄なものは世の中からなくなるべきだ」という考えに行き着くにはある飛躍がある。前にも書いたが、言っていることが伝わらないからその相手は無駄である、という論理はまるで成り立たない。そこには言っている人(さとくん)が100%正しい、正義である、という前提がある。しかし、本当にそうか。例えば、消灯時間の21:00に寝なければいけないのは正しいことなのか、必ずトイレで排便をしなければいけないのは正しいことなのか、職員の言うことを聞かなければいけないのは、お風呂に入らなければいけないのは、食事を残してはいけないのは・・。そうでなければならない、と思っているのはほとんどの場合、介助者や施設の側なのではないだろうか。そうした正しさの押し付けのようなものは暴力と同じではないだろうか。さとくんの場合、その思い込みによる「正しさ」がなんらかの影響(ひょっとすると、この事件を取材した記者が言うように、ネットのなか)でエスカレートしてしまったのかもしれない。いずれにしろさとくんは、少なくともわたしには理解できない考えのもと、この殺傷(虐殺)事件を起こした。

 そして、もうひとつ衝撃的だったのは、この事件を映画化した、ということだった。映画のなかでも最後、さとくんに殺された寝たきりの障がい者の母親がその現場を目の当たりにして泣き叫ぶシーンがあるが、この事件を知った実際の知的障がい者の親や保護者には当時、相当な衝撃が走っただろう。さらに、この映画を観たならば、より考え込んでしまったのではないだろうか。しかし、フィクション(映画)とはいえ、限りなく事実に近いと思われるこの映画は、観る者にさあ、あなたはどうする?どう考える?、という強烈な問いを突き付けたはずだ。

 映画自体はややホラー仕立てでもあり、施設の内部の描き方など、実際に現場にいるものにとっては不十分だなと感じるところもあった(しかし、実際の知的障がい者のかたを映画に登場させたのには驚いた。わたしのなかにも彼らは”タブー”であるという認識がどこかにあったのだろう)。さらに、最後の殺傷場面は映像化しなくてもよかったのでは、とか、間違った解釈(さとくんの殺傷の理由が肯定的にも取れるように描かれていた、という)を観客に与えてしまう、とかいう賛否両論がネットでは見られたが、わたしには事実になるべく忠実で、そして、観る人にその問いを突き付ける(突き付けるには衝撃的に描いたほうが効果的だったのかもしれない)意味で、いい映画であったと思う。監督の思いがどういったものであったのかは分からないが、その思いを汲み取ったのであろう俳優陣の演技もまた凄かった。

 映画の最後で洋子は出生前診断を受けるかどうか、決断をする。そしてその答えは描かれなかった。出産以前に胎児が診断を受け、知的に障がいがあると分かれば多くの人が堕胎するという出生前診断。わたし自身は診断を受け、障がいがあると分かっても妻に産んでもらうつもりだった(妻もそのつもりのようだったし、結果、障がいはないと診断されたのだが)。その理由は、そのときはなにかはっきりとしなかったのだが、いま考えてみると、やはり出産前とはいえ、人を殺してしまうという意識がどこかにあったのではないだろうか。生物は精子と卵子が結合し、受精卵ができた瞬間に命となる。それは、生物(植物、昆虫、鳥、爬虫類・・)について少しでも学んだことのある人ならわかることだ。よって、その受精卵が母親の胎内ですでに成長をはじめ、心臓の動きも手足の形もできてきた時点で堕胎してしまうのはやはり、「命を奪う」ということなのではないだろうかという気がする。

 洋子は、さとくんが「言葉が通じないものは生きていても無駄である」と言い放ったとき、泣きながらそれを否定した。実際、一人目の子供は3歳で亡くなってしまったが、言葉が通じなくても必死に生かそうとしたのである。今回もまた、同じような子供が生まれるかもしれない、という不安が洋子にはあったのだろうが、やはり、言葉が通じなくても産みたい、生かしたい、と思ったのではないだろうか。夫の昌平もまた、洋子がそういう決断をしたことを喜んだに違いない。そして小説を書きながら施設で働いていた陽子は、この事件をどう捉えたのだろう。書く小説が認められず、好きでもない知的障がい者の施設で働いて、親はきれいごとばかりを言い、「生きている意味なんてない」と思っていた陽子は「生きている意味」を掴んだだろうか。

 さて、最後に、この映画のタイトルは「月」であった。月には”闇を照らす”という隠喩があるが、だとすると、闇とはいったいなんだったのだろうか。
                                 了

この4回にわたる記事を書くにあたって参考にしたサイトを以下にあげておきます。

 


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