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映画『月』を観る その3

 さて、いよいよ物語は佳境を迎える。
 洋子はいまだ子供を産むかどうか悩んでいるが、そんな時、職場でさとくんに「言っていることが伝わらない人は無駄な人であり、無駄なものは世の中からなくなるべきだ」と主張される。洋子はそれを真っ向から否定するのだが、このことをきっかけにやめていた執筆活動を再開する。じつは、震災をテーマに書いた小説でデビューした洋子は、最初、作品を編集者にダメ出しされ、自分の思いとはずいぶん違った形で作品が出版されてしまった経緯があった。洋子はそのことがきっかけで文章が書けなくなってしまったのだが(したがって、「きれいごとしか書かれていない」と非難した陽子の指摘はおおよそ当たっていたことになる)、さとくんの主張を機に再び物語を書きはじめる。低酸素症で寝たきりとなり、言葉を発することもなく死んでいった3歳の子供の母親として、さとくんの主張はどのように聞こえたのだろう。

 その間、さとくんは着々と自分の考えを実行するための準備を進める。そして、事件が起こる少し前、どんなできごとだったか忘れてしまったが、一度、入所者に暴行を働き、警察に捕まる場面がある。これは精神がやられてしまっている、としか思えないようなできごとなのだが、さとくんはこの時、なぜか釈放されてしまう。そして、しばらくしてあの凄惨な事件が起きるのだ。

 このできごとがなにを意味するのか、いま考えても判然としないのだが、第三者が見れば明らかに異常だと思えるような行為をした人物が、精神鑑定を受けても(実際に鑑定を受けたかどうかは定かでないが)異常なしとみなされる、もしくは、さとくんはそもそも精神異常なんかではなく、通常の精神状態でありながらこうした異常とも思える行動をしてしまう、ということが言いたかったのか。ここはいまでもよくわからないところなのだが、いずれにしろ、ここから物語はクライマックスへと突き進んでいく。

 さとくんはいよいよ殺傷のための道具を準備しはじめ、一方、洋子はというと、ひたすら執筆に集中するようになる。昌平はそんな洋子を見守りつつ、あるとき、さとくんの不意な訪問を受け、さとくんが釈放されたことを知る。さとくんの主張を洋子が真っ向から否定していたことを知っていた昌平は、すぐにこのことを洋子に知らせるのだが、このとき、洋子はいよいよ作品を仕上げようとしていた。そして、昌平と二人で”出生前診断”を受けるかどうか、そのことを決める日も訪れようとしていた。

 洋子は作品を書き上げ、久しぶりに昌平と向き合って話をするのだが、泣きながら、「あなたと生きたい」という言葉を昌平に投げかける(ちなみにこのシーンでわたしは涙が止まらなかった)。そして、ちょうどその頃、施設ではさとくんによる入所者への殺傷が始まっていた。

 さとくんははじめ、自分が殺そうと思っていた入所者から順番に殺害していくのだが、ある時点からその日の夜勤職員を捕まえ、入所者一人一人について、「この人はしゃべれるかどうか」を問い詰めつつ、しゃべれない人を殺していく。そのことが分かった夜勤者は恐ろしくなり、泣きながら「この人はしゃべれます」と繰り返すのだが、らちのあかないさとくんはその後、無差別に入所者を殺していくことになる。そして、19名を殺害、26名に重軽傷を負わせる前代未聞の事件となった。ちなみにその日の夜勤者は陽子であった。
                           最終回へつづく


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