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「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」を初見で見ても衝撃を受けたって話。

Twitterでのやたら高い評価を見て、声優さん達も何人か知っていたので、ほぼ初見だったけど見に行きました。凄まじく映像と音楽と声の感情のぶつかり合いでぶん殴ってくる映画だった。噂に違わず素晴らしい作品だった。

※今の所ちゃんとTV版を見ていないので、色々と理解におかしいところがあるかもしれない。知識としてはこんなもんである。
・アニメ未視聴
・舞台で演じられている動画を何個か見た。
・2個ぐらいアニメのレヴューの動画を見た。
・何人か声優さんを知ってる。

端的に言うと、歌劇を勉強する学校に通っている少女たちが卒業する話。
これを従来の青春映画で表現するなら、色々なぶつかり合いが現実にあって、そこで自分を見つめ直して進路を決めていく、という流れになるんだろう。 ただ、それを「レヴュー」という歌劇調の心象表現舞台で表現し、演じるようにぶつかり合い、理解していくというところが新しい。

歌劇で舞台に立つけれど、いつもは生活をともにしている少女達だからこそ、ずっと隠して抱えていた「ずるい」「どうして」「妬ましい」「嫌い」などのわがままで独善的だけど真っ直ぐな思いを、向かい合う少女同士の心象風景に沿い、歌劇の戦闘形式で純粋にぶつけ合う。 しかも、歌劇だからこそ舞台装置に表現上の制約がなく、全力で心象風景の映像表現ができる。
剣戟、デコトラ、競技、舞台裏への逃走、ランドマーク破壊、生と死と再生などなど。
皆殺しにあっても蘇り、ショーは続いていく。Show Must Go On.
目まぐるしく移り変わっても、どんなシーンを持ってきても何の違和感もない。衝撃でした。 まだここまでの自由な映像表現ができたかと。
ダブルミーニング・伏線・象徴・ファウストなどの既存作品リスペクトの宝庫。

必ず口上と名乗りを挟み、武器を持って戦うのも、様式美的で素晴らしい。
ぶつかり合ってわかり合っていく。

自分の中で見たものを分かりやすく総括すると、映像表現としてはエヴァやパプリカに近いものを最初に感じた。 シン・エヴァで例えると、ゲンドウとシンジの戦闘が連続してる感じ。 あれをもっと舞台的に制約なく超壮大にして、一緒に暮らして関係性の深い生身の二人同士が、言いたいことぶつけ合って判り合っていく。
更にキリンという観客がいて、映画全体の陽の流れもあって。

これまでエヴァに代表されるセカイ系では、主人公が壮大な世界の運命を背負い、主人公一人の心の機微だけを大きくフォーカスして、テーマを描いてきたと思う。 セカイ系でなくても、これまでの作品上の描写は、作品それ自体のメインテーマから自ずと制約を受け、そこから逃れることは出来なかった。

一方のレヴュースタァライトは、メインのテーマは「卒業」という実写作品で語り尽くされたのではないかという甘々なテーマなのに、そこに歌劇というテーマを持ち込むことで「レヴュー」という舞台装置を成立させたからこそ、そこで揺れ動く心情のぶつかり合いの心象風景を自由に表現できた。
キャラクターの信条自体は泥臭く独善的で小さな世界であっても、アニメだからこそ舞台装置に物理的な制限はなく、無限に広がる予測のつかない流れになる。
また、一人の心象風景だけではなく、仲の深いキャラクター同士がぶつかり合うことも大きな違いで、それだけに膨大な熱量が生まれる。
だからこそ、これほどまでに映像的に優れ、見るものに衝撃を与える作品になったのではないかと思う。

また、歌劇がテーマである故に、有名作品へのリスペクトをモチーフにしているのは勿論のこと、生活を犠牲にする日々の努力、選抜されるオーディションの悲哀、制作陣側が作品を世に出す時の恐れ、劇を支える裏方などなど、膨大な演劇に関わる背景までをも描いていた。 演じている声優さん自身にも通じるテーマであり、日々の思いと重なる部分も多くあっただろう。
声優さんが注目されるまでの大きな苦労、売れてからも日々重ねる必要がある努力は、十分に理解しているつもりだ。

そこまでに気持ちが込められた演技とミュージカル調の歌、そして制約のない映像表現が連動し、溢れ出る奔流がパワーとなり、ガツンガツンと衝撃を受け続ける時間だった。 ただただものすごいものを見ていた。

言葉だけを信条とし心の支えにしていた少女が、「そんなものは私に届かない」とはねつけられ、割腹を迫られた。 その刀を持って、言葉ではなく気迫で斬りかかっていくのは心に刺さる熱いシーンだった。

そして、キリンは(僕は見ていないが)TV版の続きを求める観客・ファンそのもののモチーフであろうことが、初見の僕とも十分に理解できた。
なぜなら、この作品の流れは深く知らずとも、他の何かしらの作品に魅せられたことがある一人だから。
魅せられて望んでも、機が合わなければ続編のストーリーは生まれない。
切望したからこそ、自分がその熱で燃え尽きにいくような、できるならその作品の一部として身を投げ出したいぐらいの熱量を持って観にいく。
誰もがそんな心に残る作品の思い出があるだろう。
ならば見ているその瞬間の観客すらも、舞台を構成する一部と言える。

初見の僕を含めた観客の思いすらスムーズに取り込み燃え上がる。 なんて恐ろしいところまで行き着いた作品だろうか。
作品をずっと追い駆けていたファンなら、思いはひとしおだっただろう。

その熱量が、次の作品を演じる、制作するエネルギーとして使われる。
彼女たちは次の舞台に進んでいく。

初見でも間違いなく素晴らしい作品と理解できた。
映画史に残したいほどの作品。

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