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幸せハラスメントと幸福否定論

「幸せ」ってなんなんでしょうか。

手と手のしわを合わせて「しあわせ」。

かつて、村上龍のエッセイで読んで、すごく印象に残っていて、いまだに覚えているくだりがあります。

村上龍がなにかの小説で・・・『希望の国のエクソダス』だったかな。そんな題材の取材で、学校の先生から聞いて「なるほど」と思った話が面白かったです。

学校の先生は進学にあたって生徒たちの希望や方向性をヒアリングするわけですが、そのときに生徒が「多く口にする言葉」がその生徒に足りないものだという法則が見いだせたそうです。

つまり、「僕は自由が云々」という子は「自由じゃない子」だし、「夢が云々」という子であれば、圧倒的に「夢がない」子が多い、と。

これって、面白いもので、編集者の企画においても共通するものがあるように思います。「お金」の企画を提案することが多い編集者もあれば、「脳科学」とか「ビジネススキル」とか「ダイエット」とか、なんでもいいけど、編集者の個人的な偏りが誰しもあるものです(良し悪しではなく)。

マイテーマ(=自分企画)ってやつですね。

そんななか、自分のなかでよく出てくるテーマが「しあわせ」とか「真実」なような気がしています。ということは、自分には幸せと真実が足りてないのか・・・と思ってしまいます。

韓国の人気グループSHINeeのジョンヒョンが2017年に自殺しました。

そのときの言葉が印象的です。

「何年か前に酔ったとき、寝ている母と姉を起こして、『幸せか』と聞いてみた。母と姉が幸せなことが、人生の一番の目標だったから。2人とも目を覚まし、幸せだと言っていました」

「羨ましいことです。幸せだと答えることができるのは。僕も幸せになりたいと言いながら、わんわん泣きました。その時から幸せについて悩みました。半年ぐらい、どうすれば幸せになれるか具体的に考えました。僕には変化の時期が訪れたのだと思います。これからは幸せにならなきゃならない。幸せになろう、と」

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53879?page=2
より

SHINeeは当時絶頂期でした。でも、「自分はしあわせにならなきゃいけない」と追い込まれて、最後には自殺した。

このニュースを耳にしたときに、とっさに思いついた企画が『幸せになんてならなくていい』『幸せハラスメント』という企画タイトル案でした。「幸せについて悩む」って、その時点で幸せではないと思います。

「幸せとはこういうものだ」なんていう定義はどこにもないはず。

そんなテーマに合致して世に問うたのが『幸せを拒む病』(笠原敏雄・著)という新書でした。

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『幸せを拒む病』はじめに

 これまで私は、主として精神病や心身症をもつ人たちの心理療法を、四〇年以上にわたって続けてきました。最初の六年弱は、私の恩師が開発した精神病のための心理療法の当否の検証に当てました。それ以降は、心因性疾患全般を対象にして、独自の心理療法と、その背景にある人間の心の本質を模索してきました。
 その中で、他に類例のない心理療法の技法や理論が生まれるのと相前後して、普遍的な心の法則のようなものが少しずつごく自然に浮かび上がってきたのです。それは、時代や文化圏によって多少の変奏はあるでしょうが、主旋律としては、心因性疾患をもつ人たちだけでなく、おそらく人種を問わず、すべての人間に共通するものでした。
 現在の科学知識では、心に法則はないとされています。もちろん、私の長年の探究を通じて浮かび上がったのは、物理法則のようなものとは違います。人間の場合、あまりに複雑すぎて、物理学のようなまねはとてもできません。とはいえ、ほぼ決まった条件に従って起こるという点では、法則と呼んで差し支えないでしょう。そして、個々の法則の上位に、それらを律する原理のようなものがあることがわかってきたのです。
 たとえば、第1章でとりあげる「締切りまぎわにならないと手がつけられない」とか、「勉強しようとするとゲームをしたくなる」という現象や、「遅刻の常習犯」とか「三日坊主」と呼ばれる行動があることは、よくご存じだと思います。
 これらは、だらしがないとか、意志が弱いといった切り口でとらえられていますが、心の専門家であっても、自力で克服するのはきわめて難しいものです。これらを、たとえば、昨今の流行に従って、ADHD(注意欠陥多動性障害)の症状と考えたとしても、それを薬で解消できると考える人は、さすがにいないでしょう。何であれ、これらが多くの人に生涯つきまとうほどの、解決が難しい問題であるのはまちがいありません。
 とはいえ、これらの問題を、「誰もが生まれながらにもっている、幸福を否定しようとする強い意志によって起こった現象」として説明されると、ほとんどの人たちに強い違和感が起こるはずです。「そうした意志を弱めない限り、その解決はきわめて難しい」と聞けば、なおさらでしょう。
 しかし、長年にわたる探究の中で浮かび上がってきたのは、このような、常識とは大幅に異なる結論でした。これをもう少していねいに説明すると、次のようになります。

① 自らの「無意識の一部」が、自分が幸福の状態にあることを極度に嫌い、その幸福感を意識にのぼらせないような策を講ずる。
② それと並行して、自分が幸福ではないことを自分の意識に言い聞かせるために、目の前に問題を作りあげる。
③ その結果として生み出されるのが、心身症や精神病という病気であり、行動の異常である。

 この一連のしくみをつかさどる「無意識的な意志」のことを、私は〝幸福否定〞と呼んでいます。この比類のないほど強靭な意志は、本来もっている高度の能力を存分に発揮して、意識に気づかれないように自分の心身を自在にコントロールするのです。そのため、意識は完全にだまされることになります。
 これは、無意識に視点を置いた考えかたでもあります。しかし、これではばかばかしいにもほどがあるとして、一笑に付されるのが落ちでしょう。
 ところで、イエズス会司祭、ピーター・ミルワードは、おそらくこのしくみの一端について、善と悪は心の中で背中合わせに住んでいるが、「神の聖なる霊に近づけば近づくほど、邪悪な霊の誘惑にもさらされる」と述べています(『イエスとその弟子』〔講談社現代新書〕三五ページ)。キリスト教文化圏では、悪魔やサタンと呼ばれる邪悪な霊を、本来は人間の外部ではなく、人間の心に内在するものと考えていたようです。
 その考えに照らせば、幸福な状態に近づくと、自分の心に潜む悪魔が、それを妨げるべく動くことになります。わが国にも、「好事、魔多し」という、ある意味でそれに近い言葉があります。
 このように、比喩的に考えれば、あるいは深く考えさえしなければ、それほどの違和感はないかもしれません。ところが、これを、科学的な脈絡に位置づけると、即座に強い嫌悪感や反発が起こるわけです。
 こうした奇妙な考えかたは、私の恩師が発見した〝反応〟という客観的指標を使って、個々の着想を厳密に検討しながら、少しずつ発展させてきたものであり、単なる推定から生まれたものではありません。そして、三〇年以上の年月をかけて、細かい観察や実験的検証を経て、さらには、〝幸福否定〟の理論に基づいた心理療法による治療効果を通じて、この考えかたの妥当性を確認し続けてきたのです。
 とはいえ、どのように説明しても、それどころか詳しく説明すればするほど、ますます納得しにくくなるかもしれません。そのため、この考えかたの当否を判断なさる場合には、本書の随所で提示されるさまざまな根拠をご覧いただいたうえで、第4章で説明する〝感情の演技〟という具体的方法を通じて、客観的に検討してくださるよう、切にお願いいたします。その際に、本書の原典となった拙著(『懲りない・困らない症候群』〔『なぜあの人は懲りないのか困らないのか』と改題されて再刊〕、『幸福否定の構造』〔以上、春秋社〕および『本心と抵抗』〔すぴか書房〕)を参照していただければ幸いです。
 最後に、本書をお読みいただくに際して、若干の注意事項を記しておきます。ひとつは、一般向けの新書としては煩雑な感じになるため、留保条件をつけるのを避けたところがあることです。その結果、時として、舌足らずで少々断定的に感じられる表現になってしまったかもしれません。同じ理由から、引用文献の明記も、必要最小限にとどめています。それらの不足については、別著(『幸福否定の構造』や『本心と抵抗』)を参照していただければ幸甚です。
 もうひとつは、あえて反復を多くしていることです。読者によっては辟易されるかもしれませんが、本書のように目新しいことばかり書かれている場合には、同じ内容が何度も繰り返されたほうが、記憶に留まりやすいと判断したためです。ご容赦のほどお願い申し上げます。
ーーーーーーーーーーーーーーーここまで引用

いかがでしょうか。

「幸福否定」という心の原理。恐ろしいですね・・・。本書ではさまざまな「心の抵抗」の現象が紹介されていますが、身近な事例では「遅刻魔」がわかりやすいかもしれません。

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「遅刻魔」に共通するふしぎな特徴

 始業時間や待ち合わせの約束に必ず遅れる遅刻の常習者も、私たちのまわりにたくさんいます。ふしぎなことに、目的地が遠くても近くても、たとえば10分というふうに、いつも決まった時間だけ遅れる人が多いようです。
 そのため、その時間だけ早く家を出れば、遅れずにすむはずです。もちろん本人は、それを承知しているので、そうしようと努力するわけです。にもかかわらず、やはり同じ時間だけ遅刻してしまいます。このことからすると、意識的なものではないとしても、いつも何かの調整が働いているという印象を受けます。
 その結果、職場であれば、上司に厳しく注意されたり、重度の遅刻の場合には、減俸処分を受けたりすることになります。友人同士の待ち合わせなら、あいそをつかされたり、信頼を失ったりすることになるわけです。重症の事例としては、全国放送の大手テレビ局の、しかも生放送の仕事に遅刻し、大変な問題に発展した事例もあります。それでも、解雇されるまでは何ごともなかったかのように遅刻が繰り返されることが多いのです。同じ問題を抱えている人以外には理解しにくい行動でしょう。
 さらにわかりにくいことがあります。始業時間に遅れる場合、朝、起きられないためではないかと考える方が多いでしょうが、そうとは限らないのです。目覚まし時計をいくつか使ってすら、目が覚めにくい人が多いのはまちがいありません。ところが、遅刻の常習者の中には、朝早く起きる人もいるのです。にもかかわらず、支度に手まどって出るのが遅れてしまったり、支度が終わっても、ぐずぐずしていて、なかなか出ることができなかったりするのです。本人以外には説得力がありませんが、いわば、体が出かける方向へ動いてくれないということです。
 それどころか、出かける前に、天気がいいからもったいないという理由で洗濯を始めたり、いつもはできない片づけを始めたりして遅れる人もいれば、まにあう時間に家を出ていながら、途中で喫茶店に入ったりしてなぜか時間をつぶすような人もいるのです。
 これらの実例を見ると、むしろまにあわないように、つまり決まった時間だけ遅刻するように調整しているらしいことが、ますますはっきりしてきます。
 一般の心理療法やカウンセリングでは、〝気づき〟ということが重視されているようです。では、この場合、意識では自覚できないにしても、自分の中に「意図的に遅れるような無意識の調整が働いている」という、ことの重大性に気づいたとしたら、どうなのでしょうか。ところが、その気づきによって、遅刻がなくなることはほとんどないのです。
 要するに、意識は行動を変えるほどの強い力をもっていないということなのでしょう。残念ながら、現段階の人間の意識は、その程度のものです。
 このような身近な「問題行動」も、根はかなり深刻だということなのですが、さらに問題なのは、そのことを専門家も理解できていないということです。これは、由々しき事態なのではないでしょうか。
 この問題の深刻さをおわかりいただくために、次に、いわゆる〝プラス思考〟という考えかたをとりあげて説明しましょう。
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なんと。遅刻魔ひとつとっても、非常に根深い心の病理がかかわっていたのですね。それでも「意識」を変えて、「行動」を少しずつ変えていけばなんとか変わりそうな気もしますが・・・、続けてみていきましょう。

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〝プラス思考〟の難しさ

 最近は、〝プラス思考〟や〝ポジティブ思考〟という方法が奨励されることが多いようです。書店に並ぶビジネス書の多くでも、プラス思考の効能が並べ立てられています。
 プラス思考という考えかた自体は悪くないのですが、問題は、それが、言われているほど簡単なことなのかどうかという点にあります。
 たとえば、特に用事がない時に、一日中何もせずにリラックスした状態で、眠らないようにしながら、自分にとってプラスになることを考え続けてみてください。自分が抱えている問題が解消することでも、病気が治ることでもいいですし、同僚から評価されることでも、大切な相手から愛されているということでもいいでしょう。それを、単なる空想ではなく、なるべく現実的に実感を伴って考えるようにするのです。空想的になりやすいので、その場合には早く戻す努力をします。
 試してみればすぐにわかりますが、最初のうちはできても、しばらくすると不安がよぎるようになり、次第に悪い記憶や予測が意識に浮かび上がり、しまいには、意識が暗雲に覆われてしまうことが多いはずです。それと並行して、頭痛や腹痛や便意が襲ってきたり、いつのまにか眠り込んでしまったりすることも少なくありません(信じがたいことかもしれませんが)。
 単なる空想であれば、しばらくは続けられるでしょうが、それでも長くはもちません。いわゆる楽観的な人であっても、現実的に前向きの方向に考え続けるのは非常に難しいのです。ところが、悪いことであれば、いつまでも考え続けることができますし、その時に「反応」が出ることもありません。この大きな違いの原因は、どこにあるのでしょうか。
 いずれにせよ、人間は一般に、悪いことを考えるのは簡単であるのに対して、自分にとってプラスになることを実感を伴って考えるのは、なぜか非常に難しいことがわかります。以上のことからわかるように、通常の「プラス思考」という方法では、自分を変える力にならないということです。
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これって、そういえば『全脳活性で潜在意識を書きかえる』(山岡尚樹・著)という本でも、脳科学的観点から同じようなことが語られていました。少しだけ引用します。

 先ほどから「脳の使い方」という表現をしていますが、じつは、ほとんどの人は、脳を使うのではなく、脳に使われて生きています。
 毎日の生活をふり返ってみてください。
 たとえば、気持ちが前向きで、何事にも意欲的に取り組めるときは、物事がスムーズに運びます。これは多くの人が経験していることでしょう。
 反対に、気持ちが沈み、不安や恐れにとらわれているときは、面倒なことがいくつも重なりやすいものです。「泣きっ面つらに蜂」「踏んだり蹴ったり」「弱り目に祟り目」などの言葉は、そんな状況を表したものといえます。
 いや、今書いていて思ったのですが、幸運の連鎖を表す日本語はないのに、不幸の連鎖を表す日本語は、いくつもあるものですね。これは、私たちの意識がネガティブな出来事にとらわれやすいという証拠かもしれません。

わたしたちの脳や意識がついついネガティブな方向に傾きがちというのは、どうやら科学的にも正しいようです。

少し長くなりましたので、次回ふたたび『幸福を拒む病』に戻って、「自分がしたいことを実現するのは、とてつもなく難しい」というテーマを皮切りに展開していきたいと思います。


(フォレスト出版編集部・寺崎翼)

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