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読書:戦争でも平和でもない「今」と防衛費

防衛費増額の財源をどうするか、増税で対応するのか、国債を発行するのか、自民党内が騒がしくなっています。

それにしても、さすが自民党です。いや、圧倒的多数の与党だからできることですが、野党をその名の通り外野に置き、「統一教会問題」を吹っ飛ばす勢いで話題を振りまくことで、自党に注目を集めています。タブロイド紙の一面は、右寄りの夕刊フジも「自民」、左寄りの日刊ゲンダイも「自民」というわけです。

結局、法人税・所得税・たばこ税を財源にするという叩き案が出ているそうです。労働者かつスモーカーの私としては、そりゃないぜ、という気持ちです。

以前のコチラの記事にも書きましたが、国防だったらアメリカに型落ちの兵器を買わされるよりも、まずは「脱原発」でしょ、と。日本全土にある原発の1基でも、ドローンで爆弾を落とされたり、占拠されたら、日本終了なわけですから。

私がこんなことを書くのは、私がリベラルというわけではなく、むしろ保守を自認しているからです(どうでもいいでしょうけど)。そもそも人権というのはその国の防衛・国防があってこそ成り立つという考えなので(ある真性保守の作家から教えてもらいました)、個人的にはリベラルが言う天賦人権論には与しません。
したがって、国防自体は大切だと思っており、それゆえに防衛費の使い方を間違えないでほしい、と願っているわけです。

さて、こうしたキナ臭い話題が出てくるといつも思い出すのが、こちらの鴨志田恵一『残酷平和論』です。

「平和」と「戦争」はどちらが表か裏かわかりませんが、一枚のコインのように、ある日を境に一瞬でひっくり返るものです。
(中略)
一枚のコインには必ずギザギザのついた(ついていないのもありますが)側面というものがあります。この側面を静かに机の上に立てる、あるいはスピンをかけてグルグル回すと、コインは裏表ではない状態を保ちます。なんだかコロンブスの卵のようなお話ですが、この側面を厚くして横円柱にしたり、スピンを強くすると、コインはなかなか裏表になりません。つまり、戦争でも平和でもない「中間状態」となっているのです。
この「中間状態」をどのように言語化したらいいのか、著者もまだわかりませんが、いわゆる「平和ボケ」ではなく、「無為安定」あるいは「自律調和」というようなイメージでしょうか。実際の人間の歴史とは、この「中間状態」が本体であって、戦争や平和はむしろ束の間の異常事と捉えなければならないのかもしれません。

鴨志田恵一『残酷平和論』まえがき

これは東日本大震災後に出版された10年以上前の本ですが、今の日本が「平和」でも「戦争」でもない「中間状態」であることは変わりません。
そして、この「中間状態」を維持し続けることが大切という主張を読んだとき、私は膝を打ったものです。
今もこの考えの影響を受けていて、二元論に陥らないように国防に関する言説を眺めています。
政府が敵基地攻撃能力を推し進めようとして今、あるいは憲法9条の改定問題などがあったとき、つまりどちらか一方に針が大きく振れそうなときは、その反対側の情報に注目することで個人的な思想のバランスを取るように意識しているわけです。
冒頭の話に戻りますが、権力を持っている側のほうが民意を優位に傾けることができるので、そんなときこそ、反対側の意見の重要性が増します。
左右両陣営が永遠に終わらない綱引きをすることに煮え切らない思いを抱く人もいると思います。しかし、そうした「中間状態」を保つことこそがいかに大切なのかを『残酷平和論』は教えてくれます。

こちら、オススメです。ぜひご覧になってください。

(いしぐろ)


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