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僕がnoteに書くこと。

皆様、初めまして。

流通経済大学駅伝部で陸上競技をしています。
森川蒼太(もりかわそうた)です。
陸上を始めて今年で7年目になります。

このnoteをなぜ始めたかというと、
記事を書くことで今までの自分を
振り替えることができるかなと思ったからです。
高校、大学と強豪校ではない学校を、
歩んだ僕のことを練習やメンタル面の事なども
踏まえて自由に書いていこうと思っています。

自己紹介

Personal Best / 自己ベスト

1500m 4'00"72(大学1年)

5000m 14'05"52(大学1年)

10000m 28'37"79(大学3年)

ハーフマラソン 62'14(大学3年)

自己ベストをみるかぎりそこそこ速いのでは?と
自分では思っています笑
ではこんな僕が高校までどういう経歴を辿ったのか
これからザッとお話します。
興味ない人はすっ飛ばしてもらっても大丈夫です笑

小・中学校時代 / 陸上はしていなかった

僕は小さい頃から陸上競技をしてませんでした。
小・中学校はサッカーをしていました。

当時 小学校6年生


父の影響でサッカーをはじめてこの頃は
生活の中心にサッカーがありました。
早朝は父に自転車で並走してもらい、
3キロのランニングをしてから
公園で練習をしていました。
トレ選に選ばれたり、Jリーグの下部組織の方から
プレーを褒めて頂いたりとそこそこ自信はありました。

しかし試合中の空中戦で両腕を
骨折するというサッカーでは
あまり聞かない怪我をしてしました笑
長期離脱の末、もとのプレーが出来なくなり、
サッカーは部活動でする程度になりました。
この時は誰よりも長距離が嫌いで

「そんな長い距離走って何が楽しいん?」

って思ってました笑

小・中学校時代 / 長距離を始めるきっかけ


そんな僕が陸上の長距離に
足を踏み入れるきっかけになったのは
市の駅伝大会でした。
サッカーをしていた時から
もともとスタミナにはかなり自信がありました。
僕の中学校には陸上部がなかったこともあり
駅伝メンバーで僕が最速でした。
だから市の駅伝大会では1区に抜擢されました。
小さな大会ということもあり、
完全に舐めていた僕は同じ区間で
とんでもなく速い選手に出会うことになります。

現在も明治大学でエースとして活躍している
森下翔太選手です。

第99回箱根駅伝 3区 区間4位の時
写真:明治スポーツ新聞

あまりにも衝撃的でした。

こんな速い子がいるのか。

と思ったのは今でも鮮明に覚えています。
この時はもちろん完敗しました。
その後、僕の走りを見て地域のクラブのコーチが
市区町村対抗駅伝に出てくれないかと誘いが来ました。そのチームに森下選手も選ばれていました。
短期間ですが、一緒に練習をして
本番に望んだのですが、陸上をしている子達には
全く太刀打ちできなかったです。

でもこの駅伝を走って

走るって楽しい!駅伝って楽しい!

そう思って陸上を始めました。

結果報告会で仲良くなった2人
左:僕 右:森下選手

高校時代 / 苦しかった3年間

陸上を頑張ろうと思って入った高校が
女子の強豪で知られている岡山興譲館高校です。
ですがそこで待っていた衝撃の事実が、
男子部員は僕1人ということでした。

1年生の時は周りは女子の先輩ばかりで
肩身が狭かったです。
でもメンタルは結構鍛えられましたね笑
ひとりでも練習を工夫したりしてなんとか
タイムを出していました。
(どんな練習をしたかはほかの記事に書きます。)
1年生の終わりには15分10秒まで5000mの記録を
伸ばすことが出来ました。

今見てもすごい光景ですね笑


そして2年目からは後輩が5人も入ってきてくれて
すごく賑やかで楽しかったのですが、
その分キャプテンという立ち位置になり
多くのことに悩み、怪我やスランプで競技が
上手くいかなくなった時期でもあります。

なんとかその時期を乗り越えましたが、
最後の1年はコロナウイルスにより
ほとんどの大会が無くなりました。
でもそんな中でもなんとか目標を見失わず
県高校総体代替大会優勝、中国高校駅伝出場などを
達成することができました。

高校3年次の中国高校駅伝

今はいい思い出になっていますが振り返ってみても
苦しい3年間だったなと思います。

ここまでが大学入学までの
僕の陸上競技人生です。
次の記事から大学生編に突入したいと思います。
そして高校時代の練習内容などは別の記事で
詳しく書いて行きたいと思います。

ここまで拝読して頂きありがとうございました。



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