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旅、グルメ、美容、健康、ファッション、環境 好きなことがどんどん増える好奇心旺盛女子で…

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旅、グルメ、美容、健康、ファッション、環境 好きなことがどんどん増える好奇心旺盛女子です♡ 高校2年生からお付き合いしていた彼と12年目にして入籍いたしました♡

最近の記事

入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈15〉

「Nanaは結局どうなりたいの?  Nanaが何に悩んでるのかわからないから、  俺はどうやって慰めていいのかわかんないよ。」 旦那さんがそう言いましたが 私は涙を流すことしか出来ませんでした。 「私だってわからないよ。  ただなんだか今の自分が好きじゃなくって  何が出来るのかわからなくって  何が悲しいのかわからなくって。」 そう思っていましたが、 旦那さんには伝えることが出来ませんでした。 幸い(なのか?)翌日は長男家族の家に 泊まりに行くことが決まっていたので

    • 入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈14〉

      もともと私は好奇心旺盛でミーハー。 新しいものに挑戦したり 新しい所に行くのが大好きでした。 気分の浮き沈みもあまりなく、 いつも元気ということが私の取り柄だと 自分でも思っていました。 ですがこの頃から、あまり家から出たいとも思えず 大好きだった外出をしようとも思えませんでした。 旦那さんや旦那さんのご家族、友達と出かけたり する時は元気なのですが、 平日になると急に萎れてしまいます。 ひとりになると急に悲しくなって 大きな声で泣いてしまったり いつもだったら笑い飛

      • 入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈13〉

        やっと自宅に帰って来たかと思えば それからもすることは山積みで、 父の税金を払ったり、銀行に行ったり役所に行ったり 今までしたことがなかったことの 連続でした。 相続について右も左もわからず、 資料を集めるのにも四苦八苦し、 遠方にいる兄達のためにも家に関することの ほとんどを私がするしかないと決意したのです。 そんな中私たち夫婦はこんな時だからこそ 延期が決まった結婚式をして 両家の気持ちを明るくしたいと思い、 11月に結婚式をすることを決めました。 もともと結婚式と

        • 入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈12〉

          喪主が35歳という平均年齢がとても低い遺族の葬儀は やはり少し異質だったのかなと思います。 私たちは喪主側として葬儀に出たことが あまりなかったので 家族みんなが見よう見まね、 皆が「ごっこ」をしているような 気持ちだったんじゃ無いかと思います。 年配の方や私たちよりも経験の多い方から見ると 私たちが行った葬儀は至らなかったり おかしな所があったかもしれませんが 私たちの精一杯でした。 それからの一週間は実家に帰り、 医院の玄関に焼香台を置いて、 父の焼香に来てくださる

        入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈15〉

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈11〉

          葬儀場に着いたのは22時半、 その葬儀場はとても温かい会社だったので 「今夜のお父さんには私どもが付いておりますので  本日はお家に帰ってゆっくり休んでください。」 と言ってくれました。 夜遅い時間に自宅に帰りベットに入って 「もう携帯を握りながら寝なくてもいいのか  病院に呼ばれることも無いんだもんな」 そう思いながら旦那さんにしがみついて眠りました。 翌朝何もわからない中で 数日分の着替え等の生活用品を準備して 父の葬儀場に向かいました。 幸い旦那さんはリモートワー

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈11〉

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈10〉

          母が亡くなった時、私はまだ中学3年生だったし それはもう十数年前のことなので、 全く覚えていないとまではいかないけれど 3番目の兄が 「お母さんいつでも家に帰ってきてね」 と声をかけると母は意識が無い中で 頷いていたのを覚えています。 父も反応してくれるかなと思い たくさん声をかけたけれど 父は何も言いませんでした。 しばらくは父の体は温かく 私と旦那さんでずっと手を握っていました。 私が放心状態でいたので、 旦那さんが兄達に電話をしてくれていたそうです。 旦那さん

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈10〉

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈8〉

          泣くわけにはいかない。 父の前ではずっと笑顔でいたかったんです。 心配はかけたくなかった。 兄と2人で父に声をかけていると 「またな。」 とだけ言って、父は眠ってしまいました。 父が入院してからの毎晩、 病院からかかってくる電話が怖くて、 でもそれを逃すわけにはいかなくて 毎日iPhoneを握って寝ていました。 1月18日、病院からのお泊まりの許可が出たので その話を聞きに病院に向かいました。 ソーシャルワーカーの方から 父は緩和ケアを希望していて 「奇跡的に緩和病棟

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈8〉

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈9〉

          病院の入り口をくぐったところで 病院から電話がかかってきました。 「お父さんの心拍が弱くなっています。  いつまで持つのかわかりません。」 電話を受けて、 本当はダメだったかもしれませんが 私は走って父の病室に向かいました。 確かに父の心拍は午前中に来たよりも 明らかに弱く、不安定になってました。 「父ちゃん!  あたし来たからね!  父ちゃん!やだ!やだ!」 泣いて叫ぶことしかできませんでした。 担当してくれていた看護師さんが気付いて来てくれて 私を強く抱きしめ

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈9〉

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈7〉

          病棟移動の日は会えないと言われたので その日は差し入れだけ許可されました。 父に頼まれていたお気に入りのチョコケーキ、 義母と作ったスコーン、日用品、手紙を差し入れました。 今までは面と向かって話すには恥ずかしいような 感謝や愛していることを手紙に書いて渡しました。 「パパも一緒な気持ち。  5月まで生きたくなった。  1日でこんなに長い手紙、復活の狼煙は上がった!」 5月は本来結婚式を行う月でした。 私はもちろんお父さんとバージンロードを歩くつもりだし なんなら孫も見

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈7〉

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈6〉

          2人でいつも通り朝起きて、 入院に関する書類の記入と入院の準備をしている時に 大学病院から電話がかかってきました。 「お父様は肝臓がんの治療のために入院する予定でしたが  新型コロナウイルスに感染しておりましたので  一般病棟ではなく隔離病棟となります。」 「は、はぁ…」 と、すっとんきょうな反応しか出来ないくらいの 驚きでした。 その後準備を済ませ、 寒空の中救急用の出入り口の前で私の上着も貸して 車椅子に座るもこもこの父としばらく待っていました。 やっと、入れたと

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈6〉

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈5〉

          父から肝臓がんだと告げられたのが昨年の12月28日。 家族で話し合いふわふわと 何も考えられない頭でお正月を過ごし 入籍後初の旦那さんの祖父祖母邸で年始を過ごしました。 1月4日に父の入院前の検査をするために大学病院に向かいその病院で 父の癌はステージ4だと告げられました。 癌を治すための他の肝臓部分が ほとんど正常に機能しておらず 投薬するにも負担が大きすぎて投薬できない事。 余命を伝えることすらできない事。 あまりにも大きな衝撃でした。 そんな時も父は私がまだまだ小

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈5〉

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈4〉

          そんな私も気が付けば28歳。 私が語学留学に行ったり、今度は旦那さんが行ったり。 旦那さんの仕事の関係で東京に引っ越したり、 結局地元に帰ってきたり。 なんだかんだあって大好きな旦那さんにプロポーズをしてもらい。 お祝いで行った旅館で仲居さんに入籍を言いふらす 嬉しそうな父も見られて今は幸せに向かうだけだと 思っていた矢先、父の体の不調が続きました。 コロナウイルスの蔓延から 診察、ワクチン接種で毎日が激務。 朝食を食べずに朝8時半に病院に行き休みなく働き 昼休みには疲

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈4〉

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈3〉

          そもそも私の母は私が3歳くらいの時に 乳癌が見つかり右胸を全摘していました。 その時に子供達を笑顔にさせるべく父が行った作戦は ピザで子供達を釣ろう作戦! その時に目も当てられないほど太り顎が無くなった話と 母の病室で描く母の似顔絵には いつも天使の羽と輪っかがついており 母を不安にさせた話はまたの機会に。 それから約10年後に乳がんが再発しその頃には身体中に転移していました。 たくさんの治療をしましたが、 私が中学3年生の時に母は亡くなってしまいました。 もともと仕事

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈3〉

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈2〉

          なぜ今このような状態になってしまうかを話すにあたって 私という人間について少し語らせてください。 私は田舎にある開業医の長女として生まれました。 長女といっても上に3人の兄がいる4人兄妹の長女です。 皆さんのご想像通り、父からは 目に入れても痛くないほど可愛がられ 母からは厳しく育てられました。 小さな頃の父は静かで優しい印象で 母はよく私に怒鳴っていてげんこつや ビンタは普通にあったし 母の機嫌が悪いと理不尽に怒られた経験もありました。 大人になってみてあの頃の母を思う

          入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈2〉

          入籍10ヶ月で適応障害になった話

          初めての投稿であったようにお付き合いして12年目の彼氏さんと入籍し、 今年の5月に結婚式をする事が決まっていた絶賛幸せ者の私ですが とある理由で結婚式を中止し11月に延期となりました。 前回投稿した際には何も考えずただ幸せな結婚式に向けて 毎日がハッピーでした。 それが今なぜ適応障害になってしまったのか、 自分自身の頭の中を整理するためにも ここに記していこうと思います。                                Nana.N

          入籍10ヶ月で適応障害になった話

          結婚指輪っていう存在

          お付き合いを始めて11年、入籍して3ヶ月 やっと待ちに待った結婚指輪が届きました。 婚約指輪は特に欲しいという訳でもなかったので つけ心地がとっても気に入った MEISTERというスイスのブランドの結婚指輪を 2人で買いました。 届く前、結婚指輪はただの「アクセサリー」 だと思っていました。 ペアリングの延長、ちょっといいやつだよねって 勝手に思っていました。 だけど実際に着ける結婚指輪はやっぱり違う。 ふとした動作で結婚指輪が目に入ると 旦那さんの事を思い出したり、

          結婚指輪っていう存在