見出し画像

誤訳事例研究03 ~日本語訳文の主語省略が不適切となる場合~「新型コロナ、“無症状”でも無害とは限らない」より

(2021/10/7 9:30追記:「私訳の補足」の記載が不十分でしたので修正・追加を行いました。あわせて「私訳の補足の補足」を追記しました。)

訳文と原文

今回はNational Geographic 「新型コロナ、“無症状”でも無害とは限らない」より。日本語訳記事はNational Geographic日本版公式サイトまたはYahooニュースで閲覧可能です。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/090300433/

https://news.yahoo.co.jp/articles/64f5d29173a93de81e35870bb6734286e6538f21

気になったのは、第2段落冒頭のコメントです。

「これが事実だと確認されれば、症状がなくても無害とは限らないことを示唆している」。

一読して、違和感を覚えたので、原文を確認してみました。

https://www.nationalgeographic.co.uk/science-and-technology/2021/09/why-some-covid-19-infections-may-be-free-of-symptoms-but-not-free-of-harm

“If confirmed, this finding suggests that the absence of symptoms might not necessarily mean the absence of harm.”

訳文の問題点

見比べて違和感の正体がわかりました。訳文の後段、「症状がなくても無害とは限らないことを示唆している」の主語がないのです。

英語原文においては、if節と主節の主語がともに "this finding" であることは明白です。しかし、訳文における「これ」は前段のみの主語となっています。

「別の意味に捉えられるおそれがある」「意味が全く分からない」というわけではないので、訳としての問題は比較的小さいとは思います。

しかし、「英語では全く問題のない文を(基本的な構造を概ね正しくなぞりながら)訳した結果、日本語として正しくない文になっている」ので、これも誤訳の一つです。
誤訳の類型としては「日本語能力の不足によるもの」です。
加えて、「論理的思考能力の不足」もあるのですが、この点については「私訳の補足」において後述します。

私訳

私訳を示します。

この所見が正しいとすると、症状が一見みとめられなくても、それをもって異常がないとは言いきれないかもしれないのです。

なお、OALD onlineから、今回の原文に対応する語義を示します。

confirm 1. to state or show that something is definitely true or correct, especially by providing evidence
・to confirm results/findings

suggest 3. to put an idea into somebody’s mind; to make somebody think that something is true
・All the evidence suggests (that) he stole the money.

私訳の補足

suggest の訳語として「示唆する」が浮かぶ人は多いでしょう。訳文でもそうなっています。しかし、今回はその訳語では不都合があります。

もう一度、原文を見てみましょう。

“If confirmed, this finding suggests that the absence of symptoms might not necessarily mean the absence of harm.”

ここでの suggest が「示唆する」の意であれば、つまり、「このfindingは、○○は××であることを示唆している」という意味の文であれば、論文に当該内容を示す内容が記載されていることになります。

「ある事柄が論文に記載されているかどうか」は(確定した過去の)「事実」です。

「事実」ですので、「(今後、他の研究者により)論文の内容の正しさが確認されるかどうか」に左右されることはありません。

つまり、(今後、他の研究者により)論文内容の正しさが確認されれば「示唆する」が、確認されなければ「示唆しない」ということはありえません。

将来の、他の研究者の見解により左右されうるのは、「示唆している内容が正しいのか誤っているのか」という点のみであり、「示唆しているかどうか」ではないのです。

しかし、この文は”If confirmed," で始まっており、「(今後、他の研究者により)元の論文の内容の正しさが確認されれば」という条件がついています。

よって、この文において「suggest = 示唆する」と考えるのは無理があります。

それでは、どのように考えればよいのでしょうか。
OALDの定義も踏まえて直訳的に考えれば、「元の論文の内容の正しさが(他の研究者により)確認されれば、私(=発言者)は『"症状なし=異常なし" ではないかもしれない』と言う考えを持つだろう」ということです。

一方、この文は「どうなるか全くわからない将来の事象」の話をしているわけではありません。実際には、「『元の論文の所見は正しい』という(現在の)条件を置いたうえでの(現時点の)自らの解釈」を述べている文です。主節に will 等が使われておらず、現在形になっていることからもそれがわかります。

これを踏まえた私訳を原文とともに再掲します。

“If confirmed, this finding suggests that the absence of symptoms might not necessarily mean the absence of harm.”

この所見が正しいとすると、症状が一見みとめられなくても、それをもって異常がないとは言いきれないかもしれないのです。

私訳の補足の補足

実は、表現を工夫すれば、日本語訳として「示唆している」という訳語を使うことができないわけではありません。

引用した日本語訳記事においては、「これが事実だと確認されれば」と「示唆している」を同時に使ったことで「誤訳」が確定してしまいました。

「これが事実だと確認されれば、症状がなくても無害とは限らないことを示唆している」。
(日本語訳記事より)

「これが事実だと確認されれば」は一般論としては、"If confirmed," という表現に対する訳として妥当だと思います。

しかしこう訳すと、明確に将来の事象を条件とする内容になるので、「示唆している」という訳と同時に使うと論理的に破綻してしまうのです。

機械翻訳 DeepL についての分析

今回取り上げた一文を機械翻訳 DeepL で試しに訳してみたところ、 興味深い訳文になりました。それをもとにDeepL の仕組みについて別記事で考察してみました。

おわりに

読んでいただき、ありがとうございました。

ちなみに私の専門分野(実務・翻訳ともに)は、会計です。

日本語訳は、国際会計基準、米国法令、米国会計基準(いずれも社内用)、
英語訳は、会計・監査関連法令、監査基準、アニュアルレポート(公的機関や上場企業における公式)
等の経験があります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?