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ヴァンピールの娘たち Ⅰ-2

両親から「人は生まれながらにしてエグザイルであり、一所不住の生活を強いられている」と教えられて育った姉妹。彼らは幼稚園児の頃から妄想癖に取り憑かれ、絶えず何かを演じずにはいられなかったが、それはエグザイル追放者としての生を引き受けた者らの、いわば宿命だった。

『ヴァンピールの娘たち』Ⅰ-1 あらすじ


Ⅰ-2. 父と母の秘密を知ろうと姉妹は夜更かしをする。とある吹雪の真夜中に姉妹は甲冑姿の両親を認め、妹は生首と対面するが、後年姉によってその事実を否定される


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 姉は妹の「トリセツ」をよく心得ている。自分からはいいにくいこと、しにくいことを実現するのに、妹の前でふと思いついたというテイで独りごちさえすれば、希望は必ずといっていいほど叶えられた。たとえばこんなふうに。
「ところでチチとハハのシゴトってなんなんだろう」
 好奇心が人一倍強い上に、人の役に立ちたいという、承認欲求のほかならぬ一変形に絶えず駆られている妹の性格をよくよく見抜いての、姉による遠隔操作だった。はたして妹は、次の瞬間にはサンルームに躍り込んで、ソファで銘々読書に耽る二親に向かって、尋ねていた。
「ねえねえ、チチとハハ、シゴトはなにしてるの?」
「ハンターだよ」
 躊躇なく父が答えた。本から顔を上げすらしなかった。
「トレジャー・ハンター。お宝をゲットして、その歩合を稼ぐの」
 母が引き継ぐ。彼女もまた、本から顔を上げぬままだった。
「ふーん」
 それでしまいだった。
「ハンターだって。トレ……なんていったっけか……」
 姉に報告しにいくと、
「トレジャー・ハンター。ぜんぶ聞こえてたから」
 姉は姉で姉妹の部屋の二段ベッドの上で腹這いになりながら、何度目だか知れない『銀河鉄道999』の古い漫画本のページを繰っている。そのおざなりな返答こそ妹を傷つけるのだったが、姉になにかを頼まれたわけではないのだから、ちょっとでも見返りめいたものを求める自分のほうこそ間違ってるとは百も承知。こんな具合でいつも傷心する妹は、二段ベットの下の布団に潜り込んでいつか寝入るに如くはないと心得るが、布団に入ろうとすると、上からバサリと長い髪が垂れてきて、逆さになった姉が、「あんた、こんな時間から寝るなよな」と戒めて、ニタリと笑いかけるのだった。

 幼稚園児であれば、両親の仕事はトレジャー・ハンターだと仮に公言したところで、周囲に怪訝な顔をされるどころか、目を細められたにちがいない。じっさいは引越しを頻々と強いられる日常にあって、両親の仕事を誰かに尋ねられることもなければ、自ら人に教える機会もなかった。トレジャーとは宝物で、ハンターとはそれを狩る者/獲る者。姉が妹にそう教える。かくして二人の頭のなかでは、ピラミッドや洞窟の奥深くに隠された金銀財宝を、それを守護するミイラやドラゴンの攻撃をかわしつつ、どうにか頭陀袋いっぱいにして生還する、映画の主人公のような父と母が絶えず躍動した。そしてまた、トレジャー・ハンターも、バスの運転士や保育士、医者やスーパーの店員その他と変わらぬ、ごくありふれた仕事のひとつと思って疑わなかったのである。


 姉妹が両親の「秘密」を探ろうとしたことなら、一度ならずある。両親は家を不在にするさいに、自分たちの部屋に近づいてはいけないと、二人にいい聞かせたことなど一度もなかった。姉妹が禁じられることはなにひとつなく、しかしどの土地に越しても父と母の寝室には鍵がかけられた。二人が在宅であってもそうだったのだから、親の居室とはそういうものだと姉も妹も思っていた。
 それを、なかになにがあるのかどうしても見たい、となったのは、薄三毛のタンヌがきっかけだった。あるとき、父と母の居室のドアを彼女が執拗に開けようとしたことがあったのだ。ドアの隙間に前足の爪を差し入れて、これを引こうとする。あるいは伸びをしてドアの表面に取りつき、ひとしきりガリガリと爪を研ぐマネをする。あるいはドアノブに前足をかけてこれを回そうとする。もともと越して早々家の隅々を探索せずにはおれない性質だから、そうすること自体不思議はないようなものの、さすがにうるさいので姉妹がたしなめにいくと、こちらを向いて切なげに鳴いて訴える。これがまた執拗で、こういうときは餌箱に餌がないときと、庭のある家であれば庭に侵入者のいることを知らせるときと決まっていた。タンヌを両腕に抱きかかえ、姉がおもむろにドアの表面に耳を押し当てたところが、
「なにかいるんじゃない?」
 妹もまた耳を押し当ててみて、気配のようなものを聞き取った。
「聞こえる?」
「うん」
「なんだろう」
「なんだろう」
「寝息みたいなのが聞こえる」
「ドラゴンでも眠ってるんじゃない?」
「ドラゴンはこんな小さな家には入らないよ」
「じゃあ、ドラゴンの赤ちゃんなんじゃない?」
 以来、父と母の鍵のかかる部屋のことが、姉妹の小さな脳中の大半を占めるに至った。二人とも好奇心の虜となり、とりわけタンヌが関心を示すときには、二人してドアの表面に取りついて片耳を押し当てる。するとはたして、なにかの気配——かすかな寝息、衣擦れの音、床を忍び足で這い回る音——が伝わって、姉妹の想像力を掻き立てた。それはドラゴンの赤ちゃんかもしれず、手負いのミイラかもしれず、あるいはアブサンの瓶に閉じ込められた妖精かもしれなかった。部屋内に向かって姉妹が呼びかけると、気配はピタリと止む。呼応するのは決まってタンヌで、長々と尾を引くような切なげな鳴き方をした。

 父と母の仕事はいかにも不定期だった。一週間と家にこもって日の大半を読書に費やすことも珍しくなかったし、出かけるときは娘たちにいい置くどころか書き置きひとつ残さず、日中にいないこともあれば夜通し留守にすることもあった。二、三日家を空けることもあったが、二親がいなくとも、幼い二人は定刻にきちんと起き出し、寝床を整え、着替え、パンを焼き、歯を磨き、そして火の元を確認してから家を出て施錠する、を当たり前のようにこなした。そして手と手を取り合って、幼稚園バスの停まる所定の位置まで走った。

 両親の帰りを待って、夜更けまでまんじりともしない夜々も当然あったわけだが、姉妹が睡魔に勝てた試しなどなかった。いや、ただの一度だけ、深夜に帰還した父と母を寝床から窃視した覚えが、下の娘にはあった。
 その頃の姉妹兼用の部屋は、一階にある六畳の和室だった。玄関を上がると廊下の手前から左手に四畳の物置、便所、風呂と続き、右手が客間、台所兼食堂、そしてくだんの姉妹の部屋。廊下の最奥が階段で、両親の居室は二階だった。廊下に面する襖戸をわずかに開き、寝床にいながら姉妹は二親の帰還を待ちあぐねていた。
 玄関の扉が開いて、途端に風の咆哮とともに冷気が家のなかへ舞い込んだ。吹雪の晩だったと妹が記憶するゆえんである。金属の軋む音、打ち鳴る音が物々しく立って、上り框へ四つの足のかかる音こそ入り乱れ、物々しい上に重々しい。姉妹は腹這いになり、布団を頭の先まで引き被っていた。妹は姉の軀へピタリ身を寄せた。二人の切り詰めた呼吸が次第に一になる。
 階段に灯る常夜灯の余光を撥ね散らし、一瞬覗いた父母は、あたかも銀色の大きな甲虫のようであった。それが、西洋甲冑と呼ばれる衣装であったとは、後年知る知識。首から上は生身で、歩くのも覚束ない母はすっかりうなだれて、父が脇から重たそうに支えている。母が手負いなのは明らかだった。その右手になにやらぶら下げるのを、下の娘は見逃さなかった。スイカ玉のようなそれは、母が歩を進めるに合わせ、ゆっくりと回転する。そして刹那、スイカの上半分にあると見えた、闇の一段と濃い帯だか窪みだかがパッと弾けたかと思うと、ぬらりと光を溜めた二つの点が、彼女の視線を正面からまともにとらえた。
 人の首。
 蓬髪に雪の破片のところどころ付く様まで、妹は後々も鮮明に記憶することになる。

 その夜見たことについて、妹は姉と話し合う機会をすぐには持たなかった。姉がまず避けるようであったというのもあるが、妹自身、夢か現実か決めかねた。両親の、その後の変わりない日常を見るにつけ、幼い娘は夢を見たと断じ、自らをそのように説得し、じき忘れていったに違いなかった。
 のちの南米放浪時代、妹は姉にその記憶について、一度だけ解禁したことがある。姉は言下にこれを否定した。生首はおろか、甲冑姿の父母などあるはずがないし、ましてや真夜中に姉妹して彼らの帰還を見届けた事実もない、と姉は取り合わなかった。
「クゥの妄想癖には昔から手を焼いたよね」
 姉はいうのだった。

 ムゥ。
 それはアンタもだけどね。


つづく

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