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歪んだ顔と、整えたい心。

私には木村氏病という謎の持病がある。木村さんが見つけた病気らしい。ちょっと笑う。
左の側頭部〜耳前部にかけて腫瘍ができ、肌が浅黒くただれ、出っ張っており、スルメイカなどを食べると痛み、なにより、四六時中とてつもなくカユイ。

発症はおそらく10年前、
突然出血し異変に気付いたのは5年前、
4つの病院を経て病名がわかったのは3年前、
手術し、再発し、進行し、いまに至る。

根本的な治療法は、まだない。腫瘍はどんどん大きくなり転移するが、2度の手術で顔面神経は傷み、これ以上の切開には耐えられない。
ただ、死に至る病でもなし、基本的には一生付き合っていくスタンスである。花粉症なんかと同じ類だ。

40代男性に多いとされる病だが、私は20代女性。
だからか、自身が最も苦しんでいるカユミ=掻痒感よりも、他者からは顔の歪みについて残念がられることが多い。
かかっている病院でも、頼んでもないのに、結婚式などで一時的に腫瘍を凹ませる方法を提案されたりする。
気の知れた友人たちは親切にも「また大きくなったね」と指摘してくれるし、ふとした時の稼働性や写真で、進行する歪みを実感する。
JKを最後に化粧は殆どしないし、美容室も行かない。鏡を見ることや自撮りもしないので、見た目なんて全然気にしないと思っていた。
でも、日に日に歪んでいくのは、何度直しても遅れる時計のようでやはり情けない。気付かない人も多いけれど、自覚してしまってからは、なんだか気がかりだ。
いま、この瞬間も、歪(ひず)んでいく顔。最初は痒みだけだったのに、次第に見た目も気になる病気になってきた。

もっとも、見た目問題とするのは大袈裟かもしれないが。普通に生活することにさえ苦しみ、真摯に向き合い、乗り越えている人は沢山いる。彼らのその壮絶さとは、比べる余地もない。

とは言えこの年になると、みんな大小なんらかの病を罹患していて、人間はエラーがあるように設計されていることを思い知らされるのだが、この歪みゆく顔にあって、せめて心だけは整えていたいと願うのは、なんとも悪あがきだろうか。


いつもの検査で数値がぐんと悪化し落ち込んでいたとき、偶然にも、大学院の研究機関免疫性疾患を対象にマインドフルネスの治験を行うことを聞きつけた。すぐさま応募し、幸運にもオンラインでの治療を受けられることとなった。
そのころコーチングやらポジティブ心理学やらにやたら警戒心を抱いていたのだが、たまたま安田登さんの著書でロルフィングやマインドフルネスの話を読み、そういったものに惹き付けられる人々の行動そのものに興味を持ったところだった。

治験を通じてマインドフルネスの概要を学び、実践するうちに、点だった色々な行為が、線として繋がっていく感じがした。
美術館で子どもたちと行っている対話型鑑賞も、ひたすらに型通りに動く日本舞踊も、ぼうっと理解不能の難解書に浸ることも、思い立って筋トレを始めたのも、銭湯で無心になることもまた、私は、心を整えたかったのだと思った。
これらに共通するのは、外側の様子ではなく、内側の動きに、意識を集中させることだ。このことに、最近、気がついた。


やっぱり今日は昨日より痒いし、きっと明日は今日より歪むだろうけれど、せめて心くらいは整えていたい。と書いている間も、物凄くカユイ。でも掻くことで痒みは解消されないし、ましてや腫瘍が小さくなる訳でもない。だから心に意識を戻す。
歪んだ顔の供養のためにも、阿呆みたいだけど、心が整う、気持ちいいことだけして生きていきたいと思う。マインドフルネスとかそんなに怪しくないよ!と昔の自分に伝えたい。そのうち顔の歪みなんて、気にならなくなるのかな。

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