ミミ氏/もりちゃん

耳かき狐のミミだよ。アートに生きてロックに死にたいっ

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マガジン

  • 装幀ヲ浪漫スル

    紙の本につきまとう「装幀」について、紙の本愛好家庶民支部として想いを巡らせる #装幀浪漫

最近の記事

歪んだ顔と、整えたい心。

私には木村氏病という謎の持病がある。木村さんが見つけた病気らしい。ちょっと笑う。 左の側頭部〜耳前部にかけて腫瘍ができ、肌が浅黒くただれ、出っ張っており、スルメイカなどを食べると痛み、なにより、四六時中とてつもなくカユイ。 発症はおそらく10年前、 突然出血し異変に気付いたのは5年前、 4つの病院を経て病名がわかったのは3年前、 手術し、再発し、進行し、いまに至る。 根本的な治療法は、まだない。腫瘍はどんどん大きくなり転移するが、2度の手術で顔面神経は傷み、これ以上の切開

    • 世界への入り口としての芸術と科学の融合

      上野・国立科学博物館で「風景の科学展」が開催されている。写真家・上田義彦による世界中の風景写真を、国立科学博物館の科学者達が観察し、説明をつけ展示する企てだ。 その展示の興味深さは、訪問者達の目線を追いかければ、よくわかる。 まず、“芸術家”の撮った写真を見る。そこに我々“普通の人”は、「すごーい」だとか「綺麗」などの感想を抱き、「力強い」「広がりを持った」といった形容詞を与える。 次に、“科学者”の書く説明を見る。すると、雄大な海の写真に、プランクトンの生態に関する説明書

      • あれから夏は、彼女の不在と共にやってくる。

        毎年、6月。夏が始まる季節。彼女に会うため、高尾へ行く。 空の青、湿った空気、虫の音、世界が今年も夏が訪れることを告げている。 7年前のあの夏、私たちは、彼女を失った。 彼女を見送った日は梅雨らしくシトシト降り続けていて、 会場に入りきれない人たちが、傘をさして並んでいた。 誰かが煙草を買いたいと言いだし皆でコンビニに寄り、 各々ジュースや酒を買い、涙として流れた水分を補った。 雨を見ては「彼女が泣いているね」と私たちは言ったし、 翌日晴れれば「天国で彼女と神様が出会えたか

        • ブックデザインは誰のものか? トークイベント「装丁と紙でふりかえる平成」をふりかえる

          もう一ヶ月も前の話だ。デザイン性と汎用性を兼ね備えた紙の発展を牽引する「竹尾」の展示・装丁万華鏡にて、装丁家・桂川潤、装丁家であり日本図書設計家協会長を務める小林真里によるトークイベントが開催された。長く装丁に携わった二人による「ふりかえり」はまさにタイトルに相応しく、平成の背景となる明治〜昭和、DTP台頭の平成、そして令和への展望も含めた充実の内容であった。(いまさらながらメモが出てきたので、雨の日曜日に公開してみる) 1. 平成以前1-1. 明治後期〜昭和初期 画家によ

        歪んだ顔と、整えたい心。

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        • 装幀ヲ浪漫スル
          2本

        記事

          その記録は、記憶を超える。 Google Pixel 3a.

          これまでの写真は記録に過ぎない私は、映える写真を撮らない。観光地に行っても、サプライズケーキが出てきても、あまりスマホを構えない。なぜなら、その風景も、あの構図も、Googleで調べればもっと美しい完成形が転がっているし、本当の美しさって人の記憶にしか残らない気がするからだ。 私にとって写真は記録に過ぎず、記憶を美しく切り取るものではなかった。だからカメラロールを辿っても、機械の内部構造や食べたラーメンの写真しか入ってない。 切り取る面白さの発見去る金曜日、Google本社

          その記録は、記憶を超える。 Google Pixel 3a.

          装幀ヲ浪漫スル —もうすぐ絶滅するという紙の書物に恋して

          あなたはこの大型連休、何冊の紙の本を手に取っただろうか? ひと昔前、連休といえば「普段は取り組めない分厚い本を読む」という人も少なくなかった。 しかし今や、紙の本は、そんな地位にはいない。 紙の本は読むための道具として完成形であると、紙の本愛護団体の人たちは、しばしば語る。飲むためのスプーンが、そうであるように。だから電子書籍とは棲み分けができる、と。 あるいは、かの米国における研究によると、電子より紙の本の方が頭に入りやすいそうだ。定量的かつ脳科学の見地からも正しく、だか

          装幀ヲ浪漫スル —もうすぐ絶滅するという紙の書物に恋して

          狐氏、新元号・令和の流れに乗っかる。

          ほんとうに今更ながら、LINEスタンプをつくっている。 きっかけは、いとこの就職と親友の進学。 お金とセンスの無い狐氏は、素敵なプレゼントを諦め、持て余した時間と新しいiPad(とにかくつかいたい!)を駆使し、スタンプをつくってみることにした。 ●いとこが飼っている犬を勝手にスタンプ化 ●親友が進学する心理学にちなんでスタンプ作り(使い所なし) なんせド素人の絵である。実に売れない。そりゃそうだ。昨今、1日3000〜5000(推定)ものLINEスタンプが増殖しているの

          狐氏、新元号・令和の流れに乗っかる。

          初めに、ことばがあった。そしてホテルは造られた。

          4月15日(月)、Nサロン主催でなんとも贅沢なトークセッションが開催された。『伝統産業を、デザインとクリエイティブで再定義する。』と題した本イベント。ホテルプロデューサーの龍崎翔子さんと星野リゾート代表・星野佳路さんの2人が、自身の経営観と日本ホテル業界のこれまでとこれからについて語り合った。 プロフィールやイベント内容は、こちらから読める。 <noteとの共同コミュニティNサロンを運営する日経新聞の記事> <Nサロン参加者による詳細レポート> 時代と土地を折り込んだ

          初めに、ことばがあった。そしてホテルは造られた。

          ラーメンが飯テロなら育児日記は子テロか

          これは私のインスタグラム。ラーメン率の高さが特徴だ。ほかのSNSでもそうだが、飯写真を挙げると、海外在住や仕事に忙殺される友人から、こんなコメントがつくことがある。 飯テロ。 生半可に「テロ」という言葉を採用する点には賛成できないが、いかなる悪意もない。与え得る不愉快な印象もない。むろんコメント主は、本気で飯に枯渇している訳ではない。 一方で、最近、同年代が生殖適齢期に達し、SNSでは育児日記が目立つ。妊娠検査薬<陽性>を写真加工し、妊娠アプリをスクショし、オムツで文

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          「老い」は克服せずにシェアしよう

          たいへんなデータがあります。日本人の死亡率はどれくらいか知っていますか?…100%です。 上智大学・デーケン神父が話の導入につかう、十八番のフレーズだ。私たちは、みな、いずれ死ぬ。デーケン氏は、死をタブー視する現代日本人に、死生観形成の大切さを説いてきた。 そんな全ての人にやがて訪れる死の前に、ほとんどの人が迎えるものがある。「老い」だ。人間は生まれた瞬間から老いる運命にある。そして、その老いも、現代では負の意味付けをされることが多い。ましてや高齢化は進み、自身の「老い」のみ

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          誰がアパレルを生かすのか サブスクリプションが叶えるは「お得感」より「納得感」

          2017年に話題となった本『誰がアパレルを殺すのか』は、ロングランでよく売れた。ちょうど書店で研修をしていた時期で、老若男女に広く買われるのが印象的だった。 アパレル関係者以外にも受けたのは、書名のインパクトとポップな装幀が功を奏したからだけではない。多くの人にとって、自らのビジネスの危機感や生活の変化に響いたのだろう。 私自身、正直オシャレとは縁遠い生活をしているものの、出版業界へのヒントを求め手に取った。旧態依然とした構造や増え続ける返品、過去の成功体験への固執など、他

          誰がアパレルを生かすのか サブスクリプションが叶えるは「お得感」より「納得感」

          ポスト資本主義への実験 アートの価値はどう決まる?

          アート界のオリンピックとも称されるヴェネツィア・ビエンナーレは、世界で最も格式高い現代アート祭典の一つだ。「ポストコロニアリズム」「マルチカルチュラリズム」をテーマとしており、2015年にはグローバル資本主義を批判する企画展も行われた。 しかし、そこには大いなる矛盾がある。 結局のところ、どれだけ多様な価値を提供したとしても、アートの価値付けは、極少数の強者によって「マーケット価格」という形で意思決定されている。ヴェネツィア・ビエンナーレなど、その最たる場だ。アートは、資本主

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          年下・あいみょんに学ぶ平成の処世術五番

          子どものころ、「最近の若い者は…」という大人にだけは絶対になりたくないと思っていた。いまのところ大丈夫そうだ。若い人たちの活躍を見るにつけ、湯のみ茶碗片手に「本当にすごい〜」などと感動している。老いてなお、若者を尊敬して応援できる、素直なババアでありたい。って、今はお前もがんばれよ27という話だ。 なかでも、あいみょん。私は流行に疎く、基本は山口百恵か加山雄三を聴いて過ごしているが、友人の影響で現代音楽に突如ハマったりする。彼女もその口だ。 勝手ながら、彼女からは平成の処

          年下・あいみょんに学ぶ平成の処世術五番

          私が本を読む理由 壁と卵、2つの原子力事故から

          「高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。そうです。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です。」 (Between a high solid wall and a small egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg. Yes, no matter how right the wall may be, how

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          究極のオーダーメイドたる家庭料理

          むかし、人んちの晩ご飯を覗き見するテレビ番組があった。しゃもじ片手に不法侵入するアレだ。気付いたら番組終了していたが、制作にかかわっていた友人によると、どうやら本当にアポなしで突撃していたらしい。 あの番組の面白さは、強引な芸能人と慌てふためく素人とのやり取りだけでなく、本来であれば極私的な空間である「他者の家庭料理事情」を見られる点にあった。自分と違うとか同じだとか、そういう楽しみ方ができた。こんな豪華な…!?とヤラセを疑う回もあれば、汚い部屋とカップ麺に圧倒的な親近感を覚

          究極のオーダーメイドたる家庭料理

          なぜ今「アート」なのか 不確実性の時代にミライを描く

          このところ、「アート」を目にする機会が増えた。 「アート」を冠した社会人向けセミナーが、企業や大学で乱立している。また、おおきな美術館や話題の展示の来場者数は、世界的に増加傾向にある。ルーヴル美術館が過去最高の来場者数を記録したのも、つい去年の話だ。(一方ちいさな文化施設は予算削減の対象になっているという課題もある。)あるいは地方創成の視点においても、「アート」と起点とする取り組みが増え、成果をだしている。さらには斜陽の出版界においても、2年前に流行った新書『世界のエリート

          なぜ今「アート」なのか 不確実性の時代にミライを描く