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「叔父」を障がい者と思えない僕

叔父のこと

 叔父のことを高知では「おんちゃん」と言います。うちの実家の横の「明治か大正か」みたいなめちゃめちゃ古い家に「ちいさいおんちゃん」と「おおきいおんちゃん」が住んでいました。

 僕が小学生の低学年のころの話です。昭和47年ごろのことだと記憶しています。おおきいおんちゃん=叔父で兄の方、ちいさいおんちゃん=叔父で弟の方、という意味です。この二人の叔父とうちの両親が前回書いた「自営の小さな食品工場」で働いていたのです。

 畑で野菜を作り、それを加工して健康食品にしていたので、両親はとても忙しくて、一人っ子の僕は遊び相手がいませんでした。そんな小学校低学年の僕のキャッチボールの相手をしてくれたのが、ちいさいおんちゃんでした。いつもノーコン気味の僕の投球練習に、キャッチャーとして付き合ってくれていたのです。

精神障がいのおんちゃんは僕の大切な人

 そんなおんちゃんは、若いころから精神疾患を抱えていました。「精神分裂病」という当時の病名を初めて知ったとき、僕はショックのあまり塞ぎこんでしまいました。できれば「知りたくない」事実でした。

 今でこそ「統合失調症」と呼びますが、当時の「差別的な」病名は、その病気に罹患した人の人生が台無しになるようなインパクトがありました。「頭がおかしくなった人」という意味合いが、多分に含まれていた気がします。

 確かにおんちゃんは、時々調子が悪くなりました。特に服薬を怠ってしまった時は、「普通ではない」様子になりましたが、誰かに暴力的になるわけではなく、少し混乱する感じです。

 そんなおんちゃんは、両親のような親族にとっては、多少は手がかかる存在だったのかもしれません。しかし「障がい」があるがゆえに、おんちゃんの穏やかな性格の全て失われるわけではなく、また、全くの別人になってしまうわけではありません。

 おんちゃんは僕にとっては、一人の優しい叔父であり、いつまでも甥っ子の心配をしてくれる人なんです。

 ところがそのおんちゃんに「精神疾患のある」とか「統合失調症の」などの形容詞をつけてしまうことで、本来おんちゃんが持っている「優しさ」などのストレングス(=強味、良さ)は、霞んで見えなくなってしまいます。

 そして「その人そのもの」を見るのではなく、どうしても「形容詞の方」が目に飛び込んできてしまいます。それがおんちゃんの「生きづらさ」や「生活のしづらさ」に繋がっていくことに、僕は早くから気付いていましたが、僕の両親はどうしても「その形容詞」を外すことができませんでした。もしそれを外すことができれば、両親と叔父の関係性も違うものになっていたかもしれません。

僕なりの支援観について

 僕は、地域福祉の現場に10年近くかかわってきました。

 そこでいつも感じていたのは
「支援者は、その人ではなく、その人の障がいを支援しようする」
ということです。

 ゆえに
「どうすれば、その人の障がいをなくすことができるだろうか?」
という課題に取り組もうとしがちです。そして、そこにある支援観は「障がいは不幸なこと」という考え方です。

 ここでよく考えてほしいのは「障がいは消えてなくならない」という事実です。そこから、いつまでたっても、障がいがある不幸な人には「施し」が提供され続けてしまうことがあります。

 では、おんちゃんには、何らかの「施し」が必要だったのでしょうか?むしろ、おんちゃんの話をよく聞いて、よりよく生きるために「何ができるか?」を考えることが必要だったのではないでしょうか?

 その視点にたつには、おんちゃんを「一人の人」として見ることができるかどうかにかかっています。おんちゃんの「良さ」」に気付くためには、障がい者であるかどうかは、全く関係ないわけですから。

 こんな考え方が、僕の「支援観」の中心にあります。

 今後は、この支援観を思い出した、実際のケースなどもご紹介していこうと思います。


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