金木犀

刹那的な言葉を*社会科学系の大学院生*心を整理するためのnoteです

金木犀

刹那的な言葉を*社会科学系の大学院生*心を整理するためのnoteです

最近の記事

具体的な文章が書けなくてこわい、悔しい、情けない

少し前に、文章を書くこと、言葉を話すことへの恐怖感について記事を書いた。恐怖感の原因についても分析してみた。 今回のテーマは「具体的な文章を書くことができない苦しさ」 これも私が文章に苦手意識をもった原因の一つなんだろうな。 大学院の指導教員に研究計画書などの書類を見せた時、言われるお決まりの話がある。 「やっぱり言葉が小難しくて抽象的なんだよね。もっと具体的に書かないと。読む人が情景をイメージできるような言葉、メッセージ性の強いワードとかね。」 「はい、わかりました。

    • 「ベクトルを外に向けないと。」そう言い聞かせていたけれど

      気づけば内省を始めている。 これは私の思考の癖だ。 私の長所と呼んでもいいのだが、毒となることも日常茶飯事。 だから、内省しすぎる自分を封じたい、隠しておきたいと思ってきた。 しかし、今日、少し考え方が変わった。 「孤独」に対するポジティブな議論を知ったことで、内省好きな自分への見方が変わったので、記録しておきたいなと思った。そういう話。 推敲をしていないので、読みにくいかも。 終わりなき自己との対話INFJの方はご承知の通り、過度な内省は、高すぎる理想と現実のギャップ

      • 弱い自分を選択してきたのは自分。

        メンタルが急降下する時があって。 それはじんわり始まって、3週間くらいは続く あーまたかーという感じで、少なくとも1か月は無駄になる たいていやらなきゃいけないことを抱えている時 心が弱っている時に 自分の嫌いなところやできないことばかりにフォーカスして、メンタルと突き落とし続けることを選択しているのは自分 できない、不安だ、動けないと弱い自分が自分を占領していくことを許しているのも自分 '立ち上がれない'という幻想にとらわれているのも自分 全部自分の責任だ なんてアホら

        • 社会に価値提供する方法を考えるにあたって

          去年12月頃の内省のテーマは「目的志向の生き方」 その下書きに加筆したくなった。 影響を与えたのは『やりたいこと大全』、精神科医のYouTube、『チーズはどこに消えた』、『アルケミスト』、『現代思想入門』。過去に読んだ『七つの習慣』『幸福論』なんかも参考になった。 結局、幸福感を得られる人生のロジックは同じ。 ある程度自分の価値観に沿った生活が実現できていれば幸せなんだろう。ウェルビーイングの枠組みとして、having loving beingというものがあるが、これは

        具体的な文章が書けなくてこわい、悔しい、情けない

          書くこと、語ることを好きになりたい話

          私が抱えてきた悩みの1つに「書くことや語ることへの苦手意識」がある。 社会科学系の大学院生であるにもかかわらず、である。 まぁ、自分で選んだ道ではあるのだが、この悩みによるストレスのせいで、私の院生生活の楽しさは半減しているといっても過言ではない。 その分、素敵な文章を書ける人への尊敬や憧れの念が強い。 「いやいや、お前は文章が書けるから卒論も修論も提出できたんやろが。」 そんなヤジが聞こえてきそうだが、私は私なりに苦しんできたのもまた、 事実なのである。 周囲からは「ち

          書くこと、語ることを好きになりたい話

          たぶん、道をひらく時が来ている。

          こんにちは。金木犀です。 この春は、人生の節目というものにあたる日々を過ごしています。 大学院の修士課程を卒業して、そのまま博士後期課程に進学することになりました。 覚悟やモチベーションが揺らいで、一歩踏み出したいのに足がすくむ。 今日のテーマは、そんな「もやもや」です。 学部時代の友人の多くはもうすぐ社会人2年目を終え、 修士課程をともに戦った同期は、就職して新しい一歩を踏み出します。 そのなかで、1人、春からドクターになる私。 それなりに考えて、20代を捧げるつもり

          たぶん、道をひらく時が来ている。

          「私」変化の中間報告

          私がnoteを書き始めるタイミングは2つある。 1つは、身体が割けてしまいそうなほどに内側から溢れてくる「何か」がある時。涙を流すだけじゃ足りない。内と外の矛盾が限界を迎えた時。 こういう時は、言葉を綴る手が止まることはない。ちぎれてしまった自己を紡ぎ直していくように、自ら消そうとしていた火を優しく包み込むように、必死に、「何か」を言葉の形にしていく。 記事を公開して、日々何度も読み返すことによって治療が進んでいく。 もう1つは、「私」の変化の手応えを感じられた時。 質の

          「私」変化の中間報告

          5カ月後に自分の変化を感じるために、今、習慣化していきたいこと

          日々できないなーって思うことがたくさんある。 でも毎日の小さな当たり前ならできることもある。 それは私にとって大切な時間であり、できるようになりたい目標でもある。 小さな習慣を1つでも継続していることが、自己肯定感の基盤となって、 たくさんの苦手に心が崩れてしまいそうな時に、私を支えてくれると思う。 5か月後に留学生活を振り返る時、 前の自分から遠く離れたところにいる”私”を発見できるかもしれない。 だから「今日もできた!」を積み重ねていこう。 そんな私のための、道標。

          5カ月後に自分の変化を感じるために、今、習慣化していきたいこと

          普通、自由、自分らしさ、生きるって何?

          どうしてみんなは”普通”に生きていけているの? どうしてやるべきことと遊びをうまく両立できるの? どうしてみんなには長く続けてきた趣味や好きがあるの? どうしてそんなに人と毎日一緒に過ごしていてもストレスを感じないの? どうして毎日誰かと一緒に料理をしよう、勉強しよう、遊ぼうって思うの? どうしてすぐに質問とか冗談を返して楽しく会話を続けていけるの? どうして他人と’友達’っていう関係になれるの? どうしてそんなにやりたいことと未来への期待に溢れているの? どうしてそんなに何

          普通、自由、自分らしさ、生きるって何?

          FFS理論との出会いとリベンジ

          数日前、私は強力な武器を得た!FFS理論という。  自己理解、他者理解、社会理解を助けてくれる頼りがいのある相棒と出会うことができた。彼はここ数か月、湖に沈みがちだった私を引き上げてくれた。  おかげで気分はいい。もちろん、自己受容の過程は苦しいし、逃げたくもあるが、彼が与えてくれた自己と社会分析の可能性にわくわくせずにはいられない。好奇心をくすぐられているのだから、答えずにはいられない。ちょうど将来に向き合う必要がある時期なので、私にとっては一石二鳥以上の価値のある出会い

          FFS理論との出会いとリベンジ

          責任感に距離を置く

           久しぶりにnoteを開いてみました。  つい先ほど、私の心の鎖が外れそうな予感がしました。文字に残しておきたい、今なら綴れるかもしれない、そう思ってここに戻ってきたわけです。   生きたいと思える尊さ  この1年の間で、鎖から解放されている感覚をよく経験するようになりました。前の記事の表現を用いるならば、湖から出て、陸に上がって生きる日々が増えました。私としては大きな大きな成長です。誇らしくさえ感じます。自分が自分のままで存在していいと思えること、生きていて楽しいと

          責任感に距離を置く

          湖に生きる

          ある瞬間、突然心に張り詰めていた糸が切れてしまうこと、ありませんか? 私にとっては今がその瞬間です。 夢を見ました。空手の大会で、たくさん練習してきた型(演舞のようなもの)を披露するんですけど、頭が真っ白になっちゃうんですね。身体に染み付いたはずの動きが思い出せず、仕方なく隣の選手の動きを必死にまねてなんとか時間をやり過ごそうとするんです。私は周囲から期待されてた選手だったようで、すぐ近くで観戦している友達や先輩後輩はみんな落胆の表情を浮かべていたり、嘲笑していたりするわ

          湖に生きる