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昇格や出世の評価軸なんて物差しの一つに過ぎない!

おはようございます。今日はキャリアで良く出てくるキーワードである「昇格・出世」について思うことをお話しします。

昨日の私のnoteでは、人と比べられがちな環境から距離を置いたら楽になったよ、という内容でその筆頭に昇進のことを書きました。

タイムリーに、澤円さんも出世について思うことを昨日のVoicyでお話しされていました。


出世や昇進に向けてバリバリ頑張るぞ!という姿勢はとても素晴らしいと思いますし、私が否定する筋合いは全くありません。ただし、「会社員たるもの、皆が出世に向かって必死に頑張るべきである」的な考え方を私や周囲には強制しないでね、というスタンスです。

今回は昇進というキーワードで思い出したことと当時はうまく言語化できなかったことがあるので、ここでシェアしたいと思います。

昇格試験なんて一つの物差しに過ぎない

私は昔の職場で2回、昇格試験を受けたことがあります。うち最初の一回は入社2年目くらいで受けるもので、適当に書いた設問の回答となる小論文を期日までに出せばほぼ100%パスできるものだったのですが、入社5-10年目くらいに受ける昇格試験は初回と比べるとだいぶ負荷のある小論文かつ、合格率も60%程度なので不合格となる方もそこそこいる試験でした。

私は幸いにも昇格試験は2つとも初回の受験でパスできたのですが、特に2回目の試験は合格率が60%ということもあり、私と同じタイミングで受験したけど不合格だった、という同僚もちらほらいたのです。

当時仲良くしていた同僚が合否発表の後、「Kashiwaさん、私、試験落ちてしまいました。。。」と、見たこともないような落胆した表情をしていたのが強烈に印象に残っています。

同時に、そこまで有名でもない一民間企業ごときで、ここまで人を落胆させる施策(昇格試験)って何なんだろう、と怒りを覚えました。

試験に落ちたことを伝えに来た彼女ですが、普段はとても明るく、誰とでもフラットに接することのできる方です。2年前に私がこの職場を退職するときも、彼女に会えなくなるのは残念だな、と思えた数少ない同僚の一人です。そのため、昇格試験で書いた小論文の紙きれ一枚で彼女のメンタルがここまで落ち込んでしまうのはとても残念でした。

当時は気の利いた言葉の一つも彼女にかけられなかったのですが、今いうとしたら、「会社での評価や昇格試験なんて、物差しの一つだよ」ということです。今回の小論文での試験では不本意な結果でも、別に君の人間性とか日頃の行いとかすべてが否定されたわけではない、昇格に値するかを測るうえで、たまたま試験との相性が悪かったのだということです。もし試験内容が役職者との面談であれば、たくましいコミュニケーション力を持つ彼女なら簡単にパスしていたことでしょう。

昇格試験で不本意な結果になってしまい、落ち込んで自暴自棄になられている方がいたとしたら、あまりにももったいないなぁと思います。その試験の体裁がある意味ポンコツだったので、あなたの得意や強みを測ることが出来なかった、ということではないでしょうか。

それならそんなポンコツな試験を作る方が間違っている!と怒りの声をあげたくもなりますが、小論文以外に面接も、360度評価も、となると会社もやはり限られた時間・人員で対応していることもあり、難しいことも理解できます。そのため、「昇格に値するのは試験本番にいい小論文を書けた人間である」と会社も的を絞り、面接で測るような口頭での説明力などの評価は犠牲にしたうえで一発勝負の小論文試験という形にしていたのでしょう。

自分の良さを測れない試験であれば、来年こそは!と一念発起して戦略的に取り組むもよし、自分の良さをもっとうまく測ってくれる場所へ行くも良しですね。(ただし、もし試験に落ちたことで『プー、クスクスw』などと言われるような環境にいるなら、自分も人のゴシップで盛り上がるような同類になる前に逃げた方が良いですね。。!)

昇格とか出世というキーワードでいつもこの昔話を思い出すので、考えとともにシェアしてみました。それではまた!



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