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家永三郎が自分の学歴を東京教育大として筑波大学という学歴を否定した理由

 教科書裁判で左翼の大御所教授であった家永三郎であるが、学歴に関して一貫して東京教育大と称していた。

 東京教育大が茨木県つくば市に移転して校名変更をして筑波大学になったが、家永三郎は絶対に筑波大学という学歴を認めなかったという。

 家永三郎自身も経歴に東京教育大(筑波大学)と書いただけでも激怒して、非常に不機嫌になり、経歴のことで筑波大学の話題に触れると、怒鳴りつけるような言動も周囲にみせたという。

 岩波書店の書籍に家永三郎の経歴が書いてあるが、一貫して東京教育大となっていて絶対に筑波大学の名称を用いていない。

 筑波大学の福田信之学長を激しく憎んだ家永三郎

 家永三郎は東京教育大の学歴に固執し、一貫して筑波大学の学歴を否定しいた。

 彼が筑波大学という学歴を猛烈に拒絶したのは筑波大学の学長の福田信之が日本の右翼団体や韓国の悪名高いキリスト教の異端である統一教会と癒着していたことが生涯、批判の対象だったのも大きいという。

 統一教会の政治部門の反共右翼団体の国際勝共連合と筑波大学の学長・福田信之の関係が家永三郎は猛烈に嫌いだったようで彼自身も終始、筑波大学の教育行政には批判を継続し、晩年になっても筑波大学を強烈に呪ったという。

 統一教会といえば冷戦時代に韓国の朴正煕政権と関係し、KCIAと日本の右翼団体と国際勝共連合と文鮮明の日韓癒着と猛批判されたわけだが、家永三郎自身もその辺の関係を熟知していたと思われる。

 家永三郎自身も朴正煕の韓国を国家承認せず、韓国を南朝鮮と称していた。北鮮側を朝鮮民主主義人民共和国と称し、金日成を評価していた。典型的な岩波文化人である。

 家永三郎自身もKCIAの金大中拉致事件に関しては朴政権とKCIAを猛批判して、KCIAの手先になっていた統一教会を擁護していた筑波大学には激しい批判を加えていたということだろう。

 日韓癒着の象徴だった統一教会を擁護した筑波大学を家永三郎は晩年になっても許さない立場だったらしく、筑波大学の同窓会には抗議文と絶縁状を添えて一切、参加しないと宣言していたようでもある。

 家永三郎自身も筑波大学を統一教会と癒着する犯罪者養成学校と糾弾して、一貫して筑波大学には冷たい態度を取り続けたというのだから、彼の筑波大学への気持ちは相当、屈折していたのではないか?

 世間では筑波大学といえば国立大学で頭のいい有名大学ということで評価も高かっただろう。

 しかし、家永三郎は偏差値とか有名大学の知名度よりは筑波大学を統一教会と学長が日韓癒着で国際勝共連合を擁護する悪名高い右翼反動の極右大学ということで生涯、唾棄すべき呪われた場所としか思っていなかったようだ。

 新約聖書にゲヘナという呪われた場所が出てくるが、家永三郎にとって筑波大学はゲヘナそのものであったといえるのではないか?

 極論すれば家永三郎が自分の学歴に筑波大学の名前を書くことは統一教会に入信して、文鮮明の崇拝者になるようなおぞましい行為だと思っていたともいえる。

 彼自身、生涯、自分の学歴に筑波大学という名前を入れなかったのはそのためだろう。

 私も家永三郎の筑波大学を一貫して否定した気持ちには同情を禁じ得ない

 家永三郎が筑波大学を生涯、嫌って憎み続けた気持ちは何で人によってはあんなに世間では優秀な国立大学なのに・・・ということで家永三郎の態度は大人げないのではないか?と思う人もいるだろう。

 しかし、家永三郎がいうように筑波大学がいくら高学歴で偏差値が高い大学だからといっても実際、学長の福田信之が文鮮明の統一教会や極右団体の国際勝共連合と癒着して、問題をおこせばやはり自分の母校が猛烈に嫌いになるのは当然のことではないだろうか?

 オウム真理教に入信した有名大学の学生が最終的に地下鉄サリン事件を引き起こして大事件をおこして社会的な批判が有名大学に集中したように家永三郎も自分のいた筑波大学を統一教会と癒着を繰り返した犯罪者養成学校であった、という痛烈な批判は強烈だったと思われる。

 私も自分のいた東北福祉大学が遺跡ねつ造事件で考古学会に悪名を轟かせた後に暴力団相手に野球賭博事件まで起こした野球特待生を出し、東北福祉大学は2回も新聞沙汰になるような事件をおこせば、大学が嫌いになるように家永三郎もまた、自分が在籍していた筑波大学を嫌いになり、痛烈な筑波大学批判を繰返したのは当然といえば当然だったのではあるまいか?

 家永三郎自身も筑波大学の前身だった東京教育大学は愛校心もあって自分が世話になった大学と考えていて最終学歴として自分の経歴に積極的に書いた。

 しかし、統一教会の傀儡政権みたいに変質した筑波大学に関しては私が遺跡ねつ造事件や野球賭博事件で東北福祉大学を宮城県の恥と糾弾して、在籍した恥ずかしさの余り絶縁状を書いたように家永三郎自身も大学というよりは筑波大学は犯罪者集団ということで激しく拒絶したのだろうな、と思った。

 私個人、家永三郎の思想はすべて正しいと考えているわけでもないが、彼が筑波大学を生涯、嫌い続けて、統一教会の闇を暴くように猛批判を繰返したのは理解できるし、批判的な意見や言論の自由や表現の自由としては大いに尊重したいと思う。

 家永三郎にとっても筑波大学という名前は私が東北福祉大学を拒絶して、絶縁状を書いたように彼自身にとっても吐き気がするほどおぞましい邪悪な存在だったと思って絶対に容認したくない大学だったのだろう。

 家永三郎自身も生涯、筑波大学には何も感謝などしたくかったようで、単に霊感商法のように人を騙して恥も外聞もない日本の大学の暗黒地帯としか思っていなかったのではないだろうか?

 大犯罪を繰り返して謝罪もしない大学に対して偏差値が高かろうが、低かろうが謝罪もしなければその大学を痛烈に批判して、人生を返せ!は学者であろうが学生であろうが余り変わらないと、私は思う。

 

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