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#80 狐 x 酸っぱい葡萄を語る


テストの前の日に

なぜか掃除をしてしまう


そういう人いませんか?


やらなきゃいけないことを目の前にして

なぜか思い出したように掃除を始める


それって気分転換なのか?

現実逃避?


…そうかもしれない


でもきっと本音の部分はちょっと違うよね


だってよっぽど汚くない限りは

今掃除をやる必要なんてないわけだから


その人の本音はね

掃除をしたっていう事実を作り出したいだけなんだ


じゃぁなぜ掃除をしたっていう事実が欲しいのか?


それは勉強をしようと思っていたのに

私はその時間を掃除に使ってしまったおバカさん


だから満足する結果が出せなかったのも

しょうがないよね…あはは


こうやって自分を守り抜きたいだけなんだ


口実を無理やり作り出して


私は掃除をしてしまったからさぁ

今回いい成績を残せませんでした


ほんとだったらもっとできる人間なんだよ


そう言って自分を正当化する


人は自分が可愛いからね

認めたくないんだ

出来ない自分が


昔僕にも同じような経験があって


小学生の頃

市のマラソン大会に参加して


僕は走ることが得意という

自分を守り抜きたかった


ゴールの寸前転んでしまったことを言い訳に

入賞できなかったことを

転んだせいにしてしまった


本当は転ばなくても

全然ダメだったのに…


もちろんわざと転んだわけじゃないよ


でもそもそも長距離は苦手で

普通にゴールしていても

褒められるような成績じゃないのはわかってた


ゴール手前で転んじゃったんだよねぇ


そう周りの友達にいって

足が速い自分を必死で守ってた



もう一つこんな言葉がある


サワーグレープ


なんか飲み物みたいだけど

そういう意味じゃない


日本語に訳すと「酸っぱい葡萄」


元はイソップ寓話の一つで


お腹を空かせた1匹の狐が

たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つける


食べたくて一生懸命に跳び上がるけど

なかなか葡萄に届かない


何度も何度も飛び跳ねて

狐は怒りと悔しさからこう叫ぶ


どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいに決まっている

誰が食べてやるものか!


そして狐はその場を去っていった


この話から

酸っぱい葡萄(サワーグレープ)は

ある言葉に例えられるようになりました


わかりますか?


酸っぱい葡萄(サワーグレープ)= 負け惜しみ


狐は自分を正当化する為にこの言葉を吐いた


負け惜しみの根底にあるのは

自己肯定・自己防衛


僕の大好きな岡本太郎はこんな言葉を残している


人は自分を大事にしようとするから

逆に生きがいを失ってしまうのだ


バカにされた自分

捨てられた自分

地位も名誉もない自分


そう言う自分を可哀想だと

守ろうとするから


生きてることが何か?と迷う


だから僕らは一度

自分を捨てる必要があるのかもしれない


岡本太郎を

読む必要があるのかもしれない



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