全体を見てから部分か、部分を見てから全体か(認知処理傾向と学習方法2)

学習をどう進めるかを考えるとき、題名に書いた傾向のうちどちらを取るのが適当かを考えることはすごく大切だと思う。

前回の記事で書いた二つの傾向を代表する「同時」や「継次」という言葉は、教育分野では「特別支援教育」の分野に出てくる。学習に「特別」な「支援」が必要と考えられる児童に対し、確立したチェック事項を「専門家」が見ることにより、どちらの「情報処理様式」を得意とするか判断し、それを参考にして学習指導計画を考える、ということだ。

そこでは「認知処理様式」という言葉が使われているのだけれど、
私が考えているのは、この「特別教育支援」現場で使用される概念の定義にきっちり当てはまるわけではないので「認知処理傾向」と勝手に呼ぶことにしている。

そうして、似たような考え方は、他の研究分野にもあり、日本語で読める範囲の論文などで、以下のような表をまとめてみたのだが(世界の論文を自由に読める環境って、限られた場所にしかないんだな、と思う)、今日はこれを掲載して「思いつきじゃなくて少しはちゃんと考えているんです〜」と「言い訳」にしようとしているだけなので、そんなに重要ではアリマセン。私にとってはとても面白いのですが。

なんにしても、自分が処理(勉強)しなければならない情報が、一定程度の量をもって与えられたとき、それをどう処理するのかは、全体を先に見ないと部分を理解しにくいか、全体を先に見てもよくわからないから部分を前から順に見ていきたいか、みたいな二つの傾向に分かれる。私が認知処理傾向という言葉を使う時は、その程度の意味に限定されるので、私がこの記事において使う「同時」「継次」の意味は
学習の取り掛かりの時期において、
「同時」;全体を先に把握する方が好きで、学習順序は問わない。
「継次」;全体を先に見せられるのは好まず、前から順に処理していくのが好き。

ぐらいの、ゆるい定義で、話を進めていこうと思う。

そして、初めに書いたように、私はこれがものすごく重要で、学習者本人や、教育では、この点を今よりもう少し重視した方が良いんじゃないかと考えている。

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