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ミニカラムの遠い繋がりが、全体感を持った処理を産む

(イラストは、第4章とWikipedia等のネット情報をもとに私が描きました)
ミニカラム(ミニ円柱)
大脳皮質を構成する。ミニカラム一つには神経細胞ニューロン80個が縦に柱状に構成されている。一つ一つのミニカラムに機能がある。
アクソン(水平軸索)
ミニカラムを繋いでいる。電気的興奮を伝える。
脳科学辞典「大脳皮質の局所神経回路」

以下は、『ディスレクシアだから大丈夫!』の第4章で紹介されているマニュエル・カサノバ博士の説に依拠した記述です。

■カサノバ博士の話(自閉症の人とディスレクシアの人のミニカラム同士のスペースに関する特徴は、真逆)

アクソンによってつながるミニカラム同士のスペースは、人によって違います。このアクソンの大きさと長さによって、ミニカラムのスペースが狭い(局部的・近いつながり)か広いか(広範囲・遠く離れた繋がり)かが決まります。
ミニカラムが局部的だと、細かいことが得意となります。密接に関連しあう音、視覚、コンセプトなどの違いを整理して見分けることができます。
ミニカラムが遠く離れたつながりを持つと、全体感を持った処理、つまり大きな特徴やコンセプトを再構成するような作業に向くようになります。
自閉症の人たちには、近いつながりが多い傾向にあり、
ディスレクシアの人は、遠いつながりが多い傾向にあると、カサノバ博士は言います。
つまり、ディスレクシアの人は、全体感を持った処理が得意で、細かいことが不得意だ、ということになるわけです。

ミニカラムがつながることにより、「モジュール・システム」が出来上がります。ここで、モジュールとは機能を持つ部品のまとまりであり、車に例えれば、トランスミッション、モーター、タイヤにあたります。モジュールを組み合わせること(システム化すること)で、モジュール単体では不可能だった「新たな特性(車が移動するなど)」ができるようになります。この組み立て方で「新たな機能」が全く違うものになるのは容易に想像できます。
つまり(まーみなりの解釈→)、ミニカラムの繋がり方は、違った機能を生み出すということです。

ディスレクシアの脳に見られる、ミニカラムが遠いつながりを持つ傾向が、全体感を持って処理するという特技と、細かい処理の苦手さの両方を引き起こしていると、カサノバ博士も述べています。「脳の遠い部分同士を繋ぐことは、ディスレクシアの人たちが最も得意とする分野です。結果として、ディスレクシアの人たちは、どんなアイデアをどこから出してくるのも自由自在で、全く違うコンセプトをつなげて考えることに長けているのです。そして細かいことは苦手なんですね」(p45~46)

■「全体処理」か「順次処理」かは、大脳皮質のミニコラム間の距離の問題なのかな?


今回紹介している本は、ディスレクシアであるがゆえに「長けている点」を述べる趣旨で書かれています。
カサノバ博士の説も、この本では、ディスレクシアという「障がい」とディスレクシアであるが故の利点を述べる論拠として紹介されています。
が、この説は、実は文字を読むことに限らない全ての分野において、ミニカラムの配置が影響を与える、と述べているのではないでしょうか。
とするならば、文字が読める読めないではなく、全ての情報認知処理において、大脳皮質の特徴が、細かいことが得意か全体感を持つことが得意かに分ける、ということにならないでしょうか。
カサノバ博士によると、このミニカラムのスペースの広さがどうであるかは、人により、そしてその分布は釣鐘型になるということです。この文の真意が私にはちょっとよくわからなかったのですが、どんな広さを持っているかの人口統計的なものが、とても広い人・とても狭い人を少数とした釣鐘状の分布になるということでしょうか? 「ディスレクシアとよく読める人を分ける境界線のようなものはない」(連続的である)という1983年のコネチカット縦断研究(Overcoming Dyslexia p35)からも、それは言えるのではないかと思います。

私が出会ったディスレクシアだと思われる人々は、間違いなく、全体処理型であったし、全体処理型だな、と確実に思える私の生徒の中には、ディスレクシアチックな困難を抱える人はいました。全て「強弱」の程度問題のように思えていました。

カサノバ博士の説が、世界の共通認識になっているのかどうかまでは私は分かりませんが、私が、「ふたつの極」と「ディスレクシア」について考えるときに「ごっちゃになって混乱した」のは、カサノバ博士の説によれば納得できるし、自分が考えていることとの整合性も、この説で裏付けられると思ったのでした。


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