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頭の中の自分の使いたい回路を中心に使って、学ぶ

もし、左脳が使いやすいとか右脳が使いやすいとか、大脳皮質のカラムが密集しているとか離れているとか、それらの違いをどう組み合わせて、自分の知的作業を行なっているのかが、人によって違うのなら、
自分にとって使いやすい頭の回路を使うと楽なのは、間違いないと思う。
 
楽というのもあるけれど、場合によっては、その人にとって「気持ちいい」というのもあると思う。
たとえば、ひたすら走るのが好きな人がいる。速いか遅いか、大会で記録を出したかどうかは関係なく、「走る」という機能を使うのが楽しい。
気が滅入ったときにひたすら数学の入試問題を解くという人もいる。数学のために使う頭の回路を動かすのが、その人にとって快感なんだろうと思う。
そうして、快感なことを繰り返しているうちに、その回路がさらに発達して、超得意になったり、専門になったりしていくこともあるのだろう。
 
苦手なことを克服するために、あえて苦手に挑戦するというのはある。苦手なことに挑戦しているうちにできるようになってきたりすること、というのもある。うまく動かない回路を動かせるようになっている、ということだ。

両方があって然るべきなのであるというのはわかる。が、でも、苦手なやり方を「唯一のやり方」として強いられていたらどうだろう。
「結果を出せれば、あなたの楽な・気持ちいいやり方の方でやっていいんだよ」と言われる機会が全くなかったら、どうだろう。

私がこだわっているのは、多分そこだ。

「自分に合った勉強法」=「楽で快感が感じられる方の勉強法」というのを探していく手伝いをしたいと思っている。
一つしかやり方がないと信じ、それが苦手なやり方で、自己否定に入っている人をなくしたい、と思う。
自分のやり方を見つけられた人が、光を見たように感じて、「任務」とか「使命」とか他の価値観と合わせて、整合性を持ってその人の知を高められたらいい。
その人自身のためにもなるし、世のため人のためになるだろう。
とある学生も言ったように「自己覚知」は、様々な場面を好転させる力を持つと私は思っている。

このnoteを書きながら、進行形で、何人かの人に「そういう手助け」を試みている。
私の知識や経験を組み合わせて、その人の役に立てるのなら嬉しいし、
それ以上に、たった今は、私がその人からいただける「教訓」「知見」がとても多い。
経験したこと、考えたことを、引き続き、noteに徒然書いていこうと思う。


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