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アンパンマンと大谷翔平と新橋の酩酊おじさん〜興味の希薄と生き辛さ〜

 (毎回記事のタイトルの付け方が下手すぎる気がするけどまあ良いや。申し訳ないけど我慢してください)

 最近、心の底から休日を楽しめない。


 何か有意義なことをしなくては、という強迫観念に脳内を支配されてしまうからだ。



 せっかくの休日なのだから羽を休めてのんびりすればいいものを、流石にこのまま何もせずにいたら退廃的な人生を送ることが確定してしまうという焦燥感が襲い掛かってくる。



何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ♪



 大人になると中高生の頃に狂ったようにリピート再生していた「ツキアカリのミチシルベ」とかよりも「アンパンマンのマーチ」の方が身に沁みてくる。



何が君のしあわせ 何をして喜ぶ わからないまま終わる そんなのは嫌だ♪


 本当に最近マジで何が俺のしあわせで何をすれば俺が喜ぶのか俺自身にもわからない




 長年、精神の充足感が不足していることに悩まされ続けてきた。



 他人が喜びを見出すものに同等の喜びを見出せない。
 もちろん喜びは数値化できない感情だから一概には言えないけれど、他人が楽しんでいるものを同じ熱量で俺は楽しむことが出来ない。



 「これさえあれば生きていける」という、活動力の源となる趣味みたいなものがなさすぎる。



 釣りやキャンプ、フットサル等のスポーツ全般、アイドルや漫画アニメ、音楽……大抵の人間はこういう真っ当な趣味を持っているように思う。



 趣味を持ち、それに熱中するという姿は至極健全である。



 どうして俺は自信を持って言えるような趣味がないんだろう?



 まあ無理矢理捻り出すなら映画を観たり読書をしたりすることが趣味だと言えなくもないのだが、すぐに飽きてしまうからシビアな観点から見ると趣味と言えるかどうか怪しい。



 きっと俺の人間性は健全ではないのだろう。致命的に社会性や、その他何らかの、人生において必要となる力が欠如している。



 素直にものごとを楽しむ能力が無い。



 ものごとを楽しむどころか、俺の心は厭世観に塗れて、まるで下水道の中みたいな様相を呈している。



 どうしてこうも、世の中には忌避したいものごとが多すぎるのか。



 たとえば、活発に動くLINEグループの通知。


 社会不適合者ぶっている割にはLINEグループに入っているというパラドックスが生じてしまっているが、これはあくまでグループに「入らざるを得ない」状況に陥ってしまったからであり、もちろんグループ内では基本的に必要に駆られない限り意地でも発言しない(何がもちろんなんだよ)。




 本当は学生時代も社会人である今もLINEグループになんて入りたくなかったし、そもそもLINEをやりたくないし、史上最強の自宅固定電話使いことアナログテレフォンマンとして生きていきたかったのだが、そこを周囲からの圧力に負けて迎合してしまっているのが社会的弱者たる所以である。



 自分の願望を抑圧してしまうのは良くない癖だ。



 生まれ変わったら絶対にLINEをインストールしないという信条を掲げる人間になりたい。

 もしくはスマホアレルギーにより、スマホを手にした瞬間反射的にとんでもないピッチング力で近辺にある壁へ端末を叩きつけてしまう習性を持つ人間になりたい


 そしてスマホクラッシャーというワケのわからない肩書きを掲げ、「スマホを壊して欲しい」という人間からの依頼を受けながら収入を得ていきたい。




 と冗談はさておき、LINEの通知はオフにすれば気にせずに済むのだろうが、もし万が一LINEグループ内の誰かが心臓発作を起こしたり人身事故に遭ったりして至急病院へ見舞いに行かなければならなくなった時のために通知はオンにしておかなければならない。


 いや、傍から見ると知り合いの誰かを想定内で命の危機に晒しているの怖すぎだろ。


 コイツ潜在的に「身近な人間が瀕死状態になって欲しい」みたいな願望があるんじゃないかと思われかねない。



 俺が厭人的なことは確かだが、流石にそこまでは思わない。



 流石にそこまでは思わないけど、新橋の酔っ払いサラリーマンが嘔吐する直前に口の下にビニール袋ではなく"嫌いなアイツの頭上に通じているどこでもドア"を用意することでリーマンの吐瀉物を嫌いなアイツの頭上からシャワーの如く降り注がせてやりたいな~、とは思う(めちゃくちゃ陰湿じゃねえか)。



 こんな思考してばっかいるから人生がままならないんだよな。





 あと今週なんかモヤモヤしたのが大谷翔平の結婚のニュース。



 それ自体がおめでたいことには間違いないけど、本人も野球に集中したいっつってるし必要以上に取り上げるのはやっぱりなんかねぇって感じだよな。



 オオタニ・サン・オブ・ザ・ショウヘイは精神が完熟してるからインタビューでも冗談交じりに「皆さんがうるさいので笑」っつってたけど多分内心辟易としてるだろう。



 彼の結婚相手が誰か知りたいっていう世間の感情、これも良くわからない。別にそこまで深く知りたいとは思わない。



 しかしこういう態度を取ると、「Hey,you!Youはオオタニ・サン・オブ・ザ・ショウヘイのフィアンセに興味ないのかYo!オオタニ・サン・オブ・ザ・ショウヘイの結婚に興味がないなんて確実にYouは脳内の何らかの機能が欠如してるから今すぐHospitalにGoして診てもらった方が良いYo!」みたいなことを言ってくる輩が現れる。



 別に全く興味がないワケではないし素直におめでとうという気持ちはあるのだが、必要以上に知ろうとは思わない。



 もし仮に吉野家が「祝結婚!会計前にオオタニ・サン・オブ・ザ・ショウヘイの奥さんの名前を大声でシャウトすれば牛丼並盛りを無料にしてやんよサービス」とか始めれば多少は興味が沸くかもしれないが、現状そんなことはないので特に知るメリットもない。



 というか時代の流れ的に「オオタニ・サン・オブ・ザ・ショウヘイもあんま話したくなさそうだし放っといてやるか」となるのが正しい形な気がするが、やはり依然として野次馬的好奇心が世間には根深く浸透しているらしい。



 インタビューの様子を見ていてもインタビュアーはインタビュアーで「世間が聞きたいことを聞くのがワシの使命なんじゃあ!どれだけ本人が答えたくなさそうにしててもここで引き下がったら後でネットで『的外れでアホみたいな質問ばかりする無能インタビュアー』として叩かれてしまうんじゃあ!それだけは絶対に嫌なんじゃあ!…………ハイ、それでは二刀流で有名な大谷選手に質問ですがもし奥様とサンリオピューロランドでデート中、園内に危険物が置かれているのを発見したら素手で掴んで遠方へ投げ飛ばしますか?それともバットで遠方へ叩き飛ばしますか?」って感じで必死だし、事情はわかるんだけども何とかならんもんかね。




 今回のニュースでも、真っ当な人間はそれなりの熱量を持って大谷翔平の結婚に興味を持てるのに俺はそうじゃないんだということを改めて痛感させられた。



 そもそも興味って一体何なのか。興味は持てと言われて持てるものなのか。



 自発的な能動性を持ったものを興味と呼ぶのだから、他人に言われて持った興味というのは本当の意味での興味と呼べないのではないのだろうか。


 こっちは三大欲求を解消するだけで精一杯なのだ。それだけでエネルギーを使い果たしてしまう。他のことに興味や情熱を捧ぐ余裕が無い。



 現に今このnoteを書いている時もずっと眠気に支配されている。時々荒唐無稽でワケのわからない文章が挿入されているのはそのためである。

 特に吉野家のくだりとか自分で書いておいて言うのもなんだがまるで意味がわからない。



 昨日ニンニクがムンムンに効いた餃子を食べた結果、身体中の至るところがギンギンになり夜更けまで桃色動画(最大限の婉曲的表現)を視聴していたら3時間弱しか睡眠時間が取れずにこの有様である。


 完全に三大欲求に敗北している。


 というか今まで散々愚痴っぽく書いて世間に責任を転嫁していたが、結局原因は全部自分にある。


 振り返ってみればnote公式に「今週のおすすめ記事」ではなく「今週最もクリエイターの人間性の醜さが露見した記事」としてピックアップされそうな文章だ。




 こういう性格が歪曲した人間は対極の存在を求めるので最近は福原遥ちゃんのYoutubeとかInstagramばっか見てるんだけど、もう可愛いな~とか綺麗やな~とかを超越して普通に泣いてる。あまりにも清廉潔白過ぎて涙が出てくる。


 よくわからないが多分綺麗な存在を認識すると己の心のとんでもない汚濁具合を自覚して泣いちゃうんだと思う。


 アナザースカイの福原遥ちゃん回をTVerで無限再生する、もしかしたらそれが俺の生きる喜びの答えなのかもしれない……………………。




 はい、ということで親愛なるこのnoteの読者諸賢ならおわかりの通り上手いこと言おうとして中途半端な感じになったら終了の合図である。




 ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。時間を返せというクレームには一切対応しかねます。





おしまい

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