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駄菓子と赤い実【オンガク猫団コラムvol.19】

映画「赤目四十八瀧心中未遂」を観ていたら、蝋紙で一粒ずつ個装されている森永ミルクキャラメルがアップで映し出されて、ふいに懐かしくなった。オイラの記憶では蝋紙から現在の銀紙になったのは、それほど昔のことじゃない。グリコのキャラメルも気が付けば、ハート型になっていて4粒になった。昔はもっと入っていたように思うし、ハート型じゃない。いつから4粒になったのかな。

オイラは、無性にお菓子が食べたくなる時がある。ついこないだは、年甲斐もなくライスチョコが食べたくなった。一時期、あれほど見かけたライスチョコは、何故か現在は殆ど流通していないようだ。ライスチョコを作っていたメーカーが倒産したとか、合併したとか情報が錯綜していて、ネットで調べても今一つ要領を得ない。分っているのは、ライスチョコが出回っていないという事実があるのみである。そう遠くないうちにまたどこかで、ポン菓子とチョコレートによる黄金律のアウフヘーベンを堪能したいものだな。

オイラが子供の頃、一時期耽溺していた駄菓子がある。当時は中毒患者のように、毎日食べていた。ニッキ棒といって、国産の日桂の根っこを洗って干しただけのシンプルなお菓子なんである。根っこが数本、赤いヒモで束ねてあるだけのもの。大雑把に言うとシナモンなんだけど、国産のニッキは辛みに迫力があり、風味がソリッドで癖になる。一般に流通しているセイロン産のシナモンとは、もう完全にモノが違うのだ。シナモン単体じゃお菓子足らしめることは困難だが、ニッキは一廉の駄菓子なのだ。

未開の地に住んでいる原住民のように、半笑いでニッキの根っこをガリガリと前歯で刮ぎ取る。そして味が無くなるまで根っこの皮を奥歯でニチャニチャと噛みしだくだけの、至ってシンプルかつプリミティブな駄菓子なのだ。確か一束20円くらいだった気がする。もう恐らく駄菓子屋で見かけることもないので、いつか家庭菜園的に、国産の日桂を育ててみたいなあ、なんて淡い夢があるが、いつになるやら。

ピークで駄菓子を食べていた頃に思いを馳せていたら、当時の事が芋蔓的に脳裏に去来した。家の近所の雑木林で遊んでいた頃の記憶……。オイラが小学校4年生位の頃、駄菓子も食べていたけど、肥後守を右手に林の中に分け入って、山の幸というか、林の幸を口に運んでいた。アケビの実、吸葛の蜜、スグリ、木苺、山栗。秋には、松林の中で鈴なりになった山葡萄が採れたものだ。松ぼっくりから羽根の付いたゴマのような実を引き抜いて良く食べた。脂っこい松の風味がふわりと口の中に広がって、後味が清々しい。

ネットのスポーツ新聞でさっき読んだ記事で、西武ドラフト3位の駒月捕手は中学時代空腹になると、雑草を食べて飢えを凌いだとか。さすがに雑草は食べなかったけど、オイラの親戚筋の人は、道端のスイバを手折って普通に食べることがあって、傍で見ていてその野趣あふれるダイナミズムに軽く怯んだ記憶がある。スイバはフランス料理では定番の食材だということは、成人してから知った事実だけど、犬のおしっことか猫のおしっことかデリケートな不安要素が拭えない。ロハス的な生き方は、自己責任ワールドなのでそこはご愛敬ということかな。

山菜の豆知識は、オイラの母方の親戚筋譲りである。彼らは、かつて東北の深山に住んでいたので、山菜のエキスパートだった。山菜採り以外に、野の花も林の中から採集してきては、自宅の小さな庭に植えることがあった。スミレ、エビネ、春蘭、山百合、ホタルブクロ、千両、万両、ウメモドキ、ヤマツツジ。母方の婆ちゃんは、オイラの家の近所に住んでいて、特に春蘭が好きだった。庭以外にも鉢植えにして家の中にも飾っていたくらいである。

よく婆ちゃんは、終戦時の話をしてくれた。戦争が終わって一安心、という時に酷い食料難になった。近くにあった鬱蒼とした広大な竹藪に行ってみると、竹が一斉に白い花を咲かせたという。ちょっと異様な光景だったらしい。その後、竹は真っ赤な実をたわわに実らせた。竹藪近くに住んでいる人たちは、赤い実をみんなで分け合い、それが結構な量が採れた。竹の実は決して美味しくはなかったそうだが、当分の間は露命を繋げたそうだ。その竹藪は、赤い実を実らせた後、全てキレイに枯れてしまった、という話だった。竹の実をどのようにして食べたのかは定かではないけれど、恐らく米のように炊いたのではないか、という気がする。旨い、まずいの問題ではなく、竹の実を一度は食べてみたい、などとオイラは思うのだ。どんな味がするんだろうな。

オンガク猫団(挿絵マンガ:髙田 ナッツ)

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