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ユダヤに関する雑感

相変わらず、未だに内田氏の本を読み終わっていません…
職場復帰しつつ、帰ったら子育てが待っている、しかも職場で配られる資料(公刊物のみですが…)を家では読む様にしたので、趣味の読書は行きの電車内くらいしかやれてないのが現状です。
(帰りの電車では座れないので…たまに立ってても読書をされている方はいますが、個人的な主義でそれはしていないのです。)

さて、本題です。
「オメー、ナチスの信奉者だろ!?反ユダヤか?!」と思われている方もいるかもしれません。
まぁ、別に「ナチスの成果物にも評価すべき点はある(むしろ多い)」と主張したことはありますが、ナチス信奉者でも無ければ、ナチスを礼賛している訳でも無いんですけどね。
だいぶ前の記事にも書きましたが、イスラエルのガザ紛争では、私は割とイスラエル寄りですし。
ガザの住民がテロリストたるハマス狩りしてイスラエルに首を差し出せば、ガザ侵攻は止まるでしょう。
それでも侵攻を止めなければ大義名分が失われるので、私はガザ侵攻を非難する立場に転向します。
ただ、イスラム教の教義的に、(建前的には)イスラム同胞の為に戦う戦士の首を異教徒に差し出すなんてのが許されるとはとても思えないので、そういった解決策は無さそうには思いますけどね。
内田氏の本のひとつの章に、日本ユダヤ学会での講演録が収録されています。
彼の研究対象である人が、フランスにいるユダヤ人哲学者だったこともあり、その周辺研究も含めて参加しているのだそうです。
そもそも、彼の専門たる仏文学の学会からは、結構早い段階で脱退しているそうなので、自由人だなぁ…とは思います。
本の中では、日ユ同祖論批判の話題もあります。
私も眉唾(というかトンデモ理論)だと思っているのですが、日本人は実はユダヤ人を祖先に持っている、という説です。
ロマンはあるので、観賞用の陰謀論として楽しいのかと思ったりはします。
ディープステイト(DS)的な陰謀論も、恐らくユダヤ的な何かに対する畏怖と反感の産物な気がしています。
それを見ると、本でも述べられていた「ユダヤに対する畏怖と反ユダヤは同源である」という主張も、ある程度妥当性があるのかもしれません。
個人的なユダヤ感を述べますと、「ユダヤ人の能力開発、教育観とその実績には好感を寄せるが、ユダヤ教徒は迫害されてもしゃあなし」という結構歪なものになっています。
ユダヤ人は内田氏の書籍にも書かれている通り、優秀な人物を多く輩出しています。
元々優秀説も無いわけでは無いのでしょうが、一般的には、ユダヤ人に共通した教育理念が大きな要因であると言われています。
この辺りは、ユダヤ人大富豪の教え的な本に詳しく書かれていたかと思います。
なお、続編もあるのですが、ハッキリ言って無印以外は蛇足だと思います。
それはさておき、ザックリ説明すると、子供の頃から共通の知識基盤を教え込み(ユダヤ人の場合はユダヤ教の聖典を使います。)、それに対して解釈を試み(場合によっては、その解釈の専門家からアドバイスを受け)、それを基に議論を積み重ねる、という習慣が、他の学問分野やビジネスに向き合う際にも良い影響を与えていると言われています。
一方、ユダヤ教の教義は「ユダヤ人以外は終末には死に絶える豚だ。」という、極めて選民主義的思想です。
キリスト教徒もイスラム教徒もユダヤ教徒のことを蛇蝎の如く嫌っていますが、そもそもの原因は、ユダヤ人でなくとも救われる!という教えを唱えたのが彼らの教祖だった、というものもあります。(なお、聖典の民以外はキリスト教もイスラム教も救われないとしているので、やっぱり一神教徒は碌でも無いですね。多神教徒、特に日本人の懐の深さを見習うべきです。)
ついでに、キリスト当人を処刑したのもユダヤ人ということがあって(聖書では後ほど復活しますが、史実ではどうだったんでしょうね?)、ユダヤ人自体がヨーロッパ〜中東において長らく差別され続けてきました。
まぁ、ぶっちゃけ未だに差別はされてるんでしょうけど、今の時代は札束ビンタができますからね。
差別が激しかった時代には、その当時としてまともな仕事に就けずに、当時賎業されていた職業で財を成したユダヤ人が多いのです。
特に、金融での成功者が多いと言われています。
そして、豊かになった被差別民は、貧しい差別者から余計に恨まれる、と。
しかも、金融業ですと借金の取り立てとかするので、余計に恨まれやすいんです。
そういう事情もあって迫害によく遭っており、物的な財産よりも知的な財産(知的財産権とは別です、知識や知恵のことです。)を重視するとともに、その継承にとても重きを置いている人達だと言えるでしょう。
別にユダヤ人差別や虐殺を含めた迫害はナチスに限った話ではないんですね。
ヨーロッパと中東における平常運転だったと言っても差し支えはないのです、当事者たるその地域の住人は都合よく忘れていますが。

一方、日本とユダヤ人の関わりはどうだったのでしょうか?
日ユ同祖論は眉唾ですので、冷静に考えれば明治の時代までほとんど関わりはなかったのでしょう。
明治期に日ユ同祖論は日本で言われ始めたらしいので、その頃には日本人の極一部はユダヤ人のことを認識したのでしょう。
内山氏も述べていますが、その頃には既に大成したユダヤ人は少なくなかったものと考えられます。(特にアメリカで)
また、当時の日本人は、当然のことながら白人からの差別を受ける側でした。(今や黒人からも差別を受けているので、状況は悪化しているのかもしれませんが…)
被差別民族同士のシンパシーと成功者の多い民族という憧れが、日ユ同祖論を生み出した、と内山氏は述べてますし、私もそんな気がします。
そんなこんながあって、ナチスによる大迫害の時に日本人の杉原千畝なんかがユダヤ人を助ける援助をしたりしています。
その恩を覚えて、語り継いでいるユダヤ人がどれだけいるか疑問ですが…(まぁ、彼らにとって日本人は救われない豚ですからね。)
内山氏も述べていますが、そんなこんなあって日本人はユダヤ人が大好きです。
ユダヤに関する書籍は、結構あるというのは、紹介した書籍を中心に心当たりのある人もいるでしょう。
一方、ユダヤ人は(恐らくは一般的に)日本人に対して特に何の感情も抱いていないし、そもそも認識をしていない人が多いのではないか、と述べています。(個人としての付き合いまで拒むということも無いようですが。)
まぁ、世の中そんなもんでしょう。

ということで、ひたすら雑感を書き殴った感じですが、個人的な態度としては、客観的に見習うべきところは謙虚に見習い、現実的には淡々とお互い損しないお付き合いをしていく、又は関わらないという所が関わり方としての落とし所なのではないかと思います。
そして、特に選民主義思想が強いユダヤ教徒も含めた一神教徒は、日本人の懐の深さを見習うべきですね。
彼らの神なんて、日本人にとっては八百万の神の一柱に過ぎません。
そう言った懐の深さが無かったから、彼らは長い歴史の中でハレーションを起こしまくってきたのでしょう。
やっぱり、日本人の精神性をベースに世界統一するのが、全人類にとって幸せなことでは無いでしょうか?とか思ったりするのです。

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