見出し画像

数学が本質的に苦手な人はいない。の欺瞞


証明は超簡単

「高校数学までなら努力をすれば誰でも出来る」という主張をよく目にするが、根拠が全くなく欺瞞である。
私は職業上多くのLD、ASDその他様々な人を見ているが、無理なものは無理である。現状を知らなすぎる。
進学校を卒業してそこそこ良い学歴を積み、「後から思えば高校数学は簡単だったな」と振り返り、そこに同調するものが多いが、君や君の周りが出来ているだけである。
誰しもが大なり小なり障害を持ち、それが一定レベルを越えれば診断を受けるという事を思い浮かべれば能力はグラデーションである。つまりもし、LDには数学が無理と認めるならそれは同時にそれ以外でも無理な人は沢山いるということを認めることと同じである。

得手不得手を無くす美徳

これは美徳でも何でもない、不得手を無くすなど現代社会にそぐわない苦行を強いることである。
勿論どんな能力であろうと当人が諦めない限りは存分にやらせれば良い。また現カリキュラムでは必須なのであるから、積極的に諦めさせる方向づけは誤りである。
しかしそれでももし「苦手だがやらなければならない」と思いながら当人がやっている場合は、「不得手は不得手のままで良い」と伝えるべきなのでは無いだろうか?

数学は最も大切という思い込み

アマチュアながら長年数学サイドにどっぷり浸かっている私からしたら、数学を難関大入学レベルに出来る程度の人が「最も大切」と言ってくれるのは嬉しくて否定したく無いものだが、別に最も大切ではない
科学を行う上では「数理モデリング」という最も大切な部分に関わってくるとは思うが、人生のあゆみとして最悪捨てても良いものである。
能力として最も重要なのは人間としての思慮深さであると思うので、数学はそれを育てる最良の選択の一つとは思うが、いくらでも代替えはきく。例えば情報、国語、英語、倫理、経済など好きなものでも十分身につくと思う。
故に個人的には数学を必須にするカリキュラムはどうかと思っている。

綺麗で残酷な嘘

スキとかいいねが入りやすい記事の特徴として、現実に即していない綺麗事(嘘)を言っているという傾向があるのでは無いかと思っている。
タイトルのものもそうだが、「極値」と「グラデーション」から大体簡単に偽と導ける日常的命題(綺麗事)は非常に多い。
今は教条的美徳に対して感動し「うんうんそうだね」と言う時代では無い。「何となく」で野球部を坊主にする時代は終わったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?