徳永英明の姿と私たちの聞き方 壊れかけのRadio

徳永英明を聴いた。
心から驚いた。このような歌い方をする人は今まで見たことがない。
自分の心臓からゆっくり、ぶわっと大地が湧き上がる感覚があった。

これから書くことは全く事実ではなく、個人がある一人の歌手の姿に対し瞬間的に感じた妄想だということを、あらかじめ断っておく。


顔も、声も、動きも、しっかり見るのは初めてだった。
無慈悲で美しい顔立ちに少年のような無垢な歯並び、深い底から聞こえる、救ってあげなければならない哀しく細く強く訴える声。パーツは何一つバラバラに見えた。徳永英明という人間が自分の中で合わさらない。

彼は自分もほかの人間も誰も信用できていない表情で未来を探り、自分自身に問いかけ、言い聞かせ、ひとつひとつ確かめながら言葉を置いていく。
そこには彼一人しかいない。目の前には観客が、背中には演奏者がいるはずだが、彼の世界にそんなものはないし、私たちにもかすれた空間に彼がたった独りでいる世界しか見えない。

これまで歌を聴いてこのような不思議な感覚を覚えたことがあるだろうか。

歌手は聞き手の存在により成り立ち、歌は聞き手が歌手から様々な感情を受けとるもの。の、はずだったが、
彼は私の中の歌の概念を綺麗に壊してしまった。彼は誰かに聞かせることもなく、訴えることもなく、ただただ自分と世界との関係を丁寧につなぎ合わせる。これが彼にとっての歌である。


では、そこで、私たちは彼をどう見て、歌をどう聴くのが良いのか、非常に頭を悩ませることとなる。
彼の孤独な仕事に決して足を踏み込んではいけない。彼の心の内を知ろうとしてはいけない。知らなくていい。それなら、私たちは何を思うか。

この歌は、聞き手が歌詞通り思春期である場合に大人になることへの期待や不安を共感するといった、ごく単純なものではないのだ。
「radio」
私はこの歌から、過去と未来へ広く伸びた永遠の世界を思い浮かべた。

古いラジオは、同じ場所で何万年も生きてきた大樹のように、文化の移ろいや人の変化を永く見てきている。戦時中に母と聞いた国歌、寒い部屋で家族で身を寄せて聞いた天災の被害状況、兄が大好きだった流行りのアイドル、少女が初めて聴いた洋楽、お腹の中の赤ちゃんに聞かせた昔話。古いラジオは数えきれないほどの歴史を知っている。思春期だった自分が少しずつ大人になろうとしていたあの頃のことも。

思い描く大人になれるか不安な少女。将来に胸を躍らせる少年。子供のまま立ち止まっていたいあの子。彼らは常に何かを思い、いろいろな音や声を聴きながら、また次の思いを見つけ、変化していく。
人が本当の幸せを知るために様々に時を過ごし流れてゆく姿は非常に美しいものであり、徳永英明はこの素晴らしい永遠の流れを、古いラジオにつまったこれまでの世界の思い出そのものを、代表して心に刻もうとしているのだ。危なげに、でも着実に。そして私たちはその姿を見て、悩みながらも成長し時を大切にして生きていこうと心に思う。ありがとう。

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