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13日目〜最後の秘境〜

私は昼まで布団の中で幼虫のように転がっていた。家主のK君はそんな自分を見送ると自転車に跨がり生活費を稼ぎに出掛けた。日の差さない町家のがらんとした空間が取り残された。

「時間も時間だし、米を研がなければならないな。彼が帰ってくる前に皿洗いも済ませよう」そう自分に言い聞かせると、蓑虫は心地よく温まった布団からのそのそと這い出た。台所へ行き米の入った袋を持ち上げる。一食分にも満たない量が軽い音を鳴らした。

「買いに行かなくちゃいけないぞ。K君は何も気にせずに出掛けてしまったんだな。米を炊くようにも言われていないから、帰って来た後に米がないと知ったら彼は一体どうするつもりだったのだろうか」不満を抱く一切の権利を持たぬ寄宿人はただ純粋な疑問を抱いて買い物へと出掛けた。

近くのスーパーを3軒ほど回った。京都市街における米の相場を確かめてから妥当なものを購入する。一昨日、琵琶湖を自転車で走ったので滋賀県産の米を選んだ。食事中の話の種にでもなればいいと思った。

皿を洗い米を研いでK君の帰宅を待つ。自分はこの家では主婦のような役割を演じているとつくづく思う。K君は私ほど神経質ではないから、逆の立場だと互いに不満が溜まるに相違ない。

神経質な夫が仕事を終え、細かいところに手の行き届かない呑気な妻の待つ家に帰ったら訳もなく無性に苛立ちはしないか。逆の場合、神経質な妻が夫を締め付け過ぎずに内心での優越を保ちつつ呑気な相手に譲歩すれば円満に生活できるという推測は、独り身の経験不足から来る全くの見当違いだろうか。

一仕事終えたK君が帰って来ると「お米ありがとう。いくらだった?払うよ」と膨らんだ米袋にすぐに気が付いて財布を取り出した。家に泊めてもらっているという意識から私は米を献上するつもりでいた。しかし働いていない人間に説得力など露ほどもなく、結局お金を受け取ってしまった。それから彼は配達から戻るとよくやるように「この時間でいくら稼いだと思う?」と寝転ぶ人間に向かい嬉々として問う。

「三千円くらい?いや、もしかしたら四千円行ってるかもしれないな」
彼が無言で口角を上げる。
「それでいくらだったの?」と聞くとK君は勿体顔で「五千円」と答え、続け様に五千の後に並ぶ正確な数字を読み上げる。
「すごい!すごいなあ、自分がごろごろしたり買い物に行く間にそんな大金を手にしたんだ。本当にすごいよ!」彼を畳から見上げるようにして心からの賛辞を贈った。
「いやあ、気持ちがいいね。毎回全く予想通りの反応をしてくれるんだから」とK君は満足気であった。

昼食を終えた時刻は午後三時を過ぎていた。このままだらけているとあっという間に日が暮れてしまう。何処かへ出掛けたい気持ちがむくむくと膨れ上がる。K君に聞くと岡崎公園でサッカーがやりたいようである。それで平安神宮と岡崎神社を参拝した後でサッカーをやることになった。

計画通りに平安神宮と岡崎神社を廻る。平安神宮の境内には外国人がちらほら湧いていた。彼らの後を追うようにして機械的に参拝を済ませる。物足りない気がしたので、本殿を出た先で多量にぶら下げられた絵馬を前に「どの願望が最も純粋であるか決めよう。君と僕でそれぞれ選んだ願望を対決させるんだ」とK君に言った。彼は快諾してさっさと古本でも漁るように絵馬を手に取る。私は若干の申し訳なさを抱きながらも「これらのほとんどは、無私の精神で神に祈る崇高な願望ではなく、私欲に基づいて神様という名ばかりの化け物に自分の優遇を求めた嘆願書であるのだから気にすることはない」と自分を納得させて中を覗く。

「これがいい」彼は然るべき絵馬を見つけた。「ちょっと待って」と私は最終選考の末一つに決めた。私が選んだ絵馬の上には不揃いの大きさの文字が斜めに傾きながら並んでいた。「大きくなったらアイドルになれますように」と小さな女の子が書いたようである。それを見てK君は笑った。「欲望塗れじゃないか、これを見てご覧」彼の示した絵馬を見る。そこには一文だけ「よろしくお願いします」と記されていた。それを見て私は笑った。「何も言ってないに等しいじゃないか、俺の勝ちだな」それを聞いたK君も自分の勝ちを主張したので我々は平行線を辿り勝敗は決しなかった。

岡崎神社へ行くと修学旅行生の女の子たちが何人かいた。神使として兎を祀ることで有名な神社を自由行動で訪れることにしたのだろう。当然ながら兎たちが我々の琴線に触れることはなく早々にここを後にすることにした。

鬱蒼とした木々に囲まれる岡崎神社の拝殿の裏に寺があるらしい。手水舎の辺りから裏の方が僅かに覗けた。高台に構える寺の雰囲気に惹かれて神社の横道を上って行くことにした。前を行く人も擦れ違う人もいない。小道を上がり切ると小さな屋根付きの門がありどこかの寺の境内に入ったことを知らせた。そのまま進むと左手に大きな寺院、右手の山腹に三重塔が現れてそこへ通ずる一本の石段が墓地の間を真っ直ぐに走っている。好奇心に駆られ右を指差して「こっちへ行っていいかな?」とK君に尋ねる。こういうときに彼が断った試しはほとんどない。駄目だと言われても私は一人で行く気でいる。だから散歩する道に拘りのない彼が自然と私に合わせてくれているということがわかるのだ。

我々は石段を登りはじめた。K君の眼には映らなかった五劫思惟阿弥陀仏というアフロヘアの石像が途中にある。阿弥陀仏になるまで五劫という無限とも思える長い年月をかけて思索したせいで頭髪が膨張したらしい。奇妙な仏像にさえ目もくれず先に行ってしまったK君が仏塔近くの高みからこちらを見下ろす。それに合わせて振り返ると稜線の下で夕焼けに沈む京都市街が一望できた。人影はどこにも見当たらない。外国人でごった返す清水寺が頭の中で自然と対比される。眼下に映る見慣れた街から切り離されたように感じるとこの眺望を発見した喜びに浸った。

それから我々は石段を降りずに北へつづく道を進んだ。無論、自分が希望したのである。少し歩くと右手に会津藩の殉難者墓地が現れる。幕末に京都市中の治安維持に務めた会津藩の墓である。ここに眠る彼らは我々と同じ場所に立ちながら神経をすり減らして京都市街を眺望していたのだろうか。

すると地元の散歩中と思しき夫婦が横道からひょいと出てきて我々の前方を歩いていった。彼らに導かれるように奥へ進むとまたしても立派な寺に出る。本堂の前に掛けられた看板に大きく真如堂と書かれている。ここにも来たことがなかった。色づく前の紅葉が境内に美しく立ち並んでいたので、「K君だったら紅葉を見に京都旅行へ来た人をどこへ案内する?」と聞いた。彼は少し考えあぐねてから南禅寺と答えたので、是非ともここへ連れてくるべきだと力説した。

高台になっている寺の外周を軽く散歩することにした。大通りに隣接しているはずなのに車通りはまるでなく、北側の風景は近くに吉田神社があるせいか中心部から切り離されたような静かな趣きがあって大変気に入った。東側から境内に再び入り真如堂の西側から正門を通って自転車を止めてある岡崎神社へと向かった。中途、この二つの寺社に挟まれるようにして存する寺の境内を再び通る。正門を潜るときに初めて金戒光明寺という名を知った。飽きてなお京都を訪ねる自分にとって、ここは京都市街で偶然に発見した最後の名所だという気がした。

岡崎神社で自転車を拾い上げると岡崎公園へと向かう。到着したらすぐにサッカーボールを転がして身体を動かす。しばらくするとK君が試合形式で3点先取の一対一をやりたいと言ってきた。体力のない自分は負ける未来しか見えなかったが、これまで自分の得意なリフティングで勝負してきたので仕方なく引き受けることにした。結局、私は何度やっても勝てなかった。子供が駄々をこねるようにハンデをつけた再戦を希望したが、「もう終わろうよ。疲れた疲れた。そんなに再戦したいの?悔しかったの?え、悔しいのか?そりゃあ悔しいよねえ。わかるわかる、悔しいんだなあ」と狂ったように煽って来るのだった。勝利が余程嬉しかったのだろう。唇を噛み締めて何とか再戦に持ち込むが、どうしても勝てなかった。負けを認めると自分はあっさり引き上げることにした。時刻は既に午後七時前だった。

K君の家の最寄りのスーパーまで戻ると「寄るから先に帰ってて」と言われここで別れた。帰宅したらすぐにきゅうりの糠漬けをななめ切りにしてK君が戻るのを待つ。時が来るとお茶の時間が始まる。狂人のように煽り散らしていた彼はシュークリームを二つ買ってきてくれたのだった。そして夜中、彼はこの日も寒空の下ひとりで懸垂しに出掛けていった。

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