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往復書簡は人だけに非らず・I do

想い、心、言葉の往復、というのはいつの世も心を潤わせ踊らせるものです。
生きる力そのもの。

会話や手紙に留まらず、記事に対してのスキやコメントも謂わば往復書簡のかたちのひとつ。
簡単に二者間です。

以前に軽く触れた話題、愛読者カードという書籍に栞の如く挟まれたあの葉書も出版社と著者と読者を繋ぐもの。
こちらは三者間。

レビューなどは販売元、購入者の二者間のていをなしながら大衆という規模の大きなものへと拡散されて拡張していく広告力も強いもの。
三者間。
影響力が大きい波及型。

でもこれらは結果的には私の中で全部のパターンが波及型に集約されていきます。

二者間で楽しいことがあったらその笑い声やうれしい空気は周囲に伝播するからです。

石だけが波紋を呼ぶのではなく、そよ風だって、タンポポのいち綿毛だって、水中の生きものだって動きがあれば全て一律水面で波紋となりますよね。
その動きは気付かないくらいささやかであるものです。
しかし対岸に届く頃、地球の裏側ではとても大きな乗りやすくフォトジェニックな波になっているもの。

雰囲気のいいお店、柔らかな雰囲気のあの人。
会うと元気になるあの人。
ピリッとするけれど襟を正せる分、確実に何かを学べるあの人。

何だかあの人にあうと、何かがうまれるというような体験。経験。予感。兆し。
ここに理由や説明はいらないなあと思っています。

あなたもこれらのことは実体験で知っていると思います。
中にはガラガラのお店やお手洗いが自分が入って出る頃には列をなして満員御礼な人もいると思います。或いは知り合いにそんな人がひとりはいるんじゃないかなと思うほどベーシックなケース。招き猫なんだろうか?そんな人っていますよね。
お店側、スタッフから見たほうがこれは特にわかりやすいと思います。

私はあらゆる自分の理解をざっくりとふたつに分けています。

I know とそれ以外です。

急に?しかも雑だな?とお思いでしょうが、説明が不得意ですのでどうかご容赦くださいませ。
どうぞお付き合いくださいませ。

こちらも去年に触れた話題より花火を例に用います。
打ち上げ花火というものを私が体験したことがない場合。これを私はI knowとして取り扱わないです。

花火大会の映像を観て、わかった気になること。これを私のケースではそれ以外と称して分類しています。
勿論これはいいとか悪いとかを論じている訳ではありませんのでご了承を。
私の理解のケースをシェアしていくのが目的です。
体験した上で映像で充分というケースと、未体験で映像だけで充分という判断に及ぶケースの違いを私は明確に分けて取り扱っていますという話です。

あなたの場合はどうでしょうか。
本当に人それぞれに基準が異なるのは面白いと感じています。

花火会場で体験して得られた五感と経験をもってして漸く私の場合はI knowに至ります。
自分の中でのI knowをとても大切に取り扱いたい。


そして、あなたのI knowをきく。

I knowには深度が伴うので、還る日まで私は何度でもI knowに至るプロセスを行います。
最期の日のI knowはきっと感無量だろうなと胸が熱くなります。
その日のI knowはここ一番、渾身の「私は何も知らなかった」の意となることを既に知っています。
でもそれが望ましいじゃない?どうかしら。

そうして私の新たな一頁が生まれ来る。

花火会場の熱気、人の騒めき。熱気と外気。
空からビリビリと伝播する空気感、地を伝って足元から腹へと届く力強い音の振動。
ドンっとよろめきそうになるぐらいに音は強く体を震わせる。
空の花と地を繋ぐ根っこのようなものを己の五感と体を通して感じる。
花火はひとつの木であり、一輪の花でもある。
確かに地に根を張るもの。基づくもの。
絵空事なんかではありません。
花火は天にあるものであり、それだけに非らず。
地から天へ、あなたという心身を経由してまた地へ放たれ。
そうしてあなたの心身へ集約され還元される。
花火は咲き誇り、煌めきながら四方八方に散らばり夜空に枝垂させて溶けたとみえて実はあなたの心に種子を撒いて忍ばせています。
感動というものを覚えたひとにだけ、その種を大切に忍ばせて持たせてくれる。
あげるよとは言わないのが花火です。
奥床しい。秘すれば花、とはまさにこの事です。
初めましてのあなたは私のこの何のこっちゃ感をお許しくださいませ。
まるで綿毛です。気付かないうちにそっと運ばれて時を待ち芽吹きます。

あなた、私、という個が存在しなければ成り立たないのが全ての物事。出来事。

立ち会ったひとの数だけ共有される。
拡がっていく。
そしてあなたが持ち帰った感動が、その種が写真や動画を手土産、お裾分けとして立ち会わなかったひとにも手渡され共有されて拡張していく。

打ち上げられた光と音の伝わり方がうむ差。
その自然な時差。
この自然な差を味わうもの、全てを制すのではなかろうか。
火薬の匂いを嗅ぎ、空の芸術を楽しみつつも、周囲にはソース香る焼きそばや香ばしい醤油の香りを漂わせたトウモロコシ片手の人たち。
中にはパリパリしゃくしゃくとりんご飴を咀嚼するのに余念がないひと。
そういった生きる力の漲った逞しいひとたちが立てるプラ容器のパリパリとした音や輪ゴムが立てるボワン!というお馴染みの音などをきく。いい現実味です。
生きてるって感じがします。異なるから面白い。
音に驚いて泣いてしまうこども。
そんな事より眠いんだ!とぐずる子ども。
これは何なのだと見惚れる子どももおり。
一方で電子音をバリバリに鳴らし携帯で話し始めるひと。
集中出来るようでできないような様々な人の集まり、あらゆる大会。暮らし。

それを嘆くひともいれば、それさえ風物詩だと微笑むひと。これこそ醍醐味だと豪語して味わうひと。
そもそも花火大会に集まるために、それぞれが既に物語を持ち寄っていて。
それくらい色んな人たちが一堂に会する集まりそのものの力。
何の共通点もなく、ただひとつの目的の為に集まる。
暮らしとはすべからくそういうものじゃないのかなあと思ったりもします。

その日の為に選んだ浴衣。
その日の為に髪を結ってくれるサロンのひと。
この雑誌のこれをお願いします、という為のその雑誌を生むために携わる多くの専門家たち。
待ち合わせの相手。
待ち合わせ場所に抜擢されるカフェなどのお店。
慣れぬ下駄を理由にタクシーに乗ったり。
普段話すことのないひとと生まれる会話。
仕事帰りに疲労困憊で俯く電車で、花火大会へ向かう人の浴衣に大輪の花をみて思わず浴衣に目を遣ってしまうひとの心にうまれるもの。
下駄が痛くて立ち寄ったコンビニで絆創膏を貼る。
それを駐車中の車内から見るともなしにみて、そういえばあの頃…と時間旅行をはじめて徐に家族に電話するひと。
そのひとのその瞬間が何かを大きく変え得る。
そのひとがその日帰宅して人生の舵を大幅に切り替える可能性。
そんな様々や因子を含む私たちの暮らしの景色。

あなたにそんな意図はさらさらなくても、あなたの暮らしの色は私の世界に安らぎや喜び、発見。
手段や発想を齎すしその逆もまた然り。
意図して体験や経験、感動を分かち合ってくれるならばその影響力は誰に対しても世界に色を齎す。
それは莫大で膨大で圧倒的です。
いつもあなたのご協力感謝します。

天気とひとの往復書簡は毎日行われて、現代の私たちは予報士や気象庁の力を借りて快適に大会の計画を立てたり暮らしの予定をつくります。

花を愛でることもあなたと花の往復書簡。
近隣の犬猫、鳥をついつい見てしまい顔が綻ぶのもあなたと生きものの往復書簡。
何個あってもだいすきな物を集める、つくるあなたもその物とあなたの往復書簡。
登山をこよなく愛するあなたもあなたと山の往復書簡。
二次元のあのひとを本気ですきなあなたもあなたとそのひととの往復書簡。
言葉を返して来なくともあなたは確実に心と体と時を使って往復書簡を交わし続けていると思うのです。

そんなあなたとあなたの愛するものが外野の声に掻き消されませんように。
普通は、という声にのまれませんように。
私とあなたが個々に生きる、手を取り合って暮らす日々で慈しまれ育まれていく普通、普段と呼ばれるもの。
持って生まれたものこそが私とあなたの普通。
とびきり素敵なものです。唯一無二の至上且つ自然な在りよう。佇まい。
私はいつもここでわあわあ言いながら願う。
勿論、私もがっちりそうします。
どう思われても構わないと思いながら生きてきたとはいえまだまだ敢えて口にしないこともある訳ですよ。
でもそれは言えないとかじゃなく、通じないひとにたくさん会って非難されて自発的に引っ込めたからです。
相手のせいじゃないんです。私が判断してそうしてしまった。でもここからはもうそれもおしまい。

理解に及ばないからといって非難することと同じくらい私がその声を受けて、確かにあるものをなかったことにして口を噤むことも誰も得しないと思いました。
私がわかっていればいいこと。そして、どこかには必ずわかってくれる人がいることを胸に。
その為にはひとさまに披露するしないを問わず書き留めること。
自分への手紙を日々認める。

それだけで充分、ここで漸くI knowとI doです。
自分との決着がつきました故、この記事を認めています。
あなたはどうですか?そんなようなこと、あなたにもありますか?

きっと愛でることのあまねく全てが往復書簡です。

ひととの往復書簡以外にあなたは何と往復書簡を楽しんでいますか?


過去イチ長くなりました。
読んでくださったあなたのご協力、重ねて心より感謝します。




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