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ウクライナ戦争と宇宙小戦争

 ロシア連邦軍が、ウクライナとの国境地帯において大量動員を行っているというニュースは、ネット上でもオールドメディア上でも、昨秋から繰り返されていた。識者のうちの何人かは、武力衝突が起こる可能性を指摘していた。二〇二二年二月二十四日、天皇誕生日の翌日、その危惧は現実となった。彼らは国境を越え、新しい戦争が始まった。ロシア側はこの戦争を「特別軍事作戦」などと呼称していたが、その実態が侵略戦争であることは、誰の目にも明確であった。
 開戦劈頭から、ウクライナの首都キエフにミサイルが飛んできた。ロシアの陸軍部隊はキエフ近郊まで接近し、陥落は時間の問題かと思われたが、ウクライナのゼレンスキー大統領は退避行動を取らなかった。キエフ市内に留まり続け、その市街地に立ち、ツイッターを用いて徹底抗戦を全世界に呼びかけ続けた。自らの命を賭けた、この決死のパフォーマンスは、マスメディアとインターネットを通じて即時的に拡散され、自由主義圏の国民・市民から広く同情を集めることに成功した。
 他方で、戦争の進行に伴い、ロシア軍が占領地域において行ったとされる虐殺行為、残虐行為が、明らかになり始めた。現代において、信じがたい戦争犯罪であり、世界はロシアに対する批判を強めることとなった。日本を含む世界各地で、ロシアへの抗議とウクライナへの連帯を表明するデモが開催されることとなった。
 開戦当初からウクライナ支援に積極的だったのは、アメリカ、イギリス、ポーランド等であり、天然ガスをロシアからの輸入に依存しているドイツやフランスとは温度差があった。しかしながら、この国際世論の高まりを受けて、それらのEU諸国も、ロシアとの対決姿勢を強めることとなった。
 マスメディアは、ウクライナの地名、都市名を従来のロシア語読みから、ウクライナ語読みに改め始めた。キエフは「キーウ」、オデッサは「オデーサ」と表記され、またそのように発音されることとなった。当初は奇異に感じたが、しばらくすると慣れた。



 ゼレンスキー大統領は、コメディアン出身の政治家であり、映像メディアを用いた大衆向けパフォーマンスに長けていた。メディアが形成するイメージが極めて強力な武器となるインターネット時代の戦争において、最高指導者のこの資質は非常に有効に機能した。ゼ大統領は、自身のその能力を最大限に活用し、情報戦の一環としてのテレビ演説、ネット演説を、世界各国の議会や国際会議において積極的に行った。勿論、日本の国会でもまた、演説が予定された。日本の国会で演説を行う際には、国会のどの建物で行うか議論があった。衆参の本会議場にはプロジェクターが設置されていないとのことだった。結局は本会議場ではなく、議員会館にて行われることとなった。
 その中継を、自分はユーチューブとアベマで見た。官房長官であった菅義偉が、新元号「令和」を発表した時と、同じであった。内容は両者特に変わらなかったが、アベマはユーチューブと比較して明らかなタイムラグがあった。このタイムラグもまた、新元号発表時と同様であった。いずれにしても、地上波テレビが不必要な存在であることを再確認した。
 おそらくは、ウクライナ人と思われる女性の同時通訳者が、懸命に通訳を行っていたが、その日本語はスムーズなものではなかった。だがその様子が、ウクライナの窮状を、真率な印象をもって人々に伝えることとなった。演説会の司会を行っていたのは、自民党の参議院議員である山東昭子であった。この人もまた、女優出身者らしく良く通る声をしていた。演説は最後、スタンディングオベーションにて締めくくられた。
 
 妹から久しぶりにラインが来た。姪を連れて、この春公開されたドラえもん映画を見てきたとのことだった。『新・のび太の宇宙小戦争』。宇宙小戦争と表記して、リトルスターウォーズと読む。軍事クーデターに襲われ亡命してきた宇宙人の少年大統領を助けて、のび太一行が反乱軍に助太刀して独裁者に立ち向かう物語である。オリジナルが執筆、制作、放映されたのは昭和の末期で、私や妹が小学生であった頃だ。丁度私たちが、今の姪と同じぐらいの年齢の時であった。
 同作は冒頭、クーデターに襲われた少年大統領が、脱出用ロケットで宇宙空間に亡命するシーンから始まる。その、パピという名前の少年大統領の服装が、水色と黄色で構成されている。ウクライナ国旗と、同じカラーリングだ。これはまさしく、現下のウクライナ情勢を予言した作品だと、ママ友同士で噂しあっているという。
 バカバカしい、単なる偶然だと返信しておいた。
 そんなことはどうでも良かった。リトルスターウォーズの最も重要な構成要素は、武田鉄矢が歌う劇中挿入歌「少年期」である。物語の後半、地下水道のレジスタンス基地においてこの曲が流れる場面は、アニメ映画史に残る名シーンであるのに。
 今回のリメイク版では、使用されていないという。何とも詰まらないことであり、残念なことであった。明確な文化的損失であった。
 ゼ大統領の必死の政治活動を受けた西側諸国からの援助と、ロシア側の戦略・戦術ミスが重なり、ウクライナは首都キーウの防衛に成功した。何の遮蔽物も無い広大なウクライナの平野に、長い車列を無防備に晒して緩慢な行軍を続けていたロシア軍の戦車部隊は、撃退され壊滅した。西側から供与された歩兵携行用の対戦車兵器の評価が、大いに高まることとなった。不利な状況に置かれながらもウクライナ側は勇敢に闘い続け、機を見ては反撃を試みた。戦争は長期戦の様相を呈し始めた。

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この星のこの瞬間もミサイルが誰かの夜空を明るく照らす

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