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18の終わりに思うこと

18歳が終わる。時計の長針が、あと一周したら。18年。こういう文章を書く時、世間はよく“長いようで短かった”と言うけど、私にとっては“短いようで長かった”と思う。幼い頃からいつも他人の人生に憧れていたし、次の人生に期待していた。多分ずっと、自分が生きるべき人生に集中していなかった。どこか覚悟が足りなくて、中途半端に成功する感じがもどかしかった。小学生の私は中学生になれば強くなれると思っていたし、中学生の私は高校生になれば自由になれると思っていた。18歳さえ迎えてしまえば、世界から認めてもらえることが多くなる。実際、自由度はかなり高くなった。ピンク映画を観ることは止められないし、ホテルに1人で泊まれるし、人の人生を左右する票だって無責任にも投じられるようになった。でも何故か、自由になればなるほど不自由だった。確証のないまま進む道は、どんな山道よりも山道だった。周りの大人はよく、「今のうちに青春しておきなさい」と言っていた。青春ってなんだ、と、ずっと考えていた。隣の席の子の横顔を、バレないように見つめることか。部活で全国目指して汗水垂らすことか。勉強してトップの大学に入ることか。分からなかった。分からないから、誰かの「学生のうちに、恋愛か部活か勉強のどれかに力を尽くすといい」という言葉を一心に信じて、高校はずっと机にかじりついていた。将来の夢に向かって突き進む同年代のドキュメンタリーを観ることが苦しくなったのは、15の時からだった気がする。いつか、無言でチャンネルを変えなくても良くなると良い、そう思う。

18年生きて分かったこと。人は簡単に人を裏切ること。それはもう、平然とした顔で。それでも信じるしかないこと。何かを信じ続けて、一見関係ないように思える小さなことに一生懸命になれる人が、本当に強いこと。朝の満員電車には優しさは存在しないこと。続きはどこから始めても、終わりに大差はないこと。直感を信じて動くことも時には必要なこと。「ありがとう」と「ごめんなさい」にプライドは持っていけないこと。運命は簡単に、良い方にも、悪い方にも、ひっくり返ってしまうこと。多分もっと気づいたことはあった気がするけど、今大学のテスト勉強に追われているので、これぐらいしか並べられない。

もう最近はすっかり「お疲れ様です」から始まる会話に違和感を感じなくなった。幼い時は「変なの」と思いながら見ていたことを、当たり前にこなすようになった。きっとこれから先、もっとこういうことが増えていくのだろう、と思う。

19歳。10代ラスト。全力で自分を幸せにするし、大切な人たちも全力で幸せにしたい。そう強く願ってやまないのだ。

18歳、お疲れさま、私。

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