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心の穴を埋めてくれる「理想の恋人」はいるのか

(傷だらけの恋愛論  第一回)



はじめに

こんにちは。不可逆です。

今回から、「傷だらけの恋愛論」と題して、恋愛やコミュニケーションにまつわる様々な問題について、考えていきたいと思います。

恋愛は生きることと切っても切り離せません。なのでこのマガジンでは、一見恋愛とは関係なさそうな話題が出てくることもあります。しかし、それも生きるために大切だと私が思うことであり、あとから全部ちゃんと恋愛に繋がってきます。

この恋愛論が目指すのは、恋愛を攻略するためのノウハウを伝授することではありません。

恋や愛とはなんなのか? なぜ私は恋愛で満たされないのか? どうやって人を愛したらいいのか? 自分の人生をよりよいものにしていくために、そうしたことをひとつずつちゃんと考えていくきっかけを作ることが、この「傷だらけの恋愛論」の目的です。

だから、これを読んでも別にモテるようなったりとかはしないと思います。ただ、よりよい人生のために、よりよい恋愛をしたい。まっすぐに生きていきたい。少しでも、そういう人の役に立つことを書きたいと思っています。



心には穴が空いている

さて、恋愛の場面に入っていく前に、そもそもなぜ人を好きになるのか、どうして他者を求めてしまうのか、というところから考えてみたいと思います。

人間を含め、動物にはもともと生存本能のひとつとして性欲がプログラムされています。自分が死んでも、子孫を残すことで、種としての生存の目的は果たされるわけです。

しかし人が他者を求めるとき、性欲のためだけに求めているのかと言うと、もちろんそんなことはありません。性欲以外にも、他者を求める欲望があります。それはなんなのでしょうか。

それを考えるとき、ヒントになるのが「心の穴」という概念です。比喩的にもよく使われる表現ですが、ここでは『すべてはモテるためである』の著者でありAV監督でもある二村ヒトシさんが、哲学者の國分功一郎さんとの対談の中で語っていた言葉を引用してみます。


すべての人間は心の真ん中に穴みたいなものを持っていて、「さみしさ」や「かかわった人を苦しめてしまうネガティブ感情」だけじゃなく「行動のクセ」や「その人らしさ」そして「その人の魅力」も、その穴から湧いてくるんだと僕は考えています。で、モテる人間は「その人の心の穴から湧いてくるものが、他人の心の穴を刺激する」からモテてるんだと思うんです。

『すべてはモテるためである』二村ヒトシ 文庫ぎんが堂 所収
[特別対談]國分功一郎✕二村ヒトシ


すべての人間は、心の真ん中に穴を持っている。そこから欲望が湧いてくるだけでなく、個性や魅力も、その心の穴から湧いて出てくるのだ、と二村さんは言います。そしてまた、二村さんが別の箇所で重要な指摘をしています。それは、親は子どもの心に必ず穴を空けるということです。

赤ちゃんは母親のお腹から生まれ出た時、物足りなく、寂しく、何かが欠けているという状況をはじめて経験して、泣き叫びます。この最初のトラウマによってすでに、心の穴が生まれているのです。それは、完全だったものが今は欠けてしまっている、という感覚です。

成長過程においても、心の穴をいつも母親が埋めてくれるとは限りません。だから時々傷ついて、そのせいでまた心の穴が広がったりもするのですが、それでも、母親の代わりに穴を埋める何かを自分で探しながら人は育っていくのです。


人は誰も完全ではありません。完全ではないということは、自分には何かが欠けているのだ、と考えるのが自然です。その欠けている部分が心の穴です。それは幼少期のトラウマや傷によって作られた穴ですが、二村さんがいうように、個性や魅力もまた、そこから生まれてきます

この心の穴は「鬱で死なない(後編)」で書いた虚無の「穴」のことと同じです。心の穴は、死んだ後に待っている「無」、あるいは別の言い方をすれば「存在の無意味さ」に繋がっているのです。だからこの穴から鬱も湧いてくるし、一方で、人によってはこの穴から愛を生み出すこともできるのです。

さらには創作行為というのもまた、何もない無から有を生み出す行為です。人が創作で何か生み出すときも、この心の穴から湧いてくるのだと言えるでしょう。


そうはいっても、この心の穴は、根本的には「欠けている部分」です。だから、これを埋めたいという欲望が働きます。自分の欠けた形をピッタリ埋めてくれるような他者を欲望する心。それによって「理想の恋人」像が意識の中に生まれるのです。

この節の冒頭の問いに答えると、他者を欲望するのはこの「心の穴」を埋めるためです。心の穴の形が、「理想の恋人」像を作ります。そしてその人を見つけさえすれば幸福で完全な自分になれるのではないか、という期待を抱くのです。



理想の恋人なんていない

ほとんどの人の心の中には、「理想の恋人」像があると思います。といっても、たぶん具体的に頭に姿が浮かんでいるわけではないでしょう。でも、漠然とした理想のイメージみたいなものはあるはずです。

しかし問題は、理想通りの人間は実在しないということです。もし限りなく理想に近い人間がいたとしても、出会うのが難しいし、出会ってから交際に発展する確率も100パーセントではありません。

とはいえ、理想通りの相手に出会えなかったら恋愛は発生しないのかというと、実際はそういうわけでもありません。学校などの小さなコミュニティでも、そこに居合わせた人同士で必ず恋愛は発生します。しかも、自分の理想のタイプとは全然違うような相手との恋愛に発展することさえ、珍しいことではありません。


これはどういうことなのでしょうか。他者を求めるのは、そもそも自分の心に空いた穴を埋めるためだったはずで、そのためには理想の人物が必要だったはずです。それなのに、全然理想と違うタイプの人と恋に落ちてしまうことがあるのはなぜなのでしょうか。

それは、恋愛というものが、理想でも運命でもなんでもない相手を、理想の人や運命の人だと思い込む、という錯誤によって生じるからなのです。

こう言われても、ピンと来ないでしょうか。確かに「あなたは今、なんでもない人を運命の人だと勘違いしています」などと言われたら、良い気はしないかもしれません。

しかしこれはとても重要なことです。なぜなら、先ほども言ったように、完璧に理想通りの人間が存在しない以上、誰もあなたの心の穴の形にピッタリとははまってくれないからです。

だから、すり合わせが必要になります。お互いが、お互いの望むような人物に近づこうとすること。相手の心の穴の形に、自分が近づこうとすること。このすり合わせが双方から行われない限り、関係は長続きしません。


整理します。恋愛は「あなたが私の運命の人かもしれない」と互いに錯覚することによって始まるのですが、しかし魔法は少しずつ解けていきます。徐々に、それが錯覚に過ぎず、現実と理想は違うということがわかってくるのです。

それを自覚していく中で、じゃあそこから、どこまで互いにとっての理想に近づくことができるか。つまり、自分自身を相手の望む形に変えていけるか。そういうことを考えなければならないと思います。そこにこそ愛の本質があります。

もちろん、それは双方が考えなければならないことです。しかしそれが難しい。相手のために自分を変えるということのやり方を知らない人がとても多いからです。どちらかが一方的に相手の理想に近づこうとしているだけでは消耗してしまい、破局に至るケースも非常に多いです。このあたりのことも今後詳しく書いていこうと思います。



今回のまとめ

さて、今回は「心の穴」からはじまり、他者を自分の理想の相手と錯覚することで恋に落ちる、ということについて説明しました。

「恋愛は、理想でも運命でもなんでもない相手を、運命の人だと思い込むという錯誤によって生じる」というこの考え方は、今後もこの恋愛論の中で何度も登場する基本的な前提になりますので、覚えておいてください。

この前提をもとに、次回は、どのようにして人は恋に落ちるのか、さらに詳しく考えていこうと思います。


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