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先日の記事から得た気づき(ジャッジのない世界と的確な表現)

こんにちは、ふうこです。

今回も気づきのお話です。


先日の記事を書いた後、気づいたことがありました。



「ありのままの私を認めてくれる」と書きましたが、
心の奥の奥では、
「ありのままで『良い嫁』と思ってくれる」と
意味で書いていたのではないか、と気づきました。


心の奥の奥では、まだジャッジを持っていました。

ジャッジを持っていたことを赦して手放します。
そもそも、自分の世界にジャッジする人はいらない。
「私の世界にジャッジする人はいません」
「私の世界は全て受け入れ、包んでくれる世界です」


もっというと、夫のお母さんに
「認められる」のではなく、
「受け入れられる」を
望んでいるだとも気づきました。



ちょっとしたニュアンスの違いですが、
「認める」より
「受け入れる」という
表現の方が私の気持ちにピッタリな気がします。


もっともっと言えば、
「愛されたい」という気持ちも
見つけました。


誰だって、「身近な人から愛されたい」
そういう気持ちはあると思います。


ちょっと前の私だったら、
「身近と言えど、他人の母親に
そういう気持ちを持つのどうなの?」
と言うと思います。

でも、私の正直な気持ちです。
「自分に嘘はつかない」
これはもう決めた事なので、
正直に書いています。


「夫のお母さんは、ありのままの私を受け入れて、
温かい愛で包んでくれます」


こちらの方が、私の思いに対して、しっくり来ます。

(世の中、「良い」「悪い」はないと思ってます。
「マッチ」「ミスマッチ」はあるかな、とは思います。

適材適所なら、全てはうまく回り出す。
そういう感覚です。)


何だか、重箱の隅をつつくような記事になりましたが、

「誤解を与えない、的確な表現をする」

というのは、大切だと思ってこの記事を書きました。



今日の記事は、ここまでです。
読んでくださって、ありがとうございました。

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