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今村夏子『あひる』

今村夏子の作品で初めて読んだのが『あひる』。
オードリーの若林がラジオでさらっと名前を出したことがあるのを思い出して、読んでみることにした。

以下、整理が難しかった文


とある家庭に、あひるののりたまがやってきたことで変化していく。
私はあひるがかわいくて好きだし、のりたまって名前も似合っていてとても愛らしいと感じる。
一方で、登場人物たちは全然かわいくない。一見とっても普通なんだろうけど、事実を文章にすると出てくる不穏さがある。
「わたし」、父、母だけでは明るさがなかったであろう家族が、のりたまを取り巻く環境によって、のりたまが拠り所になることによって、父と母が生き生きと変化していく。
この物語の中で「わたし」は、のりたま目当てに家にきた子供に偶然姿を見られた時、驚き、気味悪がられるような存在、この家にいることが「意外」な存在である。
また、両親が子どもたちを招いていた結果、いわゆる不良の溜まり場になっていったことに弟が激怒した際、母は「わたし」のせいにするような発言があることや、両親と「わたし」の会話の描写がほとんどないことから家族仲が父、母、「わたし」だけでは成立しないことがわかる。

のりたまがいなくなったら誰も相手にしてくれないことを父と母はわかっているから、のりたまが死んだら次ののりたまが来る。

のりたまの死を(ようやく)認めた後、弟の子が生まれる。
幸せなように見えるけど、拠り所を求めては代わりを探す家族が描かれていたため、薄気味悪さが残る。
拠り所が、「のりたま」から、「のりたまきっかけで集まる子どもたちの賑やかさ」から、「少々乱暴な弟の子である、子猿に似た赤ちゃん」になるのではないだろうか。

拠り所とたくさん使ってみたけど、拠り所という表現、なんか違う気がする。でも、依存も少し違う気がする。

○わからなかったこと
・盛大なお誕生日会を準備したが誰も来てくれなかった日の深夜、なぜ男の子が来たのか。あれはのりたまなのか(急にファンタジー)。だとしたらどののりたまがきたのか。小柄で繋がるのは二匹目ののりたま。
・のんちゃんが、のりたまの本質を付いたとき、父、母、わたしはバツが悪そうだった。ようやく死を認めることができた直後なのに。最初はのりたまの変化に違和感を感じていた「わたし」すらそれからは目を背けてお経を唱えている。

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