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✴︎ 私がヒーラーになるまでの話

「ヒーラーあゆみ、質問にお答えします」シリーズ7です。
第一回(過去世)第二回(過去世)第三回(過去世)第四回(過去世)第五回(インチャイ)第六回(ヒーリング)、に続いて七回目は、私のライトワークの覚悟までの流れをお話ししたいと思います。全然ドラマチックじゃなくて人間の醜いところが全開になり、何度か「なんだこいつ」と幻滅されるんだろうなと思いますが、それも覚悟の上で自己開示します。とにかく長いので、1冊の本を読むつもりで、よろしければお付き合いくださいませ。

11. はじめまして☺︎ヒーリング等で活動されるようになったきっかけを教えてください❤︎

嬉しいご質問をありがとうございます。ヒーラーとして個人事業主の登録をしたのが2018年2月、後少しで2年になろうとするこのタイミングで振り返らせていただける機会にありがたく思います。紆余曲折あったものでシンプルにできず、時系列の個人的なお話になり恐縮です。でもきっとヒーラーや占い師を目指される方にとっては、迷いや心配などどこか共感されるところがあるのではないかと思います。

「運命」や「決められた生き方」はあるのか。

魂が、生まれる場所・時刻(いわば歩む時代のスタート地点)・名前・大体のライフイベントやテーマややりたいことなどを決めていると言われていますが、その概念(運命・使命・天命)については"ある"ことを踏まえつつ、それでも、今の顕在意識で決めて進む、運命などにも従うことからは解放されていたい、というスタンスでおります。従うのではなくて、自ら納得して決める、その決めるときのヒントに魂からの思いを引き出すことを大切にしています。

でもこういう考えに至ったのもここ数年のことで、それまでは「自分は何に向いているのか。何ができるのか。何をしたらいいのか」と迷ったり決められたことに従おうとすることが何度もあり、その度に「これか?」「これなのか?」と試し、迷いと確信の間を行ったり来たりしていました。しかし今は、必ずそれらの点と点は線になり形作られる時がくるのだと実感しています。その形作られるタイミングをも魂が決めていたのかもしれません。そして、その形は完成形でも未完成でもあり、まだ楽しみながら探して見つけて組み合わせることを死ぬまで続けるのを予感しています。

第一のきっかけ:不安障害・うつ状態

話は2010年に遡りますが、自律神経失調症 不安障害うつ状態で休職した時期があり、スピリチュアルな方面に進むきっかけの大元はここだと感じています。発症は仕事によるもので「なぜ不安障害?うつ状態?だなんて診断されるのか?私は普通だ、病気じゃない」と最初は思っていましたが、体も思うように動かず、心は不安定で機能しない、薬で頭が働かない、そのため、自分の価値がない、働かなければ意味がない、何もできなければ生きてる価値がない、早く治したい、でも治し方が分からない、自分が誰からも必要とされていない気がする、明日のことも、一ヶ月後のことも、真っ暗で不安で仕方がない、そんな気持ちが募っていきました。これは私にとって大切な時間でした。心療内科の医師に「一時的に非日常を感じるものではなく、日常の中に取り入れられる趣味を作りなさい」と薦められ、書道と"タロット"を始めたのが一番最初のきっかけです。(書道教室に通い、墨をすりその香りを嗅ぐ時、細い筆でかなを書く時、無性に癒されていましたが、後にこの書道の癒しタイムは平安時代の過去世の癒しだったのだと分かりました)

タロットで友人や家族を占って、「あの時のアドバイスで結婚まで至った」「勇気をもらえたから就職が決まった」等の言葉をもらって、「あれ、私、タロットで人の役に立てられてるのかしら」と生きている価値がないと感じていたところから変化が起きました。(前者は社交辞令だと思うのですが、後者の就職試験のサポートはタロット以外でも結構しっかりと行わせてもらっていましたので本心のようです)この時期にボランティアや一人旅をして新しく出会った人々、患う前から知り合っていて、会って話を聞いてくれた人々、皆が自分にとってメンターでした。タロットをしながら「これって論理的だなぁ」と感じていたので、タロットはスピリチュアルじゃない、これは怪しいものじゃない、論理的な傾向の分析だ、と信じ、スピリチュアル・ヒーリング・霊視などとは別物だし、そういう論理的じゃないものは好きじゃないというスタンスでした。(時々、タロットのない自分には価値がないのだろうかと被害妄想を抱くこともありました)

第二のきっかけ:東日本大震災とレインドロップ

その後休職期間を終えIT企業に派遣事務として社会復帰をするのですが、2011年3月の震災がきっかけでまた精神的に不安定になり、そしてサイキック力の開花の兆しのようなものが出ました。明晰夢を見て知人と前世の記憶のすり合わせが起きたり、浮いて歩いている感覚から戻れなくなったり、旅先でかつて夢で見た場所に辿り着いたり、不思議なことが多く起きるようになりました。でも全く大それたものではなく、スピリチュアルを否定していたからこそ大ごとに感じただけなのです。そこで不思議なことが終わらず「もうだめだ。専門家に助けてもらいたい」とレイキ・レインドロップ・アカシックレコードの組み合わさったセッションを受けに行きました。(その時は、「こんなこと起こってる理由と前世だけ知れたらいいから、そのレイキとかいうヒーリング?だかなんだかは、いらないんだけどなぁ」という大変失礼な思いを抱いていました)

初めてのヒーリング・レインドロップ・アカシックレコード体験。セッション中に夢を見て、それが前世でしたよと言われ「嘘っ!こんなに普通に分かるの?」と思い、終わった後の体の軽さと視界のクリアさに驚いて、なんだこれは?なんだ?なんだ?すごい!なんだかわからないが、すごい!と。そこからレイキとアカシックレコードを学ぶようになりました。

第三のきっかけ:アイルランド放浪

2012年、レッスンを終え練習を重ね直感力を増し、前世×タロットセッションのモニター募集で場数を踏み、アイルランドへ旅立ちます。そのアイルランドに行くまでに旅したことがあった海外のメキシコ、グアテマラ、ペルー、ボリビア、アメリカなどが、マヤ・インカ・ネイティブアメリカンなどの過去世と繋がる感覚があったので、これまでずっと否定してきた「キリスト教」や「神」の観念に関係するであろう場所として、またキリスト教以外のことでも何か自分のルーツに関わるものがありそうだという確信で旅することを決めました。「人の心ってなんだろう」「誰も知り合いがいない未知なる土地で何が起こるだろう、何を感じるだろう、何と出会うだろう」「ヒーリングとは?生まれ変わりとは?魔術とは?ケルトや妖精とは?」など、新しいことを知ることと自分の中の哲学のようなものを仕切り直す一人で向き合う時間が欲しくて向かったのもありました。

ホステルで出会ったアメリカ人の同世代の女性に前世タロットをしたり、ホステルの隣のカフェのオーナーにレイキをしたりと色々と感じ学び、(ワーホリビザ所持のためお金を稼ぐことができました)帰国後 Fuchsia Healing を始めました。2012年11月。
自分の中で「ヒーリング」「前世」「タロット」で何ができるのか、国境を越えても通じる提供できることを確立できたような気がしたので、アイルランドで出会い印象的だった赤い花、フクシア(フューシャ)の名前を借り、始めました。この花も過去世で縁があったようです。まだヒーリングに出会う前にふと気になって買ったポストカード(←クリックするとポストカードの絵を見れます)が、フクシアの花の妖精のものだったことに後になって気づき「無意識で分かってたんだ、こわっ」と感じたのを覚えています。

第一の迷い:26歳、自らの呪縛と解除

さて、前世とタロットでセッションを始めたはいいが、この時の頭の中は「これで生活するのはむりだろう」という決めつけ。
レイキのレッスンを受けていた時はカフェのアルバイト時給800円からどうにかレッスン費を捻出し、アイルランドも1日2000円のドミトリー型ホステルでバックパッカー生活、この感覚が根付いていたので、どんなに少ない稼ぎでも生活はできるだろう、だけど、それでいいのか?生活が安定せずに余裕がない精神状態で、きちんとしたリーディングはできないだろう、と最初から無理だと決め、これはまだ本職じゃなくて副職にしておこう、と企業勤めを再開しました。(26歳、周りの女性は最初の結婚ラッシュ。当時は自分の社会的立場からの焦りもありました)「すぐにはうまくいかない」をしっかりと体現できた時間。私の潜在意識には、どちらかというと、すんなりとうまく行くものに対して疑ってしまう観念があったのです。

ただ、この時に「今は現実的ではないけれど、いつかは家事を楽しみながらお家で仕事をしたい。場所や時間の制限なく、いつでもどこでも癒しを提供できるやり方をするぞ」と決めていました。その当時の心の裏には「私は母のような専業主婦にはならぬ」という反骨精神もありましたが。(実現した時にはその反発心はなくなっています)

この回で、家族との折り合いがついてから実家を出たいと思っていたと書きましたが、27歳でやっとそれを達成して一人暮らしを始めました。遅い自立です。その際、いずれはここでヒーリングサロンをしたいからと2DKの広い部屋に一人。海辺の町、家賃5万、洗濯機は外、独身、彼氏なし。

ヒーリング・前世・タロット、と考えているものの、対面が怖い。私のヒーリング力っていかほど?遠隔セッションで副業としてここまできたけど、その収入、今会社辞めても生きていける?と、新しい出会いの中また自分の立ち位置を認識し低く評価し自分に対して厳しくジャッジを下し、、、一念発起、一年間のヒーリングスクールに通い始めます。これが、前回お話しした天と地に繋がるヒーリングの手法の学びです。

第四のきっかけ:ヒーリングスクール1年間

さて来た、現実を初めて現実と認識した、本当の意味でのサイキック力の開花。怖さも不安も怒りも超えていくため感じる、感じる、感じる、と体感の日々でした。この一年間は浄化反応も、起きる現実の不可解さも、自己否定の感情の強さも、MAXで強かった気がします。

マッサージとエネルギーヒーリングとチャネリング、それらの実技と座学、たっぷりと学ぶ楽しい時間でしたが、やればやるほど、進めば進むほど、深い内容になるほどに、怖さ・やりたくない気持ちがどんどん出てきました。

第二の迷い:29歳、自己否定に向き合う

スクールが終わる頃には実践を重ねてヒーリング力も高まり、多くの知識経験を経ていたのにも拘らず、「ちょっとまって。つらい。こわい。しばらくちょっと落ち着きたい」と、混乱が募った心地になり、すべてリセット。

仕事を辞め、当時付き合っていた男性と別れ、引きこもる。
もう誰も私を女として見てくれるな、と髪をショートにバッサリ切って。
誰にも会いたくない気持ちととにかく誰かと話したい気持ちとの間、ヒーリングを活用したい気持ちとそういうものから離れていたい気持ちとの間、揺れに揺れまくり。迷走。自己否定。ひたすら、自己否定に走りました。中途半端に止めずに、巧妙に隠してきた自分を否定してきた要因も否定の仕方なども探るため、潜在意識に潜り続けた日々。あれもだ!あれも!あの時も!これも!自己否定!という発見。同じだけ、「今は何もしていないけれど、生きていていい、幸せになっていい、これから変わっていく、信じていい、罪悪感から解放されよう」と真逆の観念を擦り込みました。

ボロアパート家賃5万、独身、彼氏なし、雇用保険受給中、引きこもり。

外から見える私は客観的に本当に終わっていると思うものの、内側での変化は大きなもので、あぁこれを体験しに生まれてきたのかと思えるくらいに感情を味わい尽くしていました。苦しいけれど尊い時間。まぁ、あんたどんだけリセットしまくるのよ、とツッコミは絶えませんが。(ここでの時間はまさに、最近テレビドラマで放映された「凪のお暇」に似ていて、ドラマ化前に漫画を読んだ時には「これは経験があるぞ」と複雑な思いでおりました)

第五のきっかけ:パワーストーンに目覚める

自己否定の波の中、ヒーリング・過去世リーディングに恐れを感じたのは、目に見えなくても「ある」ものだとしても、形として見えなかったからなのではないかと少し視点を変える機会がありました。当時オルゴナイトが流行中で、「このように形にすること・造型はどうだろうか」と銅線やクリスタルに触れ始めます。

その際レジンを固める機械を譲ってくださり、クリスタルについて教えてくださり、私の中のクリスタルとの縁を結んでくださった方に会えたのも大きなきっかけになりました。それまで、グアテマラで翡翠を買ったり、イタリア人にオパールの原石をもらったり、何かと人から石をいただく機会も多かったことを思い出し、クリスタルに縁があるのに無視していたことを反省。押入れの奥に押し込んでいた石たちを引っ張り出してきて、クリスタルとヒーリングエネルギーを掛け合わしてみると「これだ!!!」と開眼する感覚から、パワーストーンのアクセサリー作りを始めます。

ここから潜在意識の使い方の実践だ、と、最初は月額のレンタルボックスで委託販売、北鎌倉のフリマ出店、都心部の手作り市出店などを経て、自分の提供するものを受け取ってくださる方々と対面することに抵抗がなくなっていき、対面ヒーリングの場を借りる機会も訪れました。並行してボランティアから始まった国際カンファレンスのスタッフ、その後IT企業のコーディネーターと社会的にも安心できる仕事の機会にも恵まれました。その間、東京のマンションに転居。今度はちょっと狭いけどちゃんとインターホンがあり、清潔で、サロン化も意識できるお部屋。

最後のきっかけ:降伏

クリスタルとの幸せな時間、社会的な仕事を持っている幸せ、それを噛み締めながらも・・・自己啓発分野で著名な方とお会いできる機会があり、その時会社員をしながらヒーラー業をしている理由について問われ、自分の口からとっさに出た言葉に恥ずかしくなり、その内観から、最後の覚悟を決められました。

「会社員をしているのは "普通の人"の感覚から離れないため」=「ヒーリングやパワーストーンだけをしている人は感覚がおかしい」と自分で思ってきたということ。これは自己否定もあるけれど、過去世をずっと引きずっていたようでした。魔術=頭がおかしい、を過去世で作って守ってきていた。自分だけの思い込み。

最後の会社を辞める前は体調不良が続き、辞めざるを得ない状況でも頭では辞めたくなかったのですが「社会的に安心な仕事は手放したくない。会社を辞めたら社会的立場を失う」と執着心、満々。「仕事を失うのならせめて」と婚活もしました。でもすぐにやめました。やっぱりそれじゃダメだ、と。

諦め・覚悟・32歳

仕事を辞め休養し、「私は今何したい?どう在りたい?」と内観。降伏。

私、今は、クリスタル触っている時、ヒーリングしている時、それが人に変化をもたらすのを見せてもらった時、至福。それ以外社会的にどう見られるかはもういい。独身で可哀想と思われようが、アクセサリー作りだけで食っていけるのと心配されようが、そのジャッジは私の作りだすものには関係ない。必要とする人が絶対いるのを魂で分かってる。だからそこに集中する。

私がヒーラーであることを隠して出会うパートナーシップもいらない。最期までひとりだとしても、嘘や見栄で引き合う結婚を私は選ばない。(婚活中相手の嘘も自分の嘘も、自分も相手も見栄があるのも、すごく見えてしまったのです。その時引き合った方々と私とでその設定をしてただけなので、婚活や結婚が嘘や見栄だと言いたい訳ではありません)立場のための結婚は私のエネルギーを変え、ヒーラーの仕事はうまくできなくなるだろう。私は私を幸せにするから、一緒にいる人と幸せを共有できる、そう在りたい。男性に金銭的に幸せにしてもらうスタイルは制限を嫌う私にはきっと合わない。願い続けてきてもう疲れた、いるかいないか分からないような運命の人を待つのももうやめよう。

と、やっと、心と頭と体(魂)が合致しました。この感覚を作り、ヒーラーで個人事業主の登録。体調不良も抜け、ココロラボ所属開始、自宅サロンオープン、ヒーリングを教える講座開始、各地へ遠征と、二年近くの中で多くの方々のお陰で、ゆっくりとでも進化させていただいてきております。

全くドラマチックでも特別でもなく、使命に対して抗い続け、手放して、手放して、人間くささと人間からぶっ飛んだ部分とで作り上げたストーリーでした。そしてこれからも、もっと頭の中からは色々と手放していくと思います。けれど、頭の中からエネルギーとして手放すほどに、昔求めたものを叶えられた矛盾、不思議です。できるはずがないと思っていたヒーラーで生きること、自宅をサロンにしたり、どこにいても癒しの場を提供できる仕事であること、お仕事で出会えた心からの思いを共有できる仲間ができたこと、そして、理想のパートナーシップの感覚でさえも、体験しています。(でも実はそれがホロスコープに現れていたりして驚愕!)

これからも何が起こるかわかりません。使命は確かに一生ものでもあるけれど、瞬間瞬間の使命のようなものもあります。魂の声として内側から湧き上がる感覚を指針にして、多くの人とのハーモニーを大切にして、幸せな心地をさらにさらに伝染させていけたらと思っています。

この話を通して、迷い・抗う気持ち・自己否定・精神的な不安定さなどなど、自己統合を進めていきたいという方へのヒントになれば幸いです。ツインレイと出会いたい、統合したい、見えないものを見たい、楽しいことだけで暮らしていきたい、言葉にすると一見エゴに思えそうで語弊があるようなこのようなことも、その奥底を覗き指針にしてエネルギー的に手放してみると必ず辿り着けることを伝えたいと思います。主観と客観、二極や矛盾を持つこと、手放していくものと大切にするもの、すべてはバランスですね。

それでは、次回は、「12. ヒーリング効果高いなって感じる音楽とかがあれば教えてほしいです☺︎」「13. 最近白いモヤが見えるようになりました。これはなんですか?」です!お楽しみに〜♡

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