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NIPPONまちの履歴書③【陶芸村】

このnoteでは、『月刊不動産流通』の過去の記事を紹介しています。

★「NIPPONまちの履歴書」

今回は、「NIPPONまちの履歴書」
編集者のお仕事をされる傍ら、各地の風景をスケッチされている村上 健さんの連載です。(制作協力:(株)エディターシップ)

『月刊不動産流通2019年3月号』より、
"用の美"を伝えるまち 栃木県/益子町
を掲載します。

★"用の美"を伝えるまち 栃木県/益子町

栃木県の益子町は、焼きもので知られるまちです。製陶の始まりは、江戸末期の嘉永年間。黒羽藩の御用窯として、土鍋ややすり鉢などの実用品が量産され、大消費地江戸へ運ばれました。

藩の援助がなくなり、近代化が進んで需要も減った明治以降は低迷しますが、大正末期の「民藝運動」で再び注目を集めます。この運動は、益子に窯を開いた陶芸家の濱田庄司や思想家の柳 宗悦(やなぎ むねよし)らによる文化運動。華美な鑑賞物でなく、無名の職人が作る生活雑器を「民藝」と名付け、実用品の持つ美しさ、「用の美」を唱えたものです。おかげで、素朴で温かみのある益子焼はそんな民藝の代表格となりました。

益子焼が生き延びた理由はもう一つ。「峠の釜めし」といえば、JR信越本線「横川」駅の駅弁です。戦後しばらくして、益子焼の土釜が駅弁の容器に採用されたおかげで、益子の製陶業者は大いに潤ったのです。

以来60余年、今も年間約300万個が売れるという人気の背景に、益子焼の存在がありました。陶器だけに釜めしの人気も冷めにくい?

※誌面はPDFファイルをダウンロードしていただくと、見やすいです
※(株)不動産流通研究所の著作物です。二次利用、無断転載はご遠慮ください


★次回予告

次回は4月8日(金)に、『月刊不動産流通2019年3月号』より、
「宅建業者が知っておくべき『重説』に関する調査実務③」を掲載します。お楽しみに!


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