SDGsは「ひとりひとりの心がけ」なんかじゃない!

なんか、いろんなところで「SDGs特集」みたいなのがやるようになったけど、その中身が結局「一人一人の心がけでゴミを減らしましょう」「ものを大事にしましょう」みたいなレベルで、少し前の「エコ」を言い換えただけの、何の発展性もないもので虚しくなる。

SDGsは「持続可能な開発目標」だぞ。「地球にやさしく」じゃないんだぞ。「開発」の要素無視しすぎだ!
という気持ちが年々高まってる。
大きな組織や国や自治体こそが取り組むべきもので、上から下に「SDGsに配慮しなさい」と命令するものじゃないぞ。
「オリンピックのために昔からずっとある森を切り開いて、一年後には誰も使わず赤字垂れ流しの廃墟になる巨大施設をつくりましょう!」とか、国や自治体が言い出したときに市民が「SDGsを意識しろ!」と言うのが、正しいSDGsの使い方。

僕の前職は「SDGsを考えた観光」の企画と広報で、僕自身はSDGsの理念は素晴らしいと思ってる。
よくこれを世界的な提言として出してくれたなぁって。

「持続可能な開発目標」という考え方は、実現できればとても画期的で、世の中が変わっていくものだ。
これまでの世界の国々を「Developed」と「Developing」に分類して、「世界中はもっと経済的に発展していくべき」と考えていた価値観に対する反省。
「それは長い目で見ると、破壊的なものではないか?」という問い掛け。

何もいわゆる「環境問題」のことだけじゃなくて、「過酷な労働によって生み出されているものではないか?」「誰かを差別して成り立つ構造ではないか?」とかそういうことを意識した上での「誰も取り残さない」という宣言。
確かにきれいごとだけど、富や権力を持った人が責任として意識するようになれば、確実に世界中の幸福の総量が増えるような、大切な価値観。

なのに、日本式にローカライズされたら結局「ひとりひとりの心がけ」みたいなばかばかしい人権標語みたいになってしまってて悲しい。
「みんな急にSDGsとか言いはじめてうんざり」じゃないんだよ。
正しいSDGsは全く少しも日本には浸透してないんだよ……。
なんとも悔しい。

「権力の大きさと責任の大きさは比例する」って考え方、ここ20年くらいでものすごく失われてしまったような気がする。
こどもに「SDGs教育」とかする前に、国や自治体や大企業が率先してSDGsを実践してお手本を見せていく方がずっと大事なのに、それと正反対なことを今でも平気でやっているから、こどもたちだって「ああ、いつものきれいごとね」って思ってしまうんだよな……歯がゆい。

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