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ジャスミン

 ジャスミンは久しぶりに上機嫌だった。
 ママが、ジャスミンに新品の靴をプレゼントしてくれたから。
 もこもこした布でできた、ふわふわな手触りの真っ赤な靴。靴の横に縫い付けられた、小さな黄色いボタンがとってもおしゃれ。
 ママは今日はとても機嫌がいいらしく、鼻歌なんかを歌いながら、久しぶりにジャスミンの髪の毛をお団子に結んでくれている。
 こういうときのママは大好きだ。
 機嫌が悪いときのママは、ジャスミンの髪の毛をとかしてくれないし、ひどいときはぶったりもするから嫌い。

「今日ね、街で素敵な人に会ったのよ」
 ママはジャスミンに言う。上機嫌なママの声は、いつもよりも少し高くて弾んでいる。まるで歌を歌ってるみたい。
「美容院のお兄さんなんだけど、金色に染めた髪の毛がとってもお似合いで、かっこよかったのよ」
 ママは黒目がちな大きなおめめを、夢でも見ているみたいにきらきらさせて、窓の外の青い空を眺めている。ママの目にはそこに、かっこいいお兄さんが映っているのが見えるんだろう。
「でもきっと、あの人はあたしのことなんておぼえてもいないんだわ」
 ジャスミンの髪の毛を結ぶママの手が、急に止まった。
 悲劇のヒロインのような表情になって、ママは大きな大きなため息をつく。
「あたしってばそばかすだらけでブサイクだし、なんのとりえもないんだもの。それにきっと、あんな素敵なお兄さんにはそれはそれは素敵なガールフレンドがいるに違いないわ」
 世界の終わりみたいな顔をして、今にも泣き出しそうなママを元気付けてあげたくて、ジャスミンはそんなことないよ、ママはとっても素敵だよ、って言ってあげようとした。
 でも、自分を憐れんであげるのに忙しいママはそんなジャスミンの様子には少しも気づかなくって、相変わらず泣き出しそうな顔で、窓の外の空を眺めている。今度はそこに、ガールフレンドと仲良くしているお兄さんの姿が浮かんでいるのかもしれない。
 ふと見ると、さっきまであんなに晴れていたのに、いつの間にかねずみ色の雲がもくもくと湧き出していた。
「あらやだ、雨が降りそうじゃない。この時期はすぐにお天気が悪くなっちゃうわね。確か……そう、つゆ、って言うんだったわ。もうすっかりアジサイも咲いているし、仕方ないわね」
 ママはそう言って、部屋の反対側の窓からお庭の方を見た。ジャスミンの家のお庭にはアジサイがたくさんあって、この時期には赤や青や紫の花がいっせいに咲いているんだ。
「あ、そうだったわ。あのお兄さん、アジサイのお花が好きだって言ってたっけ。あたしのうちの庭にたくさん生えているのよ、って教えてあげたら、いいなぁ、見てみたいなって、素敵な顔で笑っていたんだったわ」
 思い出したようにぽんと手を打って、ママはまた夢見る乙女に戻った。きらきらしたおめめが、いいことを思いついたようにわくわくしている。
「そうだ、アジサイのお花をいくつか摘んで、お兄さんに持っていってあげましょう。そうしたら、もしかしたらお兄さん、あたしのことを好きになってしまうかもしれないわ」
 ほっぺをさくらんぼ色にして、ママはそわそわとおめかしを始める。片方だけお団子を結んだままで待っているジャスミンのことなんて、もうママの目には映っていないみたい。
 浮かれ気分でおめかしを終えたママは、スキップでもしそうな足取りで部屋を出て行く。ドアを開けた拍子にママの手がテーブルにぶつかって、ジャスミンは床に落っこちた。
 床に転がったまま、悲しそうにママを見つめるジャスミンは、一人部屋に残される。

 ママの名前はあいり。10歳の女の子。
 お人形さん遊びより、ロマンスが気になるお年頃。

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