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2022.8.2:梅を干す

朝5:40。おはよう。早く目が覚めたので昨日のことを。昨日は梅を干した。梅干し。


意味と無意味という言葉について考えている。意味の対義語は無意味でないはずで、意味というのはもっと人間以外のものによって形作られていた時代があって、それが人間が人間としての意味を持たせることが無意味の言葉の誕生なんじゃないかなとかいうことを話している。よく意味があるかないかで語られるけれども、無意味は自分にとって意味があるかないかのことを指し、それは意味があることの対義語にはならないということ。全てには、人間が作り出す前の意味があり、意味というか流れがある。梅干しをつけることに意味があるかないかという話ではなく、梅がたくさんあるから塩漬けしておこうというのは意味がある行為という以前に自然の流れから生まれた行為で、うんちゃらかんちゃら。まだ腑に落ちてない状態で書くと何を言ってるかさっぱり自分でもわからん。わからんていいね。わかるということは文字通り、分けるということ。分けることで人はいろんなことを理解したきになって、分けてきた。自分から切り離し、別のものとしてその対象をみてしまう。諦めることは明らむること。明らかにしてゆくこと。どちらも事実のかたちを把握して生まれる言葉。すぐに分からなくていいことの方が多い、分からないことは分からないまま、置いておこう。そうすると無闇矢鱈に分けずに済むし。むやむや。梅干しは3日干すんだってさ。

snsアプリを携帯から削除して何日目だ?投稿は事務所に置いたiPadで。見るのはプラウザでは一回見た。良い。ドリトル先生シリーズの初めのドリトル先生アフリカへ行くを読み始めた昨日。数ページ読んだけどこれはとんでもない名作だと今になって気がついている。大事なことが物語になっている本、そういう本が気になっている。物が語られている本。

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