見出し画像

「自立してたから共闘できた」北海道ローカルメディアの現在地

道東の遠軽町出身で、『オホーツク島』というウェブメディアを運営するさのくん『ローカルメディア時代の終わり、ローカル活動時代の夜明け』というnoteを書いていた。

それを読んだら、いろんな想いが呼び起こされてきたので、僕も自分が見てきた北海道のローカルメディアについて書こうと思う。

まぁ、さのくんの文章に当てられたという感じです。たぶんね、もともとこういう関係性なんですよ。僕たちは。

さのくんの記事の中でも紹介してもらったが、僕は2015年に地元・函館のローカルメディア『IN&OUT -ハコダテとヒト-』を立ち上げた。

画像1

IN&OUTは〝内側と外側の視点から函館のことを考える〟というコンセプトを掲げたウェブメディアで、「地元を離れて暮らしている函館出身者」と、「別の地域から函館に移住(或いはUターン)してきた人」という、2つのカテゴリーのインタビューをメインコンテンツとしている。

立ち上げのきっかけは、東京で子育てをする中でUターンについて考えるようになったこと。周りにも地元に帰りたいと考えている人がいたので、実際にUターンした人たちに話を聞かせてもらって記事にしようと思った。

函館を出て行った人にも話を聞こうと思ったのは、離れた側の動機や理由にも目を向けたかったからだ。そこにはきっと、街の内側では語られない函館の姿がある。

そうして地元の友達4人と立ち上げたIN&OUTだったが、函館という範囲を超えて思わぬ関係性をもたらしてくれた。

さのくんの記事にもあった通り、2015年頃に北海道では各地でローカルメディアが同時多発的に勃興した。その結果、数百キロの物理的な距離を超えて、それぞれのメディア運営者がネット上でお互いの存在を知ることになったのだ。

僕は各地から発信されるローカル記事を隈なくチェックし、まだ名付けようのない新しい動きが始まっていることに興奮していた。

さのくんと初めて会ったのは、たしか2016年頃だったと思う。

IN&OUTを見て連絡をくれた長万部のローカルメディア『リマンべ』の室谷くんと、はこだて未来大学出身のエンジニアの方が、「会わせたい人がいる」と言って、僕らを引き会わせてくれた。(この頃、僕はとにかくたくさん北海道の人と会っていた。『クスろ』の名塚さんと初めて会ったのも、この時期だったと思う)

さのくんの第一印象は「めちゃくちゃ切れ者だけど、腹の底が見えない人」だった。きっと向こうも「やたらと場を回したがる、胡散臭いヒゲのおっさん」くらいの印象だっただろう。

お互いに話してみた感じは、悪くなかったのだと思う。そうでなきゃ「また会いましょう!」と言って別れたまま、それっきりの関係で終わっていたはずだ。実際そういう人は少なくなかった。

ちょうど同じ頃、IN&OUTのカメラマンである馬場のもとに北見からメールがきた。

「北見で雑誌を作ってる中西さんって人から連絡きてさ。東京に来るから会わないかって」

それは、当時『1988』という媒体を作っていた中西拓郎からの連絡だった。

馬場のバンド仲間で、拓郎の地元の先輩である共通の友人を介して連絡をくれたらしい。

このとき、僕はタイミングが合わなかったのだが、馬場が拓郎からもらってきた『1988』を見せてもらって、「イケてるなー!負けられねぇ!」と思ったのをよく覚えている。

拓郎と初めて会えたのは、忘れもしない2017年10月29日のことだ。

この日、函館出身で、IN&OUTでもインタビューをさせてもらったTHA BLUE HERBのライブが日比谷野音で開催され、僕も拓郎もそこへ遊びに行っていた。

台風が直撃し、今では伝説として語られる野音のライブ。その後に、恵比寿LIQUIDROOMで行われたアフターパーティに呼んでもらった僕たちは、そこで初対面を果たした。

一応、拓郎の第一印象も書いておくと「気持ちのいいやつだなー!」という感じ。それは、今もあまり変わってない。

次に拓郎と会ったのは、彼が暮らす道東だった。2018年2月。僕らは真冬の紋別で再会した。そこには、さのくんも一緒にいた。動けば動くほど人と繋がっていくのが楽しかった。

画像2

時間軸が前後してしまうが、こんなことを書く機会はなかなかないので、順を追って記しておきたい。

このとき僕が道東に行くきっかけをくれたのは、ドット道東神宮司さんだった。

当時、彼女は北海道の生産者さん・作家さんが作った食材やクラフトアイテムを、その制作背景を伝えて販売するというECサイトの立ち上げ準備をしていた。そのサイト内に掲載する作り手のインタビューを僕に依頼してくれたのだ。

きっかけは、またもIN&OUTのインタビューを読んでくれたことだった。

神宮司さんが企画したECサイトは、後に『北海道ローカルマーケット』として完成する。第一弾では十勝の生産者さんや作家さんを訪ね、第二弾として拓郎にアテンドしてもらってオホーツク取材へ行くことになった。

それが上記の写真である。みんなちょっと若い(笑)。

画像3

このときの取材は事情によって世に出せなかったのだが、そのリベンジとして2020年1月にも僕は道東へ取材に行かせてもらった。

その記事は、現在ドット道東が制作中のアンオフィシャルガイドブック『.doto』に掲載予定なので、読んでもらえたら嬉しいです。

2つのインタビュー記事と、道東にたっぷり食らった3泊4日、総移動距離500キロの旅行記を書いています。

ざっと振り返ってみたが、僕から見た北海道ローカルメディアの流れは、こんな感じだ。きっと他のみんなにも、それぞれのストーリーがあると思う。

IN&OUTを立ち上げてからの5年で、函館にはもちろん、全道各地にたくさん気の合う友達ができた。

さのくんとは北海道関連のイベントで一緒に登壇したり、東京で『北海道のことを外からやる』というイベントを一緒に企画したりした。

拓郎とは北見のライブハウスでTHA BLUE HERBのライブを見たり、函館で開催された総務省のイベントで一緒に登壇したりもした。

ちなみに、函館のイベントにはさのくんも来てくれて、イベント→懇親会→二次会→スナック→ラーメン屋という怒涛の夜を過ごした。

その様子は遠別町の原ちゃんが、すごく良い写真と共にまとめてくれている。みんなの表情が生々しく切り取られていて、見返すたびに函館の夜を思い出す。スナックのカラオケ楽しかったな〜。

北海道の各地でローカルメディアが出てきてから5年ほど経ち、今では、それぞれ活動の中身や形態は変わってきている。IN&OUTも記事はほとんど更新しておらず、不定期で東京と函館を繋ぐイベントをやったりしている状態だ。

だけど、みんなとの繋がりは不思議と強くなってる実感がある。

僕らはそれぞれ自分たちの地元と、どう向き合っていくかを考えてローカルメディアを立ち上げた。その結果、自分の町以外にも似たような興味や課題感を持っている人たちがいることを知った。

そうやって各々が自立してメディアを運営していたからこそ、僕らは誰かに寄りかかったりせずに、お互いをリスペクトしながら共闘してこれたんだと思う。

あのとき自分が地元との距離感に悩んでいなければ、もし全道各地のローカルメディアと出会えていなければ、僕が今、北海道に対して感じている面白さはまったく違うものになっていたはずだ。

ローカルメディアを始めて5年後の現在地からは、まったく想像もしていなかった景色が見えている。

田中泰延さんの著書『読みたいことを、書けばいい。』の中に、「文字がここに連れて来た」という一文がある。「たとえ誰も見ていなくても、書き続けてきたから今がある」という意味だと僕は解釈している。

僕にとってのIN&OUTは、まさにこれだ。

きっとIN&OUTを始めていなかったら、函館以外の友達と一緒に北海道で何ができるかを考えることなんてなかっただろう。それどころか、各地で活躍するローカルプレイヤーたちを遠くから羨ましく眺めて、イライラしてるような人生だったかもしれない。危ねぇ。

長くなってしまったが、今も5年前も変わらないのは、自分たちの興味と課題感を指針に活動をしていくことだ。それがどんなコンテンツになるのか、どう変化していくのか、いつ終わりを迎えるかはわからない。だけど、地元のことが他人事にならない限りは続けていくつもりだ。どこに住んでいようと故郷は特別な存在だから。

そして、これからもたくさんの人と出会い、いつだって道内各地の仲間に対して恥ずかしくない自分でありたいと思っている。

画像4

IN&OUTでは、今月久々に新しいインタビューを公開する予定です。

これまでの活動を棚卸しして、再構築するような内容になったので、よかったら見てください。公開したら、Twitterなどでお知らせします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?