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椅子に座ったままでも、やっぱりライブハウスには自由があった。

1年ぶりくらいにライブハウスへ行ったら、何もかもが変わっていた。

入り口には会話を控えることやソーシャルディスタンスを保つ注意書きがあり、バーカウンターは無人、フロアには椅子が並んでいた。

いつもの調子で開演の5分前に到着したら既にフロアは満席で、クワトロで初めて一段高くなっている後方のエリアに陣取った。

ステージはよく見えたが、なんだかパソコンの画面を眺めているような風景に感じた。

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開演時間になってイースタンユースのメンバーがステージ上に現れる。

いつもなら会場のあちこちから野太い歓声が響くのに、今日は無言の拍手だけがステージに向けられた。

それぞれが楽器の調整を終えると、吉野さんが静かにギターを爪弾く。

最新アルバム『2020』の1曲目に収録されている「今日も続いてく」でライブは幕を開けた。

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空間を切り裂くような吉野さんのギターと、足元から響いてくる村岡さんのベース、目の前で破裂するような田森さんのドラムが一斉に鳴った瞬間、皮膚の下で血が沸き立つような感覚があった。

音が物理的な衝撃を伴って全身にぶつかってくる。

気持ちいいような、でも少し恐怖を感じるほどの音圧。

始まる前に感じていたパソコンの画面を眺めているような感覚は、すぐに消え去った。

椅子に座っているためステージに近づくことはできないが、視線は自由にライブハウスの中を動き回ることができる。

メンバーの表情を見ることも、楽器を演奏する手元を見ることも、フロアを埋めるお客さんの反応を見ることだって自分の思うがままだ。

家でライブ配信を見ているときには、見方を〝与えられている〟感覚があった。

もちろん、カメラで撮ることでしか見られない画角や細部の様子もあるけれど、ライブハウスでは自分の好きなものを、好きなように見て、感じることができるのだと思ったら無性に嬉しくなった。

思い返してみれば、いつだってそうだった。

ライブハウスは自分で楽しみを見つける場所なのだ。

椅子に座ったままでも、声を出して歌うことはできなくても、ライブハウスにはやっぱり自由があった。

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「団結することは大事だと思いますよ。力を合わせるつもりがないわけじゃないんですよ。力を合わせて乗り越えていかなきゃならないってときに、自分も微力ながら力を合わせたいですよ。でも、その前にですよ、自分は一体何者なんだろうかと。そういうことをザーッと打ち消されて、ひとつのコマのようにされているきらいが…。戦時中には全体主義ってのがあったそうですけど、いえいえ今だってどうしたもんだか。そんな声が聞こえてくればくるほど、ぜってー死にませんから」

そんなMCに続いて、「ソンゲントジユウ」が演奏される。

会場から無言の拳がいくつも突き上げられるのが見えた。

そうさ
どう転んだって俺は俺
生まれ持った生存の実感は
誰かの手に委ねちゃいけねえんだ

eastern youth/「ソンゲントジユウ」

吉野さんはよくライブのMCで「音楽でひとつになるな。音楽でひとりになれ」と言う。

初めてイースタンユースを聴いた高校生の頃、流行りの曲は「君はひとりじゃない」みたいなことを歌っていた。

だけど、吉野寿はずっと「人間は誰だってひとりだ。お前もそう。でも、俺だって同じだ」と歌っていて、そっちの方が本当だと思った。

お陰で僕はずいぶんと救われた。

今だってそうだ。

ライブの終盤で演奏された「存在」を聴きながら、イースタンユースの音楽は自分の血肉になっていることを強く実感した。

俺たちは風景じゃねえのだ
俺たちは部品じゃねえのだ
俺たちは現象じゃねえのだ
俺たちは統計じゃねえのだ

オギャーと生まれてここまで来たんだ
100万光年すべてを全部背負ってるんだ

取り戻せ やり返せ 存在
甦れ ぶっ放せ 存在


eastern youth/「存在」

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最近、我が家には子どもが生まれた。

全身全霊で泣く子をまじまじと見て、「声って本当に口から出てるんだな」という当たり前のことに感動したりしている。

それと同じような実感が、ライブにはあった。

ピックを握る手の振りがリズムになり、喉から振り絞る声が歌になっている。

そんなことは映像配信でもわかることなんだけど、目の前に存在している人が放つ音や言葉には、確実に自分に向かってきてるものだいう手触りがあった。

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ライブが終わって、渋谷の雑踏を歩く。

20時を過ぎても街は賑やかだった。

ひとりで電車に乗り、今日のライブのことを思い出しながら家に帰る。

ライブハウスに向かうときの高揚感や、帰り道に余韻に浸る時間も、リアルな場ならではの体験だなと思った。

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あの日はこのTシャツを着ていったとか、会場で友達と会ったとか、帰りにラーメンを食べたとか、そういう記憶はライブとセットになって意外と強く残っている。

そんな体験が当たり前のものではなくなった今、またライブハウスでイースタンユースが見れるように、与えられたものを血肉にして自分がやれることをやっていく。

1年ぶりくらいにライブハウスへ行って、ライブの感動は何も変わらなかったし、そこで得られるのはやっぱり大事なものばかりだとわかった。



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