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仙骨と私 その22

自己肯定感、という言葉がある。先日もセッションでその話題になったのだけど、

一つ前の話で書いたように、頭の世界というのはどこまで行っても相対だ。

つまり頭の世界に住んでいる限り、自己肯定感(のようなもの)は常にグラグラの危ういものになってしまう。

美貌でも能力でも体力でも社会的地位でも稼げる金でも何でもいい。何かを根拠に自分を肯定したところで、その根拠は明日には消え去るかもしれないし、そもそも違う文化圏に行けば全く評価基準が違うかもしれない。

おまけに常に比較対象がいる。多くの人より優れていたとして、自分より優れた人は必ずいる。

どこまで行っても不安だ。

仙骨から立ちのぼるエネルギーを感じられるようになった時、私は初めて「自己肯定感ってこれか!」と思った。

それには何の理由もなかった。ただただ「絶対」だった。絶対だから比較対象がない。衰えることも消えることもない。

金も美貌もなかろうが、様々な能力がポンコツだろうが、気に病む必要がない。いや、金も美貌も能力ももちろんあった方が嬉しいよ。あるに越したことはないのだけど、なくても自分の存在が全く揺るがないので、必死になる必要がないのだ。

いるだけで完結してしまう。

仙骨から立ちのぼる「それ」はグンッと腹の真ん中に収まって、どんな時も不動の安定感を放っている。

それがある限り、この世界では「じぶんがかみさま」だ。

神様だから自分一人が偉くて、他人を見下すようになるのかと言うと、そんなことはない。

比較の世界から抜けるので、「それぞれがみんなかみさま」ということが腹の底から分かってしまう。

つまり、人を羨むことも、嫉妬することも、崇めることも、蔑むことも、もうできない。

もちろん能力差はある。

あれができるかみさま、これができるかみさま、いろんなかみさまがいる。

だけど存在として自分より上、自分より下に人を見ることがもうできない。

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