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姉への手紙

 今日 神崎さやかさんのこの記事を読んで 姉へ書いていた返事の手紙を ポストに投函する決心がつきました。

私の兄姉妹は5人
一番上が兄で後4人の姉妹
私から見て、10歳離れている長女 7歳離れている次女 そして私三女
2歳年下の末っ子妹

長女は 姉妹思いの親孝行
次女は 母親のお気に入りの成績優秀な娘
三女私は 唯一 親に反抗した子供
4女は 母親の可愛がりお人形 

だいたい想像がつくと思いますが…
 私が小さい頃 次女である7歳上の姉は 良くも悪くも 私をとても可愛がってくれました。
その次女姉は 母親の理想の子である「はきはきした成績優秀な娘」でしたので 長女を差し置いて、あらゆることが優先されました。
私と妹は 別に取り立てて言うことはなかったのですが、長女である姉は 随分 苦しみ悩んだようです。
次女の姉は 学業は優秀でしたが、やはり苦手なものがありました。
三女の私は 学業は苦手でしたが、家庭科や音楽が得意でした。

 私の中学時代、夏休みの自由研究に提出した「ソファーカバーの刺繍」を
姉が お見合いをした人に 自分が作ったと言い、教育実習の時英語の単語を教える時「女の子の顔」を私が描いて とても反響が良かった等、取るに足らないことでしたが 私はそれを姉妹だから!と 許容していました。
ところが、私の結婚相手に「『あの子は 出好きなんですよ』とお姉さんから聞いたよ」と、彼から知らされ<姉の方がよっぽど出好きやのに…!>と思い言わなくても良いことを敢えて言う姉を <いやな姉!>と思うものの理解できずに年月が過ぎました。
そういった小さなことが 蓄積され、年齢を重ねるごとに「姉さん風を吹かされる」ことが 私の不満になっていったようです。

2歳下の妹は 母親の盲目の愛で わがままで自分本位なところがあり、 次女姉と似ているところがありました。

 長年の間に4人の姉妹が 2対2に別れて仲良しなりました。
私は 小さい時から 精神的に独立していたので、気になっていたものの 平気でしたが、長女がとても気にしてくれ、3対1になった時点で 皆で仲良く付き合えるよう色々配慮してくれたものの、次女と末っ子の 三女いじめは 公然と続きました。私の性格上ああでもないこうでもないと言うのが面倒くさいので放っていましたが、そうしている間のある時 末子の妹が癌で亡くなりました。

今までのことは水に流して、やっと3人姉妹として 仲よくやって行けると長女と私は 思ったのですが、次女はそうではなかったのです。
次女の性格は 誰か一人仲良しを作らないと不安なのか、3人で仲良くやろうという気持ちがなく、相変わらず 長女を独占するため 私をのけ者にしようとしたので、さすがに 長女の堪忍袋の緒が切れ「仲よく出来ないのなら もうつき合わない」と宣言したのです。

それから、何十年の間 音信不通になっていたのですが、数年前 気持ちが通っていた長女姉が亡くなりました。丁度その時 私は 娘の病名と余命を宣告されたばかりで、娘の病院通いが始まり闘病生活真っ盛りでしたので 葬儀は欠席しました。その時も 葬儀に出席した次女姉は 葬儀を執り行ってくださった牧師様に 滔々と「私たちが なぜ仲が悪くなったか…?」を 訴えていたことを 従妹や姪っ子から聞きました。が、それでも、私は動きませんでした。
実際、私は娘の看病で それどころでなかったのです。
 
長女姉の逝去後3年、娘を見送って2年目、次女姉から手紙が来たのです。
三回忌のこと等 全く触れず、毎度お馴染みの 過去のことが書いてあり、自分と妹がやったことには触れず、記憶違いのことを弁解がましく書かれていて そのしつこさに閉口するばかりでした。
認知症の始まりか? とも、思ったこともありましたが、それにしては  若い頃からのこと…! 執着と粘着質の性格が次女でしたので 学業成績にはよかったのかなあと、思うものの周囲の人には大変なことで 次女の息子が東京に呼び寄せてくれたものの、2年目で同居先を飛び出しています。

 年を重ねてさみしいが故に たった一人残った妹の私と交流をはじめたいと いうことが ありあり見受けられました。

はたしてそんな気持ちで付き合いを始めても、仲良くいけるはずもなく、 なんども同じようなことを繰り返しても 改められることがない限り 又 繰り返すことになり 精神的に疲れることは目に見えるのです。
返事を出さなかったら、以前のように何回も留守電にメッセージが入ることになるでしょう。
それ自体、心労になるので、一応返事というか 私の想いを書き出してみました。書き出してみて、こんな内容の手紙は なんど書いたか…
そして、書いたものの ポストに投函するか?を 迷っていたのです。
と、いうのも 返事を受け取った姉は 又 ツラツラと同じようなことを 書いてくることがわかっているから…
なんど、読まずに破棄したか…
でも、これを 本当の最後にしよう!と、決めました。
もうこれで、この決心は何度目なんでしょう!

前略

 突然のお手紙拝読いたしました。
まだ未だに、過去のことを書いてられることに驚き、あなたの執着性及び 粘着性が 変わっていない事が読み取れました。

 あなたは 数人の名言を書いてられましたが、その言葉は お互いにあてはまり、そっくりお返しいたします。
あなたは 珍しく謝る言葉を書いておられますが、文章から「だから、あなたも あやまるべき」と書いてあるようにしか 読めません。
それは 私が卑屈なんだ!と きっと指摘されると思いますが、今までが今まででしたので、私の解釈は間違っていないと 思います。

 あなたは 自分自身気づいていないでしょうが、相手を自分の思い通りに
動かすことを望んでいて、そのようにならない時は 執拗に追いかけてくる
だから 逃げたくなるのです。

 私にも もう、「姉さん風」を 吹かさないでください。
私も 独立した一人の人間なのですから…

 とにかく、何十年も前の過去の話を持ち出されても、私は思い出したく ない過去は とうの昔に忘れました。
苦い過去を持ち出して「ああでもない、こうでもない」と 書いてくるのは
古傷に指を突っ込んでかき回すに過ぎないことだと思いませんか?

 私が「忘れた」と いいきるのは「良かれ悪かれ 全てを飲み込んで  許した」から「忘れる」ことが出来てているのです。

 あなたは 自分の正当性を誇示するが故に、私に謝ることを いつまでも
強要するのです。
しかし、考えてみてください。
あなたが 私への手紙に「有名な人の名言」を書いているけど、あなたは あの時 私の背景を考えていましたか?
いえ、あの時は いいのです。今現在、あなたは 私の立場を考慮していますか?考慮していないから、このような手紙になるのです。

あなたも 過去は過去で「良かれ悪かれ 全てを飲み込んで 許す」ことができれば、きっと あなたも私たちのことを「忘れる」いえ「水に流す」ことができるでしょう。


 年を重ねるということは 若かりし頃、苦労して身に着けてきたことを
少しづつ手放して いかに心を自由にすることが出来るかどうかが 老後の課題だと思います。

 私たちは もう余生を送っているのですから、心地よい環境の中で暮らしたいと 思いませんか?
きっと、そう思って 仲直りのつもりで お手紙をくださったのだ、と、おもいます。

しかし、同じ両親から生まれた私たちですが、こんなにも違った考え方では
今後、仲良くいけるはずがありません。

 お手紙に書いてあったように「思いっきりケンカの出来る姉妹だったら…」と ありますが、思いっきりケンカが出来たとしても、あの妹の陰湿な告げ口にまんまと乗ったあなたの良識なら、同じことでしょう。


 お互い住んでいる場所も違うのですから、あなたはあなたにあった人と 仲良く幸せに暮らしてください。
私は私で、自分の合った人と 機嫌よく余生を送りたいと思っていますので
もう、返事など下さらなくて結構です。
返事を頂くたびに わたしの心が乱れます。
どうぞ、おだやかな余生を送らせてください。
お願いします。

最後にあなたが贈ってくれた名言に 私も贈らせていただきます。
これは「note」の中の Indy Nakanishiさんの記事から 引用させていただきました。


過去と未来という二人の時間泥棒     名言集画像60から

二人の”泥棒”に気をつけよう
もし、過去の間違いを悔いてばかりいたり
あるいは未来のことを
心配していると
これら二人の泥棒が
あなたから活力、洞察力
心の平安を 奪うことを知るべきである
                 by ジョセフ・マーフィー



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