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平安へのツールの凄さに触れる

先月くらいから、
兄弟と繋がってもモヤっている感覚。
ファンクション中もモヤっている感覚。
エクスプレッションした後もモヤっている感覚。
日常もモヤっている感覚。

一向にモヤから抜けられる気配がなく、
兄弟の助けをかりて平安へのツールをやる感じがしてケンタさんが浮かんだ。

すぐに日程を調整してくれてzoomで繋がった。

準備ワークなのか平安へのツールなのか、
その両方なのかが分からないと伝え、
まずは最近感じていることについてエクスプレッションさせてもらった。

自然と準備ワークの内容に誘導されるようにして心の中心に向かっていった。

あらかた感情に触れように感じた時、

ケンタさんから
「今から平安へのツールをやるのはいい感じがする」と言ってくれて、
一緒に同心円の書かれた1ページの平安へのツールをやった。

信念と願望に触れた時、おそらく初めて感じた感覚があった。

私は一切救われることがない価値がない存在であり、その価値の無さによってのみ、私の存在はゆるされている。

この自作自演の「小さな箱」自我の信念を激しく信じることによってのみ、存在している感覚があった。

悲惨すぎる。

この「箱」が消えた途端に愛が流れ込んでくる。愛に包囲されている感じがした。愛に包囲されているからこそ「価値の無さ」を全力で信じる力を与え尽くさなければ、消える感じがした。

肉体(コウスケ)が持っている自我と思っていたものを完全に超えて、これを保つためにのみ世界を夢見続けている。
存在しないものに信じる力を100%与え続けている感覚があった。


これを信じているなら、絶対に世界に原因がない。
神にも聖霊にも一切の原因がない。

なぜなら
「私の罪深さを信じることによってのみ存在できる」
を根元から信じている。

終わった後、脱力感が来てケンタさんに打ち明けた
「自我の声だけど、こんなことになるならこんな道歩まなければよかった」
「このレベルで平安へのツールをやると、こんなにも強力な道具だとは思わなかった。できることなら気安くやりたくない」

自分には分からないがきっと最善なんだと思う。

勉強会、献身滞在、兄弟との関わり合い、ファンクションを継続した結果のお陰様なんだと思う。

一歩いっぽ受け入れられる分だけ導いてくれているんだと思う。

ファンクションで「闇を嫌わない」を何度も聴いていたお陰で、少し受け入れられたのかもしれない。


勉強会で何度も聞いていた「宇宙以前。一つの自我(幻想)」というのも納得できる気がした。

<平安へのツールメモ>

①私が〇〇について考える時
・抽象的なものに祈ったり求めても、まったくこたえが与えられないし、声も聞こえない。
・だから祈るのをやめて具体的なものに救いを求めるために兄弟とつながっても、そこにもこたえと思えるものがないし、ガイダンスと思えるものもない。
・だから抽象的なものにも具体的なものにもどこにも救いがない。


②特定の感情を感じます。
怒り
悲しみ(俺はこんなにたすけてほしいのに、救いがこない、私だけは唯一救われない、どこに救いがあるのかわからない、という確信のような悲しみ)



C-1なぜなら、〇〇が責められるべきであるし、
イエスや聖霊

C-2あるいは、未来に〇〇が起こることを恐れているからです。
生涯かけて祈り続け求め続けても、すべてが無駄に終わり、価値がないことが証明されること。すがりつく場所がなくなって、価値がないことが証明されること

④これらのことは、私が〇〇(不足の信念)ということについて正しいことを証明しています。
私は一切救われることがない価値がない存在であり、その価値の無さによってのみ、私の存在はゆるされている

⑤私がもとめて、期待しているのは〇〇です。
せめて、具体的な状況については自分が望む通りの形が与えられること

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