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大雪山での体験のおかげで今の私がある

半世紀前の大学生のころ、ワンダーフォーゲル部で全国の山を歩いていた。ドイツが発祥の運動で、山岳部が山を征服するのに対しワンゲルは山を歩くのだ。自然は征服はできない、いかに調和して自然のなかで生きるか、これを追求する運動である。私はこういう考えが好きである。自然は征服できない、自然を怒らせないように謙虚に生きよう。気候危機で人類が危うくなっている昨今は、なおさらその思いが強くなる。

大学3年のとき、北海道の大雪山から十勝岳に縦走した。十勝岳の近くにきれいなお花畑があった。夕方近かったので、予定地より手前だが、ここにテントを張ることにした。ザックをおろしてテントを取り出したころ、環境庁の監視員という男性が血相かえてやってきた。「ここで泊まるのは絶対にやめてほしい。警告を無視したら警察に告発します」とえらい剣幕で言う。「あまりにきれいなのでここで一晩すごしたいのですが、だめですか」とお願いするが、絶対にダメと言う。「あなたたちがもしここにビニール袋を落としたら、この土地はそれが取り除かれるまで永久に命が育たなくなる」。頭をガーンと殴られたような感じがした。永遠に命が育たなくなる。たった1枚のビニール袋を捨てただけで。そこまでは考えていなかった。自然と調和するワンゲルにあるまじき行為をしようといていたことを反省し、監視員に謝って撤収した。よく発見して注意してくれたものだと今でも感謝している。

感謝の理由はまだある。就職は新聞社だった。当時は朝日新聞やNHKが人気トップテンに必ず名を連ねるほど、マスコミ就職は難しかった。花形と言われた金融機関や商社は4年生の5月には内定を出すのだが、マスコミは8月1日の入社試験解禁を厳守していた。私が受験した地方紙は全国紙より1週間遅れの試験だった。

新聞社の試験は作文が勝負である。お題は「わが不満」だった。私は最初、自分の性格や生き方を書いていた。制限時間の半分ごろ、なぜかひらめいた。新聞社の作文で自分の内面を書いたらダメ。社会性のあることを書かなければ、読んでもくれないだろう。なぜひらめいたのかは分からないが、たまたま通りかかった神さまが教えてくれたのだろう。人生にはそんなことがあるものだ。

残り時間30分、消しゴムでごしごし消して、一気に書いた。大雪山での経験を。当時は水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなど高度経済成長のひずみである公害が大きな社会問題になっていた。作文の結びは、人類は自然の管理を委ねられたのだから、もっと謙虚に自然と調和できる方法をえらばねばならない。そうしないと自然はとんでもない災厄を人類にもたらすであろう。

今でも確信しているが、私はこの作文で合格し、40年余りも勤めることができた。妻とは職場結婚したから、もし違う会社に入っていたら、今の妻と会わずに、まったく違った人と結婚し、まったく違った子どもたちが生まれていたかもしれない。あの大雪山での経験が私の人生を決定づけたのだ。振り返ってみれば驚愕の体験であったのだ。

余談だが、作文で公害のことを書いたら最高点でも80点しかやらない、つまり20点引きにしたそうだ。公害が社会問題になっているときに、それを作文してもよほどの視点がないと人を惹きつける作文にならない。ステレオタイプな作文しか書けない人間は採用しないという、いじわるな出題だったのだ。私の作文も大きな意味では公害問題だが、自分の体験をもとに、つまりニュース性のある体験を書いたから、審査員の興味をそそったのだろう。ビニール1枚落としたらそれが取りのぞかれるまで、この土地は死ぬ。この事実が「ニュース」と判断され、こういう作文を書くやつは面白いかもとなったのだろう。

新聞社では公害問題の担当にはならなかったが、40年あまり飽きずにいろいろな体験をさせてもらった。夜勤や長時間残業は当たり前の仕事、パワハラなんて常にあった職場だが、やりがい、生きがいはあった。新聞部数も急激に伸びた時代だから、世間より高い給料だった。いまは部数激減で大変な時代だが、そういうときこそ新聞の役割は大切と思う。みんなが何となく不安を覚え、政治がきちんと対応しない時代にマスコミの役割は大事である。今の課題を読者とともに考えられる事実を丹念に愚直に探し求めて伝える。権力者の横暴や人権無視は絶対に許さない。新聞本来の役割をきちんと果たせば、新聞は滅びることはない。

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