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毎日自分をホメてみたら世界が少し明るく見えた

僕はこのところ、毎日自分をホメている。

「ジムに行ったからえらい」
「寝坊しなかったからえらい」
「出勤したからえらい」

すると世界が少し明るく見えるようになってきました。今回はそんなゆるふわなようで、ちょこっと大切かもしれないお話。

平均点からのキョリ、あるいは減点社会

まず息苦しい世界観の話をする。

平均点からのキョリが物差しになる世界観。
60点平均で70点なら、「70点」を取ったその絶対値より、平均からの「+10点」分しか褒められない。逆に60点平均で50点なら、50点を取ったその絶対値より平均からの「-10点」分怒られる。

持ち点100からの減点社会も息苦しい。
100点が当たり前で、何かしらのミスが生じればどんどんマイナスの評価を受ける。たとえば「90点ですごい!」なんて言われない。10点減点されたことの印象ばかりが残り、そのマイナスを非難される。

「できて当たり前、やって当たり前。できなければ怠慢、やらなければ怠慢。」
そんな世の中って本当に息苦しい。

期待値が高すぎる上に、期待水準クリアしたくらいでは何も評価されないなんて、この世におけるおぞましい不幸のひとつなのではないか。

でも、僕自身その息苦しい世界観を作る住人のひとりだった。
たった数分の電車遅延でもストレスを感じていたし、 コンビニのレジでもたつく人をみるとヤキモキしていた。

毎日自分をホメてみたら世界が少し明るく見えた

そんな息苦しい世界観を作って一番疲れるのは、他でもない自分自身なんだと気づいた。他者へのプレッシャーがもれなく自分に降りかかってくる。

「周囲にこう思われているんじゃないか」と、四六時中人の目が気になってしまう。

30年分の疲れをためた僕は、その息苦しい世界観から脱するべく、自分にも世界にもいい意味で期待しないようにした。「平均60点」ではなく「0点」を基準に考える。

そこにひとつのスパイスを足した。

『えらい』

朝起きるとえらい、寝坊しなかったらもっとえらい、ジムに行ったらさらにえらい、それで丸々1週間遅刻せずに出社したら最強にえらい。無遅刻無欠席が当たり前な世界観では、「それが当たり前だから」と見向きもされないようなこと。誰もハッピーじゃない。

でも「0点」基準の世界なら、何しても基本的にえらい。えらいから頑張りまくれる。

おかげでジム通いが習慣化され、膝靭帯のリハビリもいい調子。歯医者にも整骨院にもしっかり通えている。えらすぎる。

すると、自分の行いだけでなく、世の中の何気ない気配りや頑張りに少しずつ気づくようになった。

電車で席を譲る紳士、信号のない横断歩道でしっかり止まる自動車、前の歩行者が落した物をサッと拾って渡す人。

毎日自分をホメてみたら世界が少し明るく見えたんだ。一種のカラーバス効果のようなものかもしれない。

「遅延5分未満」定時運行率99.8%は、えらすぎ

身近なものを例に挙げる。これは僕が毎朝通勤で使う埼玉高速鉄道線および南北線にまつわるお話。

埼玉高速鉄道線の上り列車・定時運行率って99.8%(※)らしい。
※ 平成 26 年 4 月~6 月に、赤羽岩淵方面の列車で 5 分以上遅延した本数を、同期間・同方面の総列車本数で除したもの
出典:埼玉高速鉄道ニュース
http://www.s-rail.co.jp/news/up_pdf/pr20150813-web-chiien-shomeisho.pdf

「おや?」と思った方もいると思うのであえて触れる。
一見「99.8%」がものすごい数字に見えるが、ここでのミソは「5分未満の遅延」が許容されていること。

息苦しい世界観で生きていたかつての僕なら、前述のとおり1分や2分の遅れですら許せたか怪しい。なんなら「5分」という基準を持って定時か否かを判断するのは到底理解しがたかったかもしれない。

でも今の僕にはとても凄いことに感じられる。埼玉高速鉄道線も南北線えらい。えらすぎる。

毎日最寄り駅で見かけるあの人たちも、毎日自分のリズムで頑張って出社している。えらい。えらすぎる。

おわりに

この考え方で世界の常識が変わることはないし、そもそもこれが正義なわけでもない。もちろん強要すべきことでは一切ない。

ただ、自分にも他者にも社会にも、ほんの少しでも優しい世の中になってほしいなあ、なんてずっと思ってる。

みんな違ってみんなえらいのである。

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