大人たちよ、「あり方」を問え。


自分を表現できるなら、手段はなんでもいい。そう思いはじめたのは、中学生ぐらいだったろうか。

大人は子どもに
「将来“なに”に“なりたい”か」と聞く。
「将来“どう”“ありたい”か」とは、なかなか聞いてくれない。
だから私たちは仕方なく「歌手」だの「医者」だの「お嫁さん」だのと答えてきた。

機転の利く子や自由な発想の持ち主なら、「なにになりたいか」と聞かれても「人に優しくできる大人になりたい」などと答えてくれるだろう。

しかし、そんな子どもたちも、どのタイミングで変わってしまったのか、徐々に変わっていったのか、
やがてお金のために、暮らしのために働くようになる。
苦労して獲得した肩書にしがみつくようになる。
隣の芝が青く、反対隣の花が赤く見えるようになる。
さらには自分を見失って、カラダやココロまで壊すようになる。
そして、自分の身に起こるあらゆることを、他人や環境や世の中のせいにする。

早くに両親を亡くした知り合いがいる。
彼女は昔から、早くに結婚して幸せな家庭を築きたいと言っていた。
それは自然な心の動きだと思う。
合コンで社長の御曹司に出会って、あと1年すら待てずに学生結婚して、その夫にマスオさんをさせて未婚の姉の居場所を奪い、2人の子宝に恵まれた彼女は、久々に会った時には死んだ目をしていた。
私より5歳も若いのに自分を「オバチャン」と呼び、ひとまわり以上年若に見られることも多い私よりはるかに老け込んでいた。

彼女と同じように早くに結婚し3人の子宝に恵まれた知り合いも、社長の御曹司に合コンで見初められたことを誇りとしていた。
ズケズケとした物言いの、目の奥が笑っていない彼女は、周囲から「ボスキャラ」扱いされがちなことを、170cm強の身長に加えて好んで履いているハイヒールのせいにしている。

「俺は冒険家になる!」と某アニメのようなことを昔から言い、川をつたって我が家まで遊びに来ていた知り合いは、大好きな冒険を世界レベルで仕事に変え、南国で嬉々と暮らしている。

父上の遺志を継いで選んだ仕事を苦悩の末リタイアし、趣味を存分に楽しみながら新しい仕事を適度にこなし、なかなか子どもに恵まれなくて「夫婦ふたりでも充分幸せ」と言っていた知り合いは、待望の娘が産まれてデレッデレになっている。

結局、やりたいことをやっている人ほど、どこにいても若々しく輝いている。
子どもの心のままに生きている人ほど、幸せな顔をしている。
起こることを柔軟に受け入れられる人ほど、纏う空気が柔らかい。

世界にも、Don’t think. Feel. とか、
Punk is attitude,not style. なんて名言を遺した人が居るじゃないか。

人によって、そのヒントをもらったのは、音楽だったり世間話だったりマンガだったりと様々だ。

やり方よりも、あり方が大事だってこと。

「面白きこともなき世を面白く」なんて、この恵まれた時代に人の言葉を借りて要らぬ苦悩を募らせる大人ほど、早めに思い出したほうがいい。

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