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走行中給電という視点に着目してEVを考える

3月27日の日経新聞で「モビリティーの未来(下) 電池依存の常識を疑え」というタイトルの記事が掲載されました。EV(電気自動車)化に対する社会や各企業、私たちの向き合い方について考察している内容です。

同記事の一部を抜粋してみます。

そこにしかゴールがないかのような勢いで、モビリティー(移動手段)の電化が世界中で叫ばれている。しかしEV化、とくに大容量電池を多用する純EV化には大きな落とし穴がある。

そもそも、リチウムイオン電池はクリーンでも脱炭素でもない。さらに、原料のリチウムやコバルトといったレアメタルの獲得には常に地政学的、政治的な問題がつきまとう。持続可能なビジネスとして考えれば、大容量電池への依存からは脱却すべきである。

ただし、注意すべきはEVを捨てるわけではなく、電池の話である。EV自体には、運動制御などの面で大きな利点がある。

これまで、EVは航続距離が稼げないから高性能の電池を大量に積むべきだと考えられてきた。しかし電気は発電したらすぐ使うのがベストである。EVや電車を動かすような大量の電気エネルギーを、ためて使うのは賢い方法ではない。

ではどうすればよいか。その一つの解として研究開発が進められてきたのが、走行中給電である。走行中給電とは、地面に埋め込んだ送電コイルから停車中・走行中のEVに、ワイヤレスで電力を給電する仕組みである。そのカギとなる技術が、送電コイルの設計、高周波電源を効率よく作るパワーエレクトロニクス、そしてスーパーキャパシタだ。

キャパシタとは、活性炭を主原料とした蓄電デバイスだ。劣化しにくく何百万回も充放電でき、小規模ならパワーをすぐに出し入れできる点で電池より優れている。また、どこにでもある炭素やアルミニウムのような素材しか使わない。電車はパンタグラフと架線で電力系統につながり、電力インフラからリアルタイムで供給されるエネルギーをもらって走る、走行中給電の先輩である。

欧州では、大型EVトラックなどが電欠せずに長距離走行できるよう、充電インフラを優先整備する道路を決めている。また、官民が連携して大規模な走行中給電の実証実験を行い、採用技術の選定段階にある。純EV一辺倒に見える欧州でも、そうした政策が進められている。

私も、「EV=電池」のようなイメージでしか捉えることができていませんでした。同じようなイメージでのみEVを見ている人も多いのではないかと思います。

言われてみれば、電車は純EVではなく、走行中給電で成り立っている移動手段です。そして、欧州ではすでに大規模な走行中給電の実証実験を行ったうえで採用技術の選定段階にあるということです。

解像度を高めて全体を俯瞰して見ることは、課題テーマに対して本質的なものの見方をしていくうえで欠かせないことだというのを、同記事から感じる次第です。

国内でも、大阪・関西万博会場内を、走行中ワイヤレス給電対応バスが来場者をのせて運行する計画があり、ワイヤレス給電市場の立ち上げと拡大を目指して、業界が団結して取り組む動きも始まっているそうです。そうした動きについての費用面の懸念等に対して、同記事は次のように指摘しています。(同記事から一部抜粋)

日本は今後、着実にモビリティーの電化を進める一方で、エネルギー源については資源と政治面の制約に左右されない未来を築く必要がある。そこで以下の3点を提案したい。

まず、「なんでも白黒つける習慣をやめる」ことだ。ひとはとかくものごとを二項対立させ、善悪を決めつけるのが好きである。思想にとどまらずガソリン車とEV、原子力発電と再生可能エネルギーもそうだ。両方をうまく使いこなすことが重要なのである。

次に、「短期の成果を求めない」ことだ。国レベルのエネルギーに関して立ち上げられたプロジェクトは、往々にしてやるべきことが列挙される。そして書いたことは、計画年で完了していないとダメという発想になる。これでは自然と目標が低くなってしまい、挑戦をしなくなる。

最後は「すみ分けを求めない」ことだ。研究開発でも、これとあれはどこが違うのか、どこが新しいのかとか、独創性や新規性を求める専門家が多すぎる。多くの人が似たようなことをする分野は、そこに価値を見いだしているからであって、素晴らしいものは先行例があろうが素晴らしいと認めるべきである。

ワイヤレス給電についても、参入したいがいまは様子見という企業が少なくない。しかし、そういうスタンスでは未来永劫(えいごう)チャンスは来ない。規格は自ら作るぐらいの意気込みでなければ、世界には勝てないだろう。

中国・上海の浦東バスの運用センターや上海蔚来汽車(NIO)のディーラーを見ると、中国がクルマのビジネスと電池のビジネスを上手に切り離していることがわかる。自動車メーカーは電池に関する心配(CO2排出、リサイクルなど)はせず、クルマのビジネスに専念している。電池のビジネスは別に存在する。

かたや日本では、とかくすべての業界を巻き込んだ大きな組合を作りたがり、合意を取り付ける議論ばかりしている。どちらがスピード感をもって世界を制するかは目に見えている。

この、電動化が急速に普及しつつある段階で、EVでは真のカーボンニュートラルにはならないなどと訴えたところで、世界の流れが覆らないことは言うまでもない。

「なんでも白黒つける習慣をやめる」のは、もともと日本の社会が得意としてきたところではないでしょうか。東洋か西洋かの二項対立ではなく和洋折衷、古くは中国から積極的に学び、伝統を残しつつ国外から入ってくる考え方や方法論を取り入れて、日本ならではの文化様式に昇華させていった歴史もあります。

日本的経営で三種の神器の言われた、「年功序列制」「終身雇用」「企業別組合」も同様だと考えます。利害関係が対立しやすい労使間で労か使かの二項対立ではなく、融合的な関係を生み出す白黒を混ぜたようなやり方だったと例えることができるのかもしれません。

今でも依然としてこの三種の神器が有効なのかは、いろいろなところで言われているように疑問があるわけですが、戦後に高度経済成長を実現させていこうとする当時としては、環境に合ったうまいやり方だったと評価できるのは確かなはずです。

ガソリン車かEVか、原子力発電か再生可能エネルギーか、といった二項対立ではなく、両方をうまく使いこなすことが大切、ということは、経営や組織マネジメントを考える上で必要な視点だということを、同記事からは改めて感じます。

「ゆるブラック」などの概念を加えて、企業を「ブラック」か「ホワイト」のどちらに入るのかに区分しようとするのも、なんでも白黒つける習慣に通じるものがあると思います。100点満点の組織などないという前提で、「ブラック」「ホワイト」双方につながる要素のうち、自社や自身にとっての課題の優先順位をつけながら両方をうまく使いこなす視点や、現状を改善するために何に取り組むのかの視点が、有益なのだと考えます。

何でも白黒つけずに、両方をうまく使いこなしていくという視点は、幅広い課題テーマに応用するべき視点だと思います。「短期の成果を求めない」「すみ分けを求めない」についても同様に、これからイノベーションを目指していく上で不可欠な視点です。

<まとめ>
何でも白黒つけずに、両方をうまく使いこなしていく。

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