3月27日の日経新聞で「モビリティーの未来(下) 電池依存の常識を疑え」というタイトルの記事が掲載されました。EV(電気自動車)化に対する社会や各企業、私たちの向き合い方について考察している内容です。
同記事の一部を抜粋してみます。
私も、「EV=電池」のようなイメージでしか捉えることができていませんでした。同じようなイメージでのみEVを見ている人も多いのではないかと思います。
言われてみれば、電車は純EVではなく、走行中給電で成り立っている移動手段です。そして、欧州ではすでに大規模な走行中給電の実証実験を行ったうえで採用技術の選定段階にあるということです。
解像度を高めて全体を俯瞰して見ることは、課題テーマに対して本質的なものの見方をしていくうえで欠かせないことだというのを、同記事から感じる次第です。
国内でも、大阪・関西万博会場内を、走行中ワイヤレス給電対応バスが来場者をのせて運行する計画があり、ワイヤレス給電市場の立ち上げと拡大を目指して、業界が団結して取り組む動きも始まっているそうです。そうした動きについての費用面の懸念等に対して、同記事は次のように指摘しています。(同記事から一部抜粋)
「なんでも白黒つける習慣をやめる」のは、もともと日本の社会が得意としてきたところではないでしょうか。東洋か西洋かの二項対立ではなく和洋折衷、古くは中国から積極的に学び、伝統を残しつつ国外から入ってくる考え方や方法論を取り入れて、日本ならではの文化様式に昇華させていった歴史もあります。
日本的経営で三種の神器の言われた、「年功序列制」「終身雇用」「企業別組合」も同様だと考えます。利害関係が対立しやすい労使間で労か使かの二項対立ではなく、融合的な関係を生み出す白黒を混ぜたようなやり方だったと例えることができるのかもしれません。
今でも依然としてこの三種の神器が有効なのかは、いろいろなところで言われているように疑問があるわけですが、戦後に高度経済成長を実現させていこうとする当時としては、環境に合ったうまいやり方だったと評価できるのは確かなはずです。
ガソリン車かEVか、原子力発電か再生可能エネルギーか、といった二項対立ではなく、両方をうまく使いこなすことが大切、ということは、経営や組織マネジメントを考える上で必要な視点だということを、同記事からは改めて感じます。
「ゆるブラック」などの概念を加えて、企業を「ブラック」か「ホワイト」のどちらに入るのかに区分しようとするのも、なんでも白黒つける習慣に通じるものがあると思います。100点満点の組織などないという前提で、「ブラック」「ホワイト」双方につながる要素のうち、自社や自身にとっての課題の優先順位をつけながら両方をうまく使いこなす視点や、現状を改善するために何に取り組むのかの視点が、有益なのだと考えます。
何でも白黒つけずに、両方をうまく使いこなしていくという視点は、幅広い課題テーマに応用するべき視点だと思います。「短期の成果を求めない」「すみ分けを求めない」についても同様に、これからイノベーションを目指していく上で不可欠な視点です。
<まとめ>
何でも白黒つけずに、両方をうまく使いこなしていく。