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足元の悪い中

先日仕事を辞めた。

人生で何度退職をしたのかもうわからなくなってきた。
たぶんわたしは最近よくいう「社会不適合者」なんだと思う。


わたしは小学校3年生ぐらいまでは割と成績が良かった。
勉強もまあまあできたし、何より「大人がしてほしいこと」が分かる子どもだったのがデカい。
国語のテストで、短い物語を読んで回答する問題があるとする。
お題の文章をしっかり読まなくても「こういうテストってこういうことを答えさせたいんだろうな」というのがなんとなく分かるので、ろくに読んだことがない。
それでも国語の成績は抜群によかった。


それなのに、気が付いたら成績はみるみる悪くなって(中の下ぐらいを彷徨っていた)、行ける高校はかなり限られてしまった。
そんな中で選んだ高校は治安が-終焉-していたため「○○県立治安終了高等学校」と呼んでいる(この呼び名は友人からのウケがめちゃくちゃ良い)。


治安終了高等学校を卒業してからは、フリーターとして職を転々としていた。
つまりメチャクチャお金がない。
大好きなバンドのCDやチケット、ライブグッズも、無い中から必死にお金を捻出してどうにか購入している。
4万円の人体模型2体セットを出されたときは本当にどうしようかと思った。

買ったけどほんとうになんなんだこれは


ついでに言うとパートナーに長期間、言葉の暴力にくわえて性暴力を受けまくっていた。普通に精神が限界だったのだが、洗脳されていたので自分がメチャクチャに追い詰められていることに気付けなかった。(軽度のうつ病で済んで良かった)
このことにより男性恐怖症……というか、男性という生き物がメチャクチャ無理になり、かといって同性愛者でもないので、一生恋人が作れなくなった。


そもそもわたしの顔はお世辞にもかわいいとは言えない、「べっぴんさんべっぴんさん、ひとつ飛ばしてまたべっぴんさん」の飛ばされた部分である。
上記の性暴力人間のことは「恋愛」及び「彼氏」とカウントしていないため、人生で男性に好意を持たれたことは一度もない。
それに加えて上記の経験から「女性としての自己肯定感」が本当に1ミリもない。

長くなったが、要約するとわたしは「終了人間」なのである。終わっている。

「レールの敷かれた人生」みたいな言葉があるけど、そもそもわたしの人生にはレールが敷かれていない気がする。
というか、スタート地点から他の人と何もかも違う感じがある。
みんなレールから外れたり、曲がりくねった道だったりするのは同じだけど、私だけスタート地点がもう既にぐちゃぐちゃの沼地みたいになっている。
わたしの道はいくら進んでもぬかるみしかない。
レールの上が正しいわけじゃないけれど、ぬかるみだけの道が正しいわけないだろ。
と、思っていた。


ここで「じゃあ正しい道ってなんなんだよ」という疑問が生まれる。
わたしが間違っているとすると、
・高学歴
・正規雇用
・顔がブサイクではない
この3つを満たせば「正しい」ことになる。
でも、中卒で起業する人もいるし、非正規雇用でも稼いでいる人もいるし、顔が整っていなくてもモテる人はいる。


……もしかして「普通」とか「正しい」とかって、そもそも存在しないのでは?
というか、「正しさ」って人それぞれなのでは?という、よく考えるとメチャクチャ当たり前のことに今更気付いた。


クレヨンしんちゃんの野原ひろし氏のセリフで「正義の反対はまた別の正義」というものがあった。
いや、ひろしよ。"それ"じゃん。


ただわたしは他人が作った「正義像」に惑わされていただけだったんだな………とようやく気付くことができた。
マジでこのようなことを数年ぐるぐるうじうじ悩んでいたので、突然の天啓にビビっている。

わたしは一生オタクをやめられないし、好きなバンドを追いかけていると突然¥40,000の人体模型を買わされることがあるので(先日はヘルメットとシャベルと誘導灯のセットを¥12,000で買いました)、お金はあったほうがいいし、たぶん顔はかわいいほうが生きやすいけど。
たとえぬかるみばかりでも、曲がりくねっていても、わたしが納得できるわたしなりの「正しい道」を見つけられたらそれでいいんだなーと思いました。敷きつめたメインロード。

小並感エンドでごめんね。
明日もライブに行ってきます。

適当に持ってきたラババンたちが赤組と青組みたいになった記念写真

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