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おもんな人類

「ふーん、おもしれー女」
今ではネットミームとなっているフレーズ。


小学生のころ、わたしは割と「おもしれー女」だった。
クラスの中心にいたわけではないけど、変なことを言って友達を笑わせる担当、みたいな立ち位置だった。
中学、高校と進学していく中で、キショ・陰キャ・腐女子・オタクのわたしは教室の隅でうつむく日々を過ごしていたが、それでも気の置けない友人たちの前では「おもしれー女」だった。
今でもわたしは変なことを言って友人を笑わせている。つもり。

現在わたしの周りには、おもしれー女がいっぱいいる。
みんな、凡人のわたしには到底思いつかないおもしれーことを言ったり、やったり、作ったりしている。本当にすごい。
この人たちの「おもしろさ」の前では、わたしの「おもしろさ」など、マジで塵に等しいな、と打ちひしがれることが多々ある。
とか思っていたらその「おもしれー女」のうちの一人が、クソデカnoteを書いてバズっていた。本当におもしれー女だな。

「おもしれー女」は、養殖では生まれないと思う。
おもしれー女になろうとしてなったおもしれー女は死ぬほどおもんない。それがわたしである。
前述のバズりnoteおもしろ女は完全に天然モノのおもしれー女だ。
知り合ったきっかけはインターネットだけど、一緒にライブに行ったり遊んだりすることが結構ある。
会うたびに「マジで何食ったらそんなこと思いつくんだよ」みたいな発言をしたり、行動したりするので本当にすごい。

わたしは天然モノのおもしれー女にはなれなかった、「おもしれー女になりたかった出来損ないの死ぬほどおもんない奴」だけど、それでも友人たちはわたしのクソおもんなトークで笑ってくれるので、多少のオモロはあるのかもしれない。
もうこのnote自体が死ぬほどおもんないのはわかっているんだけど、なんか、………許してほしい。
そう、ここでおもしれーことを言えないのがおもんな人類なんだよな。

「noteをはじめるときは、はじめる宣言の記事を書くんだよ」と誰かが言ってたよ、と世界一好きなギタリストが言ってた気がするので、この記事を宣言とさせていただきます。

追伸
翌日に読み直したらおもんなすぎてびっくりした

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