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働くお母さんが抱える申し訳なさを解消する唯一の方法

わたしは現在二人の子を持つ働く母である。
妊娠して仕事をやめ、数年間専業主婦として過ごしたのち、下の子が1才になるころ保育園に子どもを預けふたたび働きはじめた。

長く経験のある美容師は土日祝に働かなければならない。なるべく子どもと一緒に過ごしたいので美容師以外の仕事を探し面接をいくつか受けたが、わたしに能力が無いと判断されたのか子どもが小さいからか理由はわからないが、なぜかどこも落とされた。
結局それしかないのかと諦めるような気持ちで美容室で働くことになる。

就労形態は事実上は個人事業主というかたちだ。いわゆる面貸しという、場所を提供してもらい、売り上げの何%かを報酬としてもらうという契約。今では美容業界によくあるスタイルだ。ある程度自由だけれど、統率をはかるための色々なルールがある。
開店から閉店まで勤務し休みの日数が決められている「フル」の人たちと、私のように時短でシフトを自己申告する「パート」がいる。
「フル」より「パート」の方が報酬として受け取れるパーセンテージが減る。
あたりまえである。働く時間も、日数も少ないのだから。
受け取れる報酬の取り分がすくないという明らかな制裁はすでに受けている。
だから本来「パート」が「フル」の人に対して申し訳ないと思う必要などないはずだ。
なのにわたしはこの10年、何度も何度も「申し訳ない」と思ってきた。実際言葉に出して謝ったことは数えきれない。あまりの申し訳なさに職場に茶菓子を差し入れたりもする。
子どもが熱を出して休んだり、学校から迎えにこいと連絡があったり、学校行事のことでシフトに変更があったりするたび、申し訳ないと思う。毎度毎度頭をさげ「申し訳ありません」と何度も口にする。

実際他のスタッフに仕事量的に負担をかけているかというとそれほどでもないのかもしれない。
けれど精神的な負担をかけているのは間違いない。
自分がまだ独身だったとき、職場に1人だけパートのお母さんがいて、子どもの体調不良でしょっちゅう休んでいた。
うらやましかったしズルいと思った。
「わたしも電話一本かけて簡単に休める人になりたい」などと陰でイヤミを言っていたような気もする。

だから「みんな制約があるなか働いてるのに勝手なことをされて迷惑してます」と理解のない上司に言われたとき、その気持ちはわかると思った。
「休むならせめて前日に連絡してください」と言われ返す言葉がなかった。
けれど子どもというのは、元気に晩御飯を食べたのに真夜中に突然嘔吐する生き物なのだ。
朝起きたらびっくりするくらいの高熱が出ている。
それを前日にどうやって予測する?
上の子がインフルエンザにかかり、治った2日後に下の子もかかり、2人とも治ったあと自分も発熱するが2週間も休ませてもらったのにさらに休むわけにいかず、色々な種類の薬をのみ頭も胃も精神状態もぐちゃぐちゃのまま這うように仕事に行かなければならないことを予測できるのならわたしだってしたい。
夫は自分の仕事を犠牲にすることなどなぜか一ミリも考えていない。
朝子どもの高熱に気付いたとき、仕事を休まなければいけないと思うのはなぜ母親だけなのか。なぜ家事も育児もすべての責任が母親にあると思われるのか。そして自分自身もそう思ってしまうのか。

たくさんの人が色々な議論や努力を積み重ね、働く母親にとって良い環境を作ろうと努力しているのはわかる。
利用すれば助かるような制度がこれからもっと用意されていくだろう。
けれどわたしが独身のとき感じたような、「うらやましかったしズルい」と思う感情はどんな制度をもってしてでも人間から消し去ることは出来ない。
子どもをもつ人だけが優遇されていると思う人が必ずいる。
それは特別意地悪な人間でなくても、きっと抱いてしまう感情なのだ。

子どもが大きくなり、少しくらいの熱なら食べ物を用意して置いて仕事に行けるくらいにはなった。
キツイことを言ってくる上司は退職していなくなり、今の職場は理解のある優しい人たちに囲まれて働けている。
それでもやっぱり言われるのだ。
「僕も帰りたいな」
「あと30分頑張りましょうよ」
みんなじゃれあうような気軽さで言ってくる。
「一緒に帰ります?」「頑張りません!なんつって!あはははお先でーす」とこちらも軽いノリで返すのを期待しているのだろう。
実際そう返して笑いあって終わることもある。
だがわたしは常々みなさんにご迷惑をかけて申し訳ないと思っているので、時々へんな角度で心にぶっ刺さり傷つく。
ほんとはもっとはやく帰りたい。
無理して残ることだってある。
これでも精一杯頑張っている。
帰ってからも休まず立ちっぱなしで晩御飯の支度をしなければならないのに、と。

忙しい日は出勤して荷物を置いてから退勤するまで、トイレ以外で座ることなく昼御飯も食べず少しの水分をとっただけでへとへとになって帰る。
保育園に迎えに行き、学童の延長に迎えに行き、やっと家に帰り一瞬も座ることなく晩御飯を作る。
皿を洗い子どもと風呂に入り音読を聞き、それぞれがもらってきたプリントをわけて読み、仕事を休まなければならない学校行事の急な連絡にため息をつく。
夫の思いやりのない態度と上司のひどい嫌味とややこしい客の接客疲れで胃潰瘍になったこともある。

子育てしながら働くことのしんどさに今まで何度も泣いた。
1人こっそり泣くこともあるし子供の前で泣くこともあった。
夫に八つ当たりしたり子どもにきつく言ってしまうこともある。
「しんどいから行きたくない」と言う子どもに微熱があるとわかっていても一か八か登園登校させてみることは何度もあった。
園や学校に着いてから発熱し、職場に電話を入れてもらった方が説得力があるからだ。
わたしが朝「子どもが熱出してるので休みます」と電話するより、園や学校から「迎えに来てください」と電話がかかる方が申し訳なさが軽減する。
子どもの体調を心配するより、自分が職場にたいして申し訳ないと思うことを回避したいと考えてしまうことは良くない。
頭ではわかっていてもそうせずにはいられない。働く母親は常に追い詰められている。

そこでわたしは編み出したのだ。
職場や一緒に働くスタッフに申し訳ないと思わずに済む唯一の方法を。
正確にいうと、申し訳ないと思うことをやめることはできない。
みんなの協力や助けがあるからこそ時短やパートという就労形態は成立する。
だからいったん申し訳ないとは思う。
思ったうえでその気持ちを抱え続けて心が辛くならないよう、こう思うのだ。


関係あらへん!知るかいボケェ


非常にシンプルである。
職場や同僚にむかって心のなかで悪態をつく。
やれるやつがやってくれ。
わたしにはもうひとつの大事な仕事がある。
替えのきかないわたしにしかできない大切な
母という仕事。
仕事は一生出来るが、母親として子どもを育てられる期間はほんとうに短い。
子どもたちが小さいうちにもっと向き合っていれば良かったと後悔したくない。

完全に一人で完結する仕事でもないかぎり、働く母親が”申し訳ない”という気持ちを一度も抱かずに働くのは無理である。
だからせめて心を壊してしまわないよう、心のなかで少しの悪態をつく。
そうしてやっと、とりあえずここまでやってきた。


#創作大賞2023 #エッセイ部門


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